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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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黄昏クラブ

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 稲枝が帰った後の部室は、いつも通りだった。他に誰も訪ねては来ず、私は一人で本を読んでいた。
 机の上のラジカセがクラシックをエンドレスで流してくれている。いまどき時代遅れのカセットのオートリバース。一時間おきくらいにリバースがかかる音も、今では耳障りとも思わない。
 初めてこのダブルデッキのラジカセを見たときはびっくりした。CDさえ珍しくなってきていた時代だから、私にしてみれば蓄音機を生で見たような感覚だった。付け加えておくと、このラジカセは昭和六十二年度の卒業生寄贈という由緒正しい文芸部の備品でもあった。
 そう、このラジカセはかれこれ三十年以上もの間、文芸部員を見送ってきたのだ。いま、私は十七歳だから、あと三十年と言えば――
 いや、それは考えるのはよそう。
 私は音楽を流しながら本を読むときもあるし、むしろ音楽が邪魔になるときもある。その時々の気分でラジカセを使ったり使わなかったりもする。今日はパッヘルベルを流している。何となく、それこそ何となくの気分で。
 何度目かのリバースがかかってしばらくした頃、部室の扉が開く。
「早乙女、帰れよ」
 ぶっきらぼうな物言いは、地理の水無瀬(みなせ)先生だ。
「はい」
 いつものことなので、お互いにそれだけしか言わない。水無瀬先生は考古研の顧問だったというが、今は考古研自体が部員もなく休部扱いだ。幽霊ばかりとはいえ存続していられるだけ、文芸部は幸運なのかも知れない。
「先生」
 ふと思いついて、私は水無瀬先生を呼び止めた。「ちょっと、お聞きしたいことがあるんですけど」
「何だ?」
「隣、何部なんですか?」
「どっちの?」
 私は視線だけで示した。
「ああ」
 先生はあまり気のないような表情で言った。「昔は古典部が使ってたらしい」
「空き部屋ですよね?」
「うん。ずっとそうだ。俺が来る前から」
「そんなに前から」
「それが、どうかしたのか?」
「いえ。少し気になっただけで。なんでもないです」
 水無瀬先生は古参で十年以上この学校にいるはず。それはつまり、古典部はそれ以前から部員ゼロだったということになる。あの子は、お留守番と言っていた。ならば、古典部のお留守番は代々受け継がれているのだろうか――?
 いやいやいやいや!
 私は思いっきりかぶりを振った。
 それならば、よくある学園ものアニメの部室争奪戦の方がよっぽど現実的だ。空き室の多い文化系部室に留守番や用心棒が必要とは考えられない。
 まあ、世の中には常人の考えもよらぬことを平然とやってのける手合いもいるのだから、伝統ある古典部の部室を死守するために誰かに雇われて――
 いや、それもないだろう。それならば、雇い主は誰かということになってしまう。部員がいないということは、留守番を雇う者もいないということだ。それとも、OBか誰かが? それも、あまり現実的ではなさそうだ。
 一番無難な見解は、私と同じく、ただそこにいたいだけということになる。
 でも、なぜ?
 私にはただ早く帰っても煩いだけっていう理由があるし、静かに本を読んだり、たまには勉強したりという一人の時間をもちたいからなのだけど、彼女はどうなのだろう。
「ま、そんなに気にすることもないか」
 ラジカセの電源を切って、本をしまう。
 部室の鍵を閉めて、数歩歩く。
「ん?」
 隣の、かつては古典部の部室だった部屋の扉が開いている。完全にではなく、ほんのわずか。開いているよとさりげなく誘っているような、ほんの数ミリ程度の隙間。
 私はしばらくの間、扉の前で躊躇した。
 扉を開けるべきか否か。
 中途半端に出した手指が何度も宙を泳ぐ。
 無意識に飲み込んだ唾が喉を鳴らす音にさえおびえそうになる。
 そして、思い切って開けたその先には……。

「え? ちょっと、もったいぶらないでよ!」
 真紀理が詰め寄る。
「まあまあ、そう慌てないの」
「娘相手にトークショーやらないでよね」
「いいじゃない。たまにはお母さんのペースに合わせてくれたって」
「マジ、マイペースって分かるわ」
「はいはい、自覚してます」
「で? そこには何があったの?」
「それがねえ……」
 私は視線をさまよわせた。

 休部中だという古典部の扉を開けた私が見たものは、何もない部屋だった。
 本当に何もない、棚も机も椅子もない、ただがらんどうの空間。夕暮れに沈んだ空っぽの部屋だった。つい先日、あの不思議な少女が掛けていた椅子さえもない。それに、その部屋に漂う空気は、もう長いこと人の出入りがなかったことを示すような、|饐《す》えた匂いさえ漂っていた。
 古典の本が並んでいたはずの書棚もなく、今どき珍しい木の床には誇りが積もっていて、誰の足跡も印されてはいなかった。
「早乙女さん?」
 最初、名前を呼ばれたことにさえ気づかなかった。
「早乙女さん?」
 肩に手を置かれて、ようやく我に返った。
「どうしたの、こんなところで?」
 三富先生だった。
 私は古典部前の廊下に立っていた。その扉は閉まっている。
 あれは、幻覚だったのだろうか――
「いえ、帰ろうと思って」
「ここは……」
 私にはそんな余裕はなかった。
 だが、三富先生は複雑な表情で、本来ならクラブ名が掲げられているはずの場所を見ていた。
「先生、お先に失礼します!」
 私はわけもなく駆け出した。
 そのまま駆けて駆けて、走って帰ったような記憶がある。でも実際はバスと電車を乗り継いでいるはずなのだが、自分の中では全力疾走で必死に帰ったようにしか思えなかった。
 私が彼女に会ったのは月曜日、ほんの二日のうちに部屋をすっかり片付けてしまえるとは思えない。不可能ではないにせよ、放課後はいつもすぐ隣の部屋にいたのだから、物音がすればそれに気づかないはずがないのだ。放置された部屋の整理など、珍しくもない。時々は話すことのある生徒会役員の朝香も愚痴っている。この学校では基本的に廃部ということはなく休部にしかならないために、活動再開時のために何もかも処分するわけにはいかないのだとか。
「アニメとか見てたらさあ、生徒会って絶大な権限持ってるみたいに思うけど、実態は雑用係なんだわ」
 朝香がタオル掛け体操着姿でリヤカー押しながら文句を言っていたっけ。
 学校を牛耳って君臨したいと思っていた朝香にとっては残念なことだったようだ。中学も公立だったけど、生徒会は各クラスの学級委員は必然的に生徒会メンバーだったし、各委員も生徒会とはつながりがあって、それなりの交流があったように思う。生徒と生徒会の乖離が高校の生徒会を異常なまでに理想化しすぎたのがアニメに反映されているのかと考えてみたりもする。
 ま、いずれにせよ、私としては自分だけの静かな環境が確保されるのなら、他のことはどうでもよかった。
 敢えて言うならば、親友のことさえも。
 彼女たちには彼女たちなりのものがある。
 大切な友達だけれど、必要以上に踏み込むこともない。
 こんな私でも、ときに相手をびっくりさせるような鋭いことを言うらしい。私自身は全く自覚がないんだけれど、そのことが却って怖ろしいんだとか。

「あー、それ、分かるー」
 真紀理が言う。
「えー? 私って、そんなこと言ってる?」
作品名:黄昏クラブ 作家名:泉絵師 遙夏