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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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黄昏クラブ

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 家に帰ってからも、私の心は落ち着かなかった。
 思った通り、弟が部屋中散らかして、そこいら中に食べ残しのスナック菓子の空き袋やカップ麺の容器が散乱していたからだ。ヒステリックにガキどもを負い散らして、弟に自分の後始末を命じる。
 不平は許さない。気を許すと、部屋そのものがゴミ箱になってしまいかねないのだから。
「お母さんは?」
 私は訊く。
「知らねえよ」
 ぶっきらぼうな答え。知らないで済ませられるお前は気楽でいいよね。
 私は冷蔵庫を開ける。
 豆腐、人参、キャベツ、納豆。肉類はない。
 マジ、高校生の私に主婦やれったって無理ゲーじゃん。
――って、私ってば、何やってんの!?
 恭一は男だし、そもそも男が家事をしなければいけないないて、彼自身はこれっぽっちも思っていない。
私が幾ら逃げても、幾ら目を逸らそうとも、恭一には関係がないのだ。
 つまり私は、いたら便利いなければいないで、それなりに問題のない存在なのだ。恭一にしてみれば、小うるさい姉がいない方が気楽だと思っているのだろう。
 でも、誰も私を誘いも誘惑もしなかった。それが却って私を落ち込ませた。
 母も、口にこそださないものの、進学せずに就職してほしいと思っているのが、ありありだった。私自身、何を勉強すればいいのか、将来どんな職に就きたいのかも定まっていないのだから、あまり勉強好きともいえない私が進学なんて、考えるだけで笑止だった。
 バイトもしているし、自分で仕事をして一刻も早く自立する方が現実的だった。それでも敢えて進学しようと決めたのは、ささやかな反抗心からだった。
 人参とキャベツのコンソメスープ、それに納豆というちぐはぐな夕食の準備をする。ごはんの方は先に研いでおいて浸潤さておく。母は残業だとか飲んで帰るとか何も言わないから、とりあえず三人分の夕食を作る。もし飲んで帰って来ても自分の分がないと分かるや、途端に不機嫌になるのだから。食べる食べないは別にして。
 食事の準備を終えた私は、自分の分だけを盆にのせて机に向かった。度々聞こえてくる「鞠と殿様」について調べるためだ。
 小さい頃に買ってもらった童謡集に、それはあった。

  てんてん手鞠、てん手鞠
  てんてん手鞠の 手がそれて
  どこから どこまでとんでった
  垣根をこえて 屋根こえて
  おもての通りへ とんでった とんでった

  おもての行列 なんじゃいな
  紀州の殿さま お国入り
  金紋 先箱(さきばこ) 供ぞろい
  お駕籠のそばには ひげやっこ
  毛槍をふりふり やっこらさのやっこらさ

  てんてん手鞠は てんころり
  はずんでお駕籠の 屋根のうえ
  もしもし 紀州のお殿さま
  あなたのお国の みかん山
  わたしに 見させて下さいな 下さいな」

  お駕籠はゆきます 東海道
  東海道は 松並木
  とまり とまりで 日がくれて
  一年たっても 戻りゃせぬ
  三年たっても 戻りゃせぬ 戻りゃせぬ

  てんてん手鞠は 殿さまに
  だかれて はるばる 旅をして
  紀州はよい国 日のひかり
  山のみかんに なったげな
  赤いみかんに なったげな なったげな

 印刷された歌詞はそんなものだった。
 幼稚園で歌った記憶はあるものの、こんな歌詞だったとは知らなかった。私が知っているのは「てんてんてんまり、てんてまり」だけだったのだ。それが大名行列が関わっているなどとは思いもよらなかった。さらに調べてみると、手鞠を追いかけて紀州の大名行列の真ん前に出てしまった女の子が切り捨てられたとかされないとか。
 紀州と言えば徳川御三家の直轄領だったはずで、幕藩体制に対する批判の意も含まれているのだろうか。ならば、路上で切り捨てられた少女の魂が遠く運ばれて、愛する手鞠にそっくりなまん丸のみかんを多く実らせたというのも、因果というか薄ら寒いものを感じざるを得ない。真っ赤なみかんという表現も、意味ありげに思えてくる。
 強権に負けないぞという庶民の強さを表しているのだろうか。
 でも、鞠と殿様の唄が何故現代の部室棟で聞こえてくるのかの手掛かりには程遠い。高校生にもなって鞠つき遊びをするような者など、たとえ女子であってもいない。似たようなものと言えば、バスケ部のドリブルくらいのものだろうが、長閑に遊んでいられるようなものでもない。
 ならば、どうして童謡の手鞠唄が聞こえてくるのか。
 私は首をひねるばかりだった。
 とぼけているのか、はたまた私にしか聞こえないのか、吉井のどかもそのことについては気にも留めていないようなのだ。
 そういえば、彼女は古典部の本は一通り読んだようなことを言っていた。ひょっとしたら童謡についても何か知っているかもしれない。直接にではなく、遠回りに訊いてみるのも手だろう。
 そう、それがいいと私はその案に満足した。

 翌朝早々、私は部室に赴いた。
 早いとはいえ午前九時は過ぎている。体育系のクラブはもっと早くに練習を始めている。だが、文化系でこの時間に登校して来る者は、まずいない。
 部室の鍵を開ける前に古典部の扉を確認したが、閉まったままだった。
 誰も来ない部室、勉強するにも読書するにも最適な静かな空間。開け放たれた窓から聞こえる運動部の掛け声さえ、やさしいバックグラウンドとして耳に心地よい。
 人のいない部室は、自分だけの秘密の場所のようで寛げる。暇になれば図書館へ行って適当な本を借りて来ればいい。
 何度か思い立っては隣の古典部を確認してみたが、いずれも鍵が掛ったままだった。
 学校は休みでも、チャイムだけは時間通りに鳴る。昼休みのチャイムが鳴ったのを聞いて、私は廊下に出た。ただ座って本を読んでいただけでも、お腹は空いてしまうものだ。
 夏休み中は学食も休みだ。近くのコンビニに行くか、正門前のサブ学食に行くか考える。サブ学食とは言うものの学校公認ではなく、この学校の生徒のためだけにあるような古びた食堂で、メインはお好み焼きやたこ焼きなどの軽食を出している。ごはん物も定食ではなくカツ丼や卵丼など、普通の学食のメニューと似たり寄ったりだ。それでもコンビニで買うよりは安上りなので学期中でも結構流行っている。値段の割には量は学生向けだから特に男子の人気が高い。
 たまにはいいかということで、たこ焼きをテイクアウトした。もしやと思い古典部の扉を引いてみたが、やはり開かなかった。
 一舟半のたこ焼きを突きつつ、本を読む。吉井のどかがいたら、一緒に食べられたのにと思う。一人が好きだとは言っても、話し相手がいないのはやっぱり寂しいものだ。
 下校を促す放送が流れる。結局、今日も誰一人訪ねては来なかった。ため息をつきつつ、窓を閉める。夏のこの時間、午後五時はまだ明るい。薄暗い部室から真夏の陽の下に出ることに躊躇してしまうほどに。
 だから、私はダメ元で古典部の扉を引いてみた。
 建付けの悪さは言わずもがな、扉は思いもかけず開いた。不必要に力んでしまったのが馬鹿みたいに。
「あら、ごきげんよう」
 こともなげに、窓際のいつもの席に掛けたまま、吉井のどかは言った。
「こ、こんにちは」
 幾分上ずった声で、私は挨拶を返す。
作品名:黄昏クラブ 作家名:泉絵師 遙夏