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粧説帝国銀行事件

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天誅



「で、どうすんの」マサが言った。「今はともかく、遅くなったら本当に長ドス持って踏み込んでくるのがいるかもしれないわよ」

「そうだなあ」

と平沢は言うしかなかった。家の外からはまだ『実験だ、実験だ』『犯人だ、犯人だ』のコール合戦が聞こえてくる。

時刻はまだ宵の口という頃合いだ。今まではせいぜい石が飛んできて窓を割られる程度だったが、しかしこれからどうなるか。

小樽で捕まり東京まで連れて来られて上野駅に着いたとき、待ち構える群衆でホームが一杯だったのを思い出す。自分と刑事達だけが車内に残って貨物の線路に列車を移動させたのだが、それを暴徒は追いかけてきて『平沢を出せ、殺してやる』と叫びながら客車を叩いたのだった。今そこで喚いているやつの中には、あの日あそこにいた者が多く混じっているだろう。

そのうち、マサが言う通り、日本刀とか、戦争中の銃剣とか持ったやつが押し入ってきて、『天誅(てんちゅう)!』だとか叫ばれバッサリとか、ブッスリとかやられてしまうかもしれない。ウギャギャー。この部屋がおれの血しぶきで真っ赤に染まることになるかもしれない。

『かもしれない』でなく本当にそうなる見込みが、かなりあるのではないかと思えた。来るとしたらやはりマサが言うように、深夜遅くか明日の早朝になるのじゃないか。

いや、今夜は無事に済んでも、あしたどうなるかわからない。それともあさって、しあさって、あるいは何日か何週か過ぎ、人が表で叫ぶことがなくなってから、コッソリ忍び込んできて拳銃でズドン――そんな殺し屋がいないとも限らないのではなかろうか。戦争が終わって3年だ。戦地で殺しの味を覚え、拳銃など隠し持って戻ってきた人間が今はいくらでもいるのだろうから……。

「うーん」

と唸った。またマサが、

「でなきゃ、火ぃつけられたりとか。どうすんのよ、本当にそんなやつがいたりしたら。あたしまでここで焼け死んじゃうじゃない。あたしは焼けて死ぬのはイヤよ」

と言う。平沢は「そうだなあ」と、同じ言葉を返すしかなかった。

目の前には新聞がふたつ広げてある。片方は十日ほど前、東京に着いた直後のものだ。《平沢氏の無実確実》と見出しにあって、

《帝銀事件の容疑者として、はるばる小樽から護送された画家の平沢貞通氏も、二十四日夜には大体青天白日となり、二十五日朝釈放される見込みだが、東北線車中、上野駅、警視庁と、真犯人さながらに手錠をはめ、毛布をかぶせるという厳重さ。いざ疑いが晴れるとなると、この護送ぶりが問題で『あんまりひどい、かわいそうに』という街の声がしきり。二十四日の閣議でも俄然これが取上げられ、水谷商相は『あの場合人権侵害にならぬかと発言』――》

といった記事が躍っている。

けれどもしかし、それがだんだん変わってくる。今朝の朝刊は《新たに四件の詐欺が発覚》とあって、

《帝銀事件の犯人として疑われるテンプラ画家の平沢貞通氏だが、極めて怪しい事実が次々に判明。容疑は濃厚となるばかりとなっている。

そしてまた、事件前の二ヵ月間に悪質な詐欺を四件連続して働いていた事実が警察の調べで明らかになった。

第一は昨年十一月二十五日(帝銀事件の二ヵ月前)、丸ビル三菱銀行支店で他の客が落とした受付番号札を拾い、その番号が呼ばれたのに応えて預金引き出し額の現金壱萬圓と預金通帳を持ち去ったもの。

これは悪質と言い切れないが、平沢はこのときの通帳を捨てずに持ち続けていた。そして十二月二十七日(帝銀事件の一ヵ月前)、大田区山王の質屋を訪ねて「これをカタに拾萬圓貸してくれ」と頼んだという。

だが断られ、失敗に終わっているがこれが第二の詐欺である。平沢はその翌二十八日、同じ通帳の預金額を倍に書き変えたものを持って別の質屋を訪ね、同じ手口で弐拾萬圓の小切手を受け取ることに成功する。

しかしまた疑われて現金化には失敗。これが第三の詐欺である。平沢は続く失敗に懲りずにまたその翌二十九日、前日に現金化できなかった小切手を持って銀座の時計店を訪ね、時計・宝石など拾数萬の品と換えようとしたがここでも疑われ、店の者が銀行に問い合わせするのを見て逃げ去った。これが第四の詐欺である。

平沢はこれらについては罪を認めた。第二から第四は未遂に終わっているが犯行は悪質。帝銀事件の犯人である疑いも強くなったと言わざるを得ない。

平沢はこのとき複数の相手に多額の借金を重ねていた他、自分が会長を務めるテンプラ画会の金を横領していたとのことで、警察はこの一連の詐欺をその返済のための犯行と見ている。

第一の詐欺についてもその日になぜその支店にいたかといった点に不審が見られ、犯行が計画的である疑いもあるという。平沢はこのときの壱萬圓を上野の浮浪児に配り与えて自分は壱圓も取っていないなどと供述しているといい――》

と、いった具合に話が詳しく書かれていた。その他にも平沢が拾数萬のカネに困り、それを手に入れるためになら何をするかわからぬ男であった話があれもこれもと記事にされてる。

それが嘘ならまだいいが、困ったことに全部本当のことだった。「うーん」とただ唸っていると、

「最初の詐欺で壱萬圓」とマサが言った。「あなたその壱萬圓、『上野の浮浪児にやった』なんてほんとに言ったの」

「言ったよ」

「壱萬と言ったら、あなたの歳の普通の男の給料2ヵ月分だよね。それを全部浮浪児にあげた? そう言やみんな感心して、『さすが一流と呼ばれる画家だ』と言ってもらえると考えたわけ」

「まあ」

と言った。表でまだ弁護士が、

『先生はその壱萬圓を、上野の浮浪児にあげたと言っておられるのですよ。みなさんはお疑いかもしれませんが、わたしは「さすが一流の画家」と思いました。続く3件にしても、詐欺というようなものじゃないのじゃないでしょうか。あれは「軽いイタズラのようなもの」と考えるべきで……』

などと言っているのが聞こえる。それに応えて『やつは丸ビルで何してたんだーっ!』とヤジる声がしたけれど、弁護士は『だから!』と声を張り上げて、

『だから先生は無実なのです! だからすべてはGHQの陰謀なのです。もしも先生をリンチ(私刑)にかけたら、真相はウヤムヤになるでしょう。それは本当の犯人を喜ばすだけです。それがおわかりになりませんか!』

と叫んだ。マサが、

「そう来たか」と頷いて言った。「あの理屈に飛びつくやつはいるでしょうね。でもあなたを吊るそうって人には通じないんじゃないかしら」

「そう思うか」

「思うわね。事件の1ヵ月前に、あなたは拾何萬かのカネをサギろうとして失敗した。それだけのカネがあなたは要るってことよ。でなきゃそんなことしない。絵の大家が絵の大家ヅラをするにはそれなりのカネが要るもんなのよ。文無しじゃいけない。だから人を殺してでも大金を手に入れようとしてあれをやった――その記事で、もう日本中みんながそう考えるようになった」

「うーん」

と言った。さっきから、もう唸るしかなくなっている。
作品名:粧説帝国銀行事件 作家名:島田信之