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一等船室で乗り合わせた男


 
前回は、〈三菱銀行中井支店〉は帝銀事件全体の中で大きな話のはずなのに大きく扱われていない、という話を書きました。誰に扱われていないかと言えば事件をGHQの実験だということにしたい者達からだ、という話を書きました。
 
帝銀事件の一週間前に起きた類似の事件で同一犯によるものなのは明らかだとされながら大きく扱われていない。奇妙きわまる話なのに「なぜ犯人はこんな奇妙な行動を」といった話になっていない。それはなぜかという話でした。 
 
GHQの実験だとしたい者らにこの一件は無視されている。彼らにはなぜここでは犯人が誰にも薬を飲ませなかったか理由がまったくわからないため「取るに足らない出来事」として片付けている。帝銀事件の一週間前に起きた出来事だというのに。
 
という話でしたが平沢がやっぱり犯人なのだとすれば謎はなんなく解けるわけです。なぜ前年10月の〈安田銀行荏原支店〉の後に3ヵ月の間があるのに、〈三菱中井〉のすぐ後に帝銀事件が起きたのか。荏原のときにはどうして誰もちょっと気分が悪くなっただけだったのかということも含めて、すべてをカッチリ説明できる。
 
と、そういう話でした。荏原のときには誰も殺すつもりがなく、猫イラズかアリ殺しでも少量飲ませて10分待った。しかし全然足りずに失敗。巡査を呼ばれることにもなって、どうにか現場を逃げることもできたけれども、これはヤバイからもうやめようと考えた。
 
そのため次の〈中井〉まで3ヵ月の間があるが、このとき平沢はもう完全にカネに困り切っていた。何人もの相手から借りられるだけのカネを借り、三越での日米交歓会が控えているのに会費の150円も払えない。そこでやはり〈荏原〉の手で銀行をやろうと思い立った。
 
今度は猫イラズではない。青酸カリだ。でなければダメだ。画材として使う薬品であるがためそれは手元にあったけれども、しかし、やっぱり、殺しはちょっと……。
 
というので中井では、人に飲まさずやろうとした。だがうまくいかなかった。結果、三越の晴れ舞台に、財布をスラれて持ち金が無い芝居をし、その場にいた誰もから毛虫でも見るような眼で眺められた。
 
だからもう、やっぱり毒を飲ますしかないと考えたのだ。致死量の半分なら死なないだろう。でも死んでも構うものか。
 
オレは偉い画家なのだ。世界がオレの絵を認めれば、日本の復興のためになるのだ。今のおれには10万円が必要であり、それは10人や20人の凡人の命を上回る――。
 
と、ラスコーナントヤラみたいに考えてやったと思えば、事件のすべてにきれいな説明がつくじゃないか、と。
 
そんな話をしましたが、肝心のカードの話をしませんでしたね。元はと言えばポーカーゲームの話だったはずなのに。
 
映画『サムライ』の主人公は殺しの後でカードゲームをやっているから捕まります。帝銀事件の平沢もまた、一枚のカードが元で捕まります。カードはカードでもcalling card。日本語で言う名刺です。
 
前年10月の荏原支店事件の際に、犯人は、《厚生技官医学博士松井蔚(しげる)》と書いた名刺を出して「自分はこういう者である」と告げていた。支店長はこの名刺を保管していた。
 
警察が調べてみると、松井蔚という人物は実在することがわかった。で、セーチョーの『小説』によると、
 
   *
 
 この名刺の特徴は、蔚のクサカンムリと、尉とを別々にくっつけたものであることで、警視庁鑑識課の写真係で写真鑑定したところ、間違いなく、博士が、二十二年三月二十五日、宮城県庁地下室の印刷所で百枚あつらえたもののうちの一枚であることがわかった。印刷所でも、当時、蔚という活字がなく、上と下とくっつけ合わして作字した、と証言した。
 すると、この犯人は、二十二年三月二十五日から、安田銀行荏原支店でこの名刺を使った同年十月十四日までの間に、同博士と名刺をやり取りした人、または、それと関係のある人物、ということになる。塚本部長刑事らは、仙台に泊りきりで、松井博士宅に保存してあった、交換した相手の名刺、百二十八枚を借りて、交換先を調べはじめた。
 
アフェリエイト:小説帝銀事件
 
おお、なんという手がかりだ! ちなみに、刷った名刺が100枚なのになぜ交換した相手が128人なのかというと、複数の相手に対して一枚を渡した場合が結構あるということだろう。そして平塚八兵衛も、『刑事一代』によると、
 
   *
 
 ずいぶん一生懸命やったが、地取りからはどうしてもいいネタが出てこねえんだ。(略)これはブツ(物)をあたるしかねえって思ったよ。(略)
 すると、いまの課長代理にあたる甲斐さん(文助、当時捜査一課係長)が、いきなり「命じられた地取りをダメだっていうのは、やる気がねえ証拠だ。こいつみてえなのは、ほったらかしておけっ」。こういうんだ。(略)
「やる気があるから、意見をのべたんだ。(略)それを怒るなんてバカな話があるか」ってな。
(略)
「お前いったいなにをやりたいのか」。そこでまた「ブツよりほかにない」って答えたのさ。
(略)「じゃ、名刺の線をやれ」っていわれてな。さっそく、タタキ(強盗)の部屋へ回されたよ。(略)殺しの部屋からタタキへ行くってのは、こりゃ、格下げなんだ。仲間からは「てめえ、なにも好んでタタキの部屋に行くことはないじゃねえか」っていわれたよ。
 
アフェリエイト:刑事一代
 
こうしてみずから、主流を離れた名刺班に加わったという。そのとき既に名刺班では128の名刺の中に一枚あった、《平沢》と書かれたものを取り上げて、松井博士にこれはいかなる人物かと訪ねていた。セーチョーの『小説』によると、
 
   *
 
(略)博士は答えた。
「昭和二十二年四月二十五日に北海道に出張して、その帰り、二十六日か七日に、青函連絡船景福丸の一等船室で乗合せた。なんでも、『春遠からじ』とかいう、皇太子殿下への献上画を持って上京するところだとか言っていたが、人相などははっきりおぼえていない」
 
   *
 
で、刑事を平沢宅にやってみると、貞道は事件の日には東京にいたが、そのすぐ後で北海道に行ったきりであるという。小樽署に捜査方を依頼すると、平沢に聞いた応えとして、
 
   *
 
「松井博士と名刺の交換はしたが、その名刺は二十二年ごろに、三河島駅の待合室で、手提鞄に入れておいた財布ごと盗られ、同駅前交番に届けて置いた」
 と言う報告があった。荒川署で調べると、当時たしかにその被害届が出ていたこともわかった。(略)
 こうして、画家貞通の名は、すでに名刺捜査の初期において、一度捜査線上に浮んでいたのである。しかし、警視庁の捜査の主流は、当時、軍関係の追及にあった。このことに専ら精力を注ぎ、多忙であった。平沢画伯のことは、たいして怪しみもせず、取り上げなかった。だから名刺捜査班の地道で執拗な追及は、捜査本部からみると、あまり当てにしていない冷たい傍流であった。
 
   *
 
と、そんなところに八兵衛がその冷たい傍流に加わる。『刑事一代』によると、
 
   *
 
作品名:端数報告 作家名:島田信之