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平沢貞道を無罪にすれば8万の絵が8億で売れる


 
前回はええとなんだったっけ。8月のくそ暑い日に、前にカネを貸してたやつが上着を着てやって来て、「お金を返しに来ました」と言う。「それはそれは」と応えたところ、しかしそいつはその上着に手を突っ込んで、
 
「アッ、スられた」
 
という、そういう話でしたね。しかもその額が凄くって、今で言うなら
 
   百万円。
 
お札が百枚。そんなもん、どんな財布に入ってたんだ。夏の暑い日にそんなもんをスリに盗られて、気づかねえやつがいてたまるか。そういう話でございました。
 
だが、これがいつの間にか、前回引用した通り、たとえば2014年に出た溝呂木大祐・著『未解決事件の戦後史』(双葉新書・リンク貼れず)という本などでは、
 
   *
 
(略)また平沢は、件の名刺は盗難に遭ったバッグに入っていたものだと証言し、実際に盗難届も警察に提出されていた。それでも居木井(警部補)は平沢に固執し続け、強引に接触。
 
   *
 
という話になっている。スリではなくて置き引きに遭った話に変わってる、という話でございました。
 
おそらく、帝銀事件について書かれたほとんどの本でこの件は、平沢貞道は財布を入れたバッグを置き引きされたことになってるのじゃないか。あの事件をGHQの実験だとしたい者には、
「アッ、スられた」
は非常にまずい。しかもそれが8月の暑い日のことだと聞いたら、普通のマトモな人間なら、
 
「だったら平沢が犯人に決まってんじゃねえかよ」
 
と言うことは疑いない。1948年9月に新聞読んだ当時の人々がみんなそう言ったように。そうなるのは非常にまずい。
 
だからスられたのではなくて、置き引きに遭ったことにしてしまうのだ。
 
と、そのようにおれは推察するという話でございました。しかし最近、特に平成の30年間に出た本は一冊残らずそうだとしても、セーチョーが『小説』を書いた1959年頃にはまだそうでなかった。そのようには書けなかった。まだ人々の記憶に事件が新しく、11年前に新聞読んだ人らがみんな、
「アッ、スられた」
の話を憶えているために、「カバンを置き引きされた」とは書きようがなかったのである。
 
そんなわけで前回の続きだが、セーチョーの本に戻って検証しよう。おそらく八兵衛が聞いたのだろう《平沢のパトロンとされる人物・佐藤健雄》が語った話をもう一度引用すると、
 
   *
 
「私はパトロンでもなんでもなく、平沢から、家を建てるから、一万円貸してくれ、と言われ、そんなに親しくもないのに、図々しいと思いながら貸してやりました。すると、八月の暑い日に、その金を返しにきたと言いましたが、上着のポケットを見て、あっ、掏られたと言い出しました。しかし、私は、人に返す金は大切にして持っているのがふつうだから、掏られたというのは嘘だと思って、信用しませんでしたが、一応届けたほうがいいというと、帰りの電車賃もないし、買い物もしなければならないので、五百円貸してくれと言いますので、千円貸してやりました」
 
アフェリエイト:小説帝銀事件
 
こうだ。しかしセーチョーは、これを古志田(居木井)警部補が公判で述べた話に過ぎないと言う。居木井もしくは平塚八兵衛の捏造だ。佐藤は刑事に『嘘だと思って、信用しませんでした』とは言っていないに違いないと。なぜなら、
 
   *
 
 ところが佐藤の証言によると、古志田の証言とは違っている。
「平沢は、あっ、掏られた、と言って、みるみるうちに顔が蒼くなった。お芝居ではこうはできないから、掏られたのはほんとうだと思った。平沢さんの掏られた財布は鰐皮の立派なもので、前から見て知っていた」
 と彼は言っている。また、
「平沢さんは、その日、来る途中で、日暮里で田舎に帰るという旧友の画家に会ったが、困っていたらしいので、財布から五百円出してやった。そのときスリが見ていて、目をつけていたらしい、とも語っていた」
 とも証言している。彼の妻も、平沢が顔色を変えたと証言しているのだ。
 
   *
 
と書いている。別のページの記述によると、これは公判第一審の第三十五回でのことらしい。
 
「ホラ見ろ、どうだ!」とセーチョーは言わんばかりな感じである。佐藤は平沢を信用していた! スリの話を事実に間違いないと感じた! としたら、確かに、ちょっと話が変わってきそうだ。きそうだが、でもやっぱり、その公判でも佐藤という人物はその出来事を、
 
   *
 
非常に暑いとき、時間は十二時ちょっと前
 
   *
 
のことと言ってるらしいのだ。裁判でそう証言していて記録にそうあるわけだ。
 
だからおれには、やはりとても信じられない。8月の暑い真っ昼間に、札が120枚入った財布をスられて気づかないなんて信じられない。『スリが見ていて、目をつけていたらしい』なんて言うけど、スリがそんなの目をつけるとは信じられない。
 
というか、目をつけたとしても、スるのは絶対に不可能と見て追い剥ぎに切り替えるのじゃないか。
 
おれはそう思うんだけど、だがその疑問は脇に置いて、あなたにちょっと考えてほしい。佐藤夫妻が公判でそう証言しているのなら、ひとつ確かなことがある。
 
「アッ、スられた」が本当で、「置き引きされた」は間違いだ。この50年ばかりに出た平沢の無実を唱えるすべての本で平沢は松井名刺の入った鞄を置き引きされたことになってるだろうが、それらはみな嘘である。そう書いている本は、それ以外の記述もすべて、一字一句たりとも信じてはならない。1ページ目から最後のページまで、全部が全部一行残らず嘘とゴマカシとみなしていいし、そうすべきだ。
 
この考えを誤りと言う人はまさかいないでしょうね。佐藤夫妻は平沢が、事件直後の1948年2月から話を置き引きに変えているのを知らなかった。だからそのときの記憶のままに、上着のポケットに手を入れて「あっ、掏られた」と言ったと証言している。それを芝居と思ったか思わなかったかは別として。
 
セーチョーはこの証言を重く見て、スられたのは本当とする。問題は松井名刺がそこに入っていたかだが、いなかったと断定することはできないのだから入ってたんだ、入ってたんだ、入ってたんだと断定する。これこそ平沢貞道氏が絶対無実であるという証拠でなくてなんであろうくわあっ!
 
なんてこと言う変な人は、アメリカの陪審員裁判でも12人中ひとりやふたりいるだろうねえ、まあ確かに。そのふたりを納得させなきゃ、平沢貞道を〈ギルティ〉の電気椅子送りにできない。
 
やれやれ。しかしほんとのところ、佐藤夫妻は平沢とどういう関係なのだろう。パトロンと聞いて調べに行くと、パトロンじゃないと言いながら一万円貸してやり、さらに千円貸したと言うのか。今のお金で単純に百倍として110万。
 
それでパトロンじゃない……いやまあ、セーチョーはこの話、全部が全部居木井の嘘と決めつけてるんだったか。もちろん〈一審三十五回公判〉の話は、夫妻が直接法廷で言ったことを記録したものなのに対し、居木井が言うのは「部下がそう聞いてきたもの」という話に過ぎない。
 
作品名:端数報告 作家名:島田信之