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短編集68(過去作品)

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傀儡



                 傀儡


 地下鉄の駅の階段を下から眺めた時、いつもより長く感じられた。朝から少し熱っぽかったのだが、仕事を休むわけにはいかず、早朝から開いている薬局でスタミナドリンクを一本飲み干し、何とか一日を無難にこなした。電車に乗る時に降りた階段は、ちょうどホームに滑り込んできた電車に乗ろうと必死で降りたため、まったく気にしていなかったのだ。
 階段を見てウンザリした佐々木佑哉は、エスカレーターを選択した。いつも階段しか使ったことがなかったのは、二列がやっとのエスカレーターに人がなだれ込んでくることで、身動きが取れなくなるのを嫌ったからだ。
 いつも階段の近くに乗車し、一番に駆け下り、階段を駆け上がる。それが佑哉の日常で、健康のバロメーターでもあった。
 熱っぽいのに健康も何もあったものではない。痩せ我慢するのも自分らしくない。人と同じでは我慢できないことで一気に駆け上がるのだが、日課になってしまったら、人がどのような目で見ようとも気になるものではなかった。
 佑哉はナルシストである。自分でそう思っているのだから間違いないだろう。まわりの人は口にしないだけで百も承知のはずだ。知られているならその方がいい。人と同じであれば嫌だという性格を表に出しやすいというものだ。
 ナルシズムの何が悪いというのか、佑哉はいつも感じている。誰だって自分が可愛いんだ。自分を自分で好きになれなくて、人を好きになどなれるはずなどないというものだ。自分よりも人のことを考える人がいる。それだってまずは自分を分かっていなければできないことだ。自分を理解しようともせず人を分かろうとするのは、自分から逃げているに他ならない。
 ナルシズムになった理由の一つは、親を見ているからだった。父親は人がいいばかりのどこにでもいる平凡な人だ。酒も飲まなければタバコも吸わない。もちろんギャンブルなどするはずもなく、そんな男性に女性が寄ってくるはずもない。とにかく、子供から見ていても魅力がないのだ。
 ただ、会社ではそれなりに出世はしていた。佑哉が子供の頃には課長になっていて、課長という仕事がどんなものか知らない佑哉は、
――課長って偉いんだ――
 と思ったものだ。
 だが、酒を飲まない父親が、一度泥酔して帰ってきたことがあった。母親の手におえる状態ではなく、最終的には交番から警官が駆けつけるまでに至った。近所迷惑を母親が必死に謝っていたが、父親はそのまま眠ってしまった。情けなさが滲み出ていた。
 ただ、何が嫌といって、次の日には何も覚えていない父親は、覚えていないことをいいことに、本当であれば近所に謝罪しなければいけない立場であるにもかかわらず、
「俺はいいよ。今さらどんな顔をしていけばいいんだ」
 と言って、背中を向けてテレビを見ていた。
 開き直っているわけではない。テレビを見ているといっても、真剣に見ているわけではない。目のやり場に困って、テレビを見ているだけだ。背筋が丸くなり、まるで老人のような後ろ姿に、佑哉は失望してしまった。プライドなど、まったく感じられなかった。
 要するに自分というものがないのだ。すべてが人任せ、それは自分が悪いことをしたという意識がないからだ。犯罪者の中でも凶悪犯というのは、自分が悪いとは思っていないという。それとはまったく違っていて、犯罪を犯す度胸すらないほどの小心者ということであろう。
 父親を見ていると、虫唾が走る。それを顔に出さない自分にも腹が立って、さらには、耐えている母親にも腹を立てる以前の問題だった。誰も信じられなくなったとしても仕方がないことだが、何よりも自分を一番信じられないことが苛立ちを生んだのだ。
 苛立ちとは自分に向けるものが一番きつい。自分の顔は鏡でしか見ることができず、とらえどころがない。本当に鏡に写ったのと同じ顔をしているのかということすら疑ってみているのだ。
 声にしても、自分で感じている声を録音して聞いた自分の声ではまったく違っていることには驚かされた。自分で感じている方が数段好きな声である。それなのに、
「佐々木の声って、本当にいい声しいているよな」
 と、まわりから欲言われる。それが一人からであれば別に気にもならず、
「そんなことはないさ」
 と言って、頭を掻いていればそれで済むのに、そんな時ほど一人から言われると、何人からも立て続けに言われるようになり、まるで示し合わせているのではないかと思えるほど、白々しさで頭の中が硬直してくるのを感じた。
 そうなのだ。自分が感じているのは本当の自分かどうか分からないだけで、実際には感じている自分が好きなのだ。それなのに、自分が本当の自分なのかを疑ってしまったために嫌になる。さらには、あの親の子供だと思うと、ずっと引け目を感じながら生き続けなければならない人生が待っている気がして、やりきれなくなってしまう。
 それでも、トンビがタカを生むという言葉もあるが、親が大したことないと、子供が大きく育つと言われている。自分の人生が逆境であると思っていれば、親のようにはならないと思って、反骨精神を表に出そうとしていた。
 それが却って自分の殻に閉じこもってしまうことになるなど考えてもみなかった。自分の殻に閉じこもるということはまわりを拒絶し、自分からだけ寄って行けるような抜け道を作ることだと思っていたが、所詮そんな自分勝手な考えが通用するわけもない。相手にもこちらを見定めようという姿勢があるのだから、閉じこもった殻から出てきても、相手にはすべてが死角に見えて、こちらの姿が見えないことになりかねない、
 佑哉は、嘘でも自分に自信を持つことだと思った。高校時代の教師で、似たようなことを話している先生がいたが、その先生を見ていると、実に個性的だった。
 まるで懐かしいテレビ番組で見た熱血教師ぶりを発揮していた。ただ、今の時代には浮いていたので、受け入れてくれる人は少なかったが、佑哉には言葉の一つ一つが新鮮だったのだ。
 ただ、それでも必要なところだけを吸収すればいいと思っていたので、話が聞けただけで、まともにすべてを聞けるほど素直ではなかった。個性的なところが好きなのは、やはり元々が、人と同じでは嫌だという性格がもたらしたものに違いない。
 いわゆるナルシストなのだ。
 世間一般ではナルシストは嫌われる。自慢を口にするからであろう。だが、佑哉はあまり自分から口にすることはしない。それは口にしてしまうと、安っぽく見られるのが分かっているからだ。
 安っぽく見られるのは、すべてが言い訳に聞こえるからであろう。口に出せば出すほど、無防備に見えてしまうに違いない。隙を見せる結果になるということだ。隙を見せてしまうと、往々にしてそこから攻撃を受ける。ナルシストは難攻不落だと自分で思っているので、一角を崩されただけでも動揺してしまい、難攻不落がまるで裸同然にひん剥かれてしまうことは必至であった。
 佑哉はすべてに対して自分がナルシストだとは思っていない。人に言わないだけで、分かってもらおうという気持ちが強い。他のナルシストの人とは違っていることをアピールしたいのだ。
作品名:短編集68(過去作品) 作家名:森本晃次