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上着に手を突っ込んで「アッ、スラれた」と言う男


 
こと犯罪に関わることでは、人の話を簡単に信じることがあってはならない。
 
そんな話を前に書きました。それから、おれの従妹で幼稚園児の○子ちゃんの本棚に○子ちゃんパパが帝銀事件の本を挿していたという話も前に書きましたが、あれについては半分は本当だけど半分嘘です。
 
事実はその本棚は部屋の天井近くまである大きく背の高いもので、下半分が子供用、上半分が親の棚となっており、帝銀事件の本は○子ちゃんの手の届かない最上段にありました。こういう種類の嘘もあるから世の中は油断なりません。
 
もちろん、ここにあらためて書いた話も裏を取らずに信じてはいけない。でもまあ、嘘じゃないだろうなとおわかりになると思いますが、そもそも全部最初からおれが話を作っているとしてもあなたにはわからないのだし、おれ自身が記憶違いをしていることも当然あるわけなのですから。
 
だから今からここに書くことも、信用して読まないこと。前回は一枚の名刺から平沢貞通が捜査線上に浮かんだが、平沢は、「それは財布に入れていたのを盗まれた」と言ったという話でした。しかしいろいろと話が違う。
 
そういう話だったけれどもまずこの点、『刑事一代』では平塚八兵衛が春頃に、先輩から「やってもムダ」と言われながらに調べに行ったことになっている。だがセーチョーの『小説』では、居木井警部補が7月に刑事を調べに行かせたことになっていて、それが八兵衛らしく読める。
 
どっちだ? 『刑事一代』は八兵衛本人が語る話を聞き取ったものだが、つまり本人が資料を見ながら自分で書いたわけではないうえ事件から30年もして、「細かい日付なんかは思い出せない」と言いながらに述べてることだ。一方でセーチョーの『小説』も、公開された資料が頼りのものだからどこまでほんとかアテにならない。
 
が、八兵衛が春に調べて報告していたのなら、居木井は平沢に会う前からクロの印象を持っていてもいいはずだ。しかし、どうやらそうでなく、6月に当人と会って初めて「こいつに違いない」と睨んだように思われる。で、東京に戻ってから、八兵衛を調べに行かせたというのが正しそうに思える。でないと話がうまく合わない。
 
だからたぶんそうなんだろうということにして、話は前回の続きである。
 
松井名刺。平沢の言うところによれば、4月の末に松井博士と交わした名刺を財布に入れていたものが、8月に佐藤という人物に一万円借りてたのを返すために訪ねていって、上着のポケットに手を入れたら、
 
   *
 
あっ、掏(す)られた
 
アフェリエイト:小説帝銀事件
 
と言ったということになっていて、被害届を交番に出してる。この部分、前回に引用した『未解決事件の戦後史』(著・溝呂木大祐 双葉新書 リンク貼れず)という本では前回に引用した通り、
 
   *
 
帝銀事件の犯人のような知能犯が、本人から直接受け取った名刺を悪用するだろうか? だが、居木井は平沢に執着した。なお当時、居木井は宗教的な姓名判断に凝っていたといわれている。その占いで、「平沢貞通」という名前が怪しいという結果が出たことが、居木井の背中を押したという説がある(諸説あり)。
 都内在住の平沢だが、この頃は小樽に長期滞在中だった。また平沢は、件の名刺は盗難に遭ったバッグに入っていたものだと証言し、実際に盗難届も警察に提出されていた。それでも居木井は平沢に固執し続け、強引に接触。食事を共にする場を設け、記念写真と称して、その顔写真を入手するなどもした。
 
   *
 
なんて書き方がされていて、居木井警部補はまるっきりイカレ警部補扱いだ。
 
けど、ちょっと話がおかしい。平沢は佐藤の前では上着のポケットに手を突っ込んで、「アッ、スラれた」と言ったという。だが被害届では〈バッグに入っていたもの〉を置き引きされたとなってるのか。これは言ってることが違くありませんか。
 
って、そんなのたいした違いじゃない? そう、セーチョー先生などは、この点をまるで気にかけない。確かにたいした違いじゃないかもしれぬが、しかし、ちょっと考えてほしい。何よりも、
 
   8月に上着?
 
この点だ。着るか、普通。いや、もちろん着ちゃいけない決まりはないが、ちなみにこの日は8月12、前回引用した文を読み直してほしいが、そこには《暑い日》と書いてある。8月の暑い盛りの時期に上着……。
 
いや、もちろん、着ちゃいけない決まりはない。平沢はこの一年後に逮捕され、北海道から東京に連行されるとき、麻の上着を着ていたと『刑事一代』に書いてあるから、それと同じ服かもしれない。
 
しれないけれど、もうひとつだ。その日、そのスラれたという財布に入れていた金額は前回に引用した通り一万二千円であったという。
 
   百円札で120枚。
 
すごい札束ではないか。それが入る財布って、どんな財布だというのか。全体の重さはどれだけなのか。
 
上着の下はごく薄いシャツ一枚に違いあるまい。そんな財布をスラれて気づかずいるなんてことがあるもんなのか。
 
   あまりにも不自然じゃないか。
 
そう思いませんか、皆さん。このときの(おそらく八兵衛)刑事の調べでは、前回引用したように佐藤は平沢の言うことを信用しなかったことになっている。で、平沢は交番に被害届を出すが、そこではスリでなく置き引きに遭った話になっているのか。
 
 
   だったら、それは佐藤にそこを突っ込まれたからじゃないのか。
 
 
ひょっとして、そうじゃないかとおれは思うがどうでしょう皆さん。8月に上着なんか着て、そのポケットに手を突っ込んで、「アッ、スラれた」と言う男。彼がスラれたと言い張るのは、ものすげーズッシリとしているはずの立派な財布。
 
「この暑いのに、スラれて全然気づかなかったなんてあるわけない」と佐藤に言われ、交番では置き引きに遭った話に変えたというのは、ちょっとおかしな推理でしょうか。
 
さらに言えばまた話は食い違うが、『刑事一代』では平沢は、交番には置き引きでなくスリとして届けたことになっている。ただし、
 
   *
 
 それともう一つ、平沢はスリにすられたという被害届と一緒に、交番へ扇子を提出してるんだな。これもおかしな話だが、スリが一万円だかをポケットからすったとき、扇子をほうりこんだというのさ、ヤツのポケットに。この扇子もあとで調べたら、冬は薪炭(しんたん)、夏は氷を売っている店が、得意先に配るため作ったものでな。その近くに平沢の次女が嫁いでる。「八重菊」ってゴム印がはいった扇子だが、五十本作ったうちの一本が、次女の家にも配られてたのさ。状況はクロくなるいっぽうだ。
 
アフェリエイト:刑事一代
 
と。つまり財布の代わりに扇子を入れられたがために、スラれたことに気づかなかったという言い分なんだろう。この八兵衛が語る話が事実らしく思えるので、置き引きに遭った話に変えたのは帝銀事件の後ではないかという気がする。事件の後で北海道に逃げたらすぐに小樽の刑事が自分を訪ねてきたのでそこで、「手提鞄に入れておいた財布ごと」と言い出したのだ。
 
作品名:端数報告 作家名:島田信之