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星の流れに(第二部 南方戦線)

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6. 静子と幸子



 時は八年前、昭和十ニ年に遡る。

 寡黙でまっすぐ、心根は真っ直ぐでいざとなれば戦うことを厭わない勇蔵と、さっぱりと快活な性格で旧い考えに囚われることのないしづ。
 そして、裕福とまでは言えないが不自由することはない家計。
 そんな中で静子は伸び伸びと育った。

 母譲りの竹を割ったような気性、男の子に混じって遊ぶ活発さに加えて、父譲りの芯の強さと人を思いやれる心、格段に整っているわけではないが十人並み以上の器量と手足がすらりと伸びた長身。
 静子は常に人気者だった。
 男の子達には『男おんな』などと囃されることも多かったが、それは必ずしも貶すばかりの言葉ではない。
 『女らしくない』と言う意味は当然含まれるが、活発でさっぱりした気性の静子は男の子達にとって付き合いやすい存在でもあった、そしてほのかな恋心を抱く者も少なくなかったのだ。 

 そんな静子には親友と呼び合う幼馴染がいた。
 中山幸子、駄菓子屋に商品を卸す菓子問屋の娘で、大人しい、しとやかな女の子だった。
 運動はあまり得意とは言えない反面、学校の成績は良く知的な雰囲気を持ち、四つ年上で博識な兄がいるせいか少しばかり大人びた思考回路の持ち主でもある、そして整った顔立ちが知的で大人びた雰囲気に拍車をかける、静子とはまた別な意味で男の子達を惹き付けた。

 色々と正反対の部分が多い二人だったが、いや、正反対の部分が多いからこそだったのか、二人はよく気が合ったし、互いに良い影響を与え合う関係だった。
 どちらかと言うと体が弱かった幸子だが、静子に誘われてよく外で遊ぶようになり、とりわけ静子に教わって水泳をするようになってからはすっかり丈夫になった。
 一方、あまり本を読んだりするのは好まなかった静子だが、幸子の話に耳を傾ける内に知ること、考えることの楽しさに目覚めて行った。
 
 二人は一緒に尋常小学校に通ったが、卒業後の進路は違った。
 静子は尋常小学校高等科へ、幸子は高等女学校に進学したのだ。
 尋常小学校高等科と言うのは初等科の延長上にあり、ほとんどの場合は卒業すれば仕事につく。 
 働き口は主に工員、店員、家業などあまり専門的知識を必要としないもの、あるいは職人に弟子入りするといったものだ。
 対して高等女学校は大学予科や専門学校などへの進学を前提とした学校だ。
 尋常小学校高等科は制服もなく、荷物も風呂敷包みやズック製の肩掛け鞄、対して高等女学校は制服があり、革製の手提げ鞄を持ち歩く。
 つまりは家計に充分な余裕があり、加えて学業成績も良くなければ進めない、高等女学校生であるという事はそれだけでもう『高嶺の花』であると言うことなのだ。
 実際、幸子が高等女学校へ行くようになってからと言うもの、静子はなんとなく気後れしてしまい、しばらく疎遠になってしまった。
 何しろこっちは着古した洋服か着物に下駄履きで風呂敷包みを抱え、向こうはセーラー服のスカートを翻し、革靴に革の鞄。 身分の違いとまでは言わないまでも境遇の違いは感じてしまうし、卒業後はもっと差が開くのは目に見えている。

 しかし、二人には深い縁があるのだと思い出させてくれる、小さな事件があった。
 
 静子が父の晩酌用の酒を買ってくるように言われて駅前まで出かけた帰り道の時のこと、路地裏から聞き覚えのある声が聞こえてくる、すぐに幸子の声だとわかったが、どうも様子がおかしい。
 ひょいと路地裏を覗くと、幸子がみるからにトッポい若い男二人に絡まれているではないか。
 トッポい……現代では死語になりつつあるが、「気障っぽく、不良っぽい」の意、いずれにせよあまり好ましくなく、幸子のような真面目な高等女学生が関わるような男たちではない。

「あんたたち、その娘に何の用?」
 考えるより先に静子は路地裏にズンズンと進み入って男たちの前に立ちはだかった。
 モンペを穿いた両脚を肩幅より大きく開き、一升瓶を包んだ風呂敷を下げて。
「ああ? なんだ? お前は」
「その娘の友達よ、その娘はあんたたちみたいな不良に関わるような娘じゃないし、あんたたちみたいなトッポいのには全然釣り合わないわよ」
「なんだと? コラ」
 男の一人が静子の肩を掴もうと手を伸ばして近寄って来る、男の手が届きそうになった瞬間、静子は右脚を一歩引き、風呂敷包みを両手で掴み直して振り回した、中味は酒が詰まった一升瓶、重さも硬さも充分だ。
 ガシャン。
「ぎゃっ!」
 風呂敷包みは男の横っ面に命中し、ガラス瓶は砕けた。
 男は吹っ飛んだが、後で考えると瓶が割れて良かったと思う、当り方によっては頭蓋骨の方が砕けていたかも知れない、ただ、そのときは夢中で、そんな事を考える余裕はなかった。
 酒が飛び散り、辺りに酒の匂いを振りまいた。
「このアマ!」
 もう一人が掴みかかって来た。
 一人目と違ってこちらを見くびっていない分動きも素早い、静子は胸倉を掴まれてしまったが、そんな時の対処法は心得ていた、伊達に『おとこ女』などと呼ばれてはいない。
 静子は男の股間目掛けて思い切り膝を振り上げたのだ。
「う……げ……」
 声にもならないような呻きと共に男は崩れ落ちた。
「今よ、逃げよ!」
 静子は幸子に手を差し伸べようとするが、もう片方の腕を背後から掴まれてしまった。
 一升瓶で撃退した筈の男、派手に瓶が割れた分衝撃が吸収されていたようだ。
「よくもやりやがったな!」
「離してよ!」
 後ろから羽交い絞めにされた形になり、静子はもがいて振りほどこうとするが男の力は強い、下駄で思い切り足を踏んづけてやったが、一升瓶で殴られて怒り心頭の男はそれくらいでは怯まなかった。
 その時。
「う……ぐ……」
 唐突に腕の力が緩み、背後で男が崩れ落ちた。
 幸子が背後から男の股間を蹴り上げたのだ、革靴のつま先で。
「今よ! 逃げよ!」
 さっきの静子と全く同じ台詞、二人は手に手を取ってその場を逃げ出した。


「お酒の瓶が割れちゃったのは、そのせいなんです」
 お互いの家は近所、幸子は静子の家に寄って酒瓶が割れている理由を勇蔵に話し、頭を下げた。
 勇蔵は幸子と静子の顔を交互に見やりながら話を聞いていたが、聞き終えるなりニヤリと笑って言った。
「よくやった……」
 もっとも、その後の数日間、夕餉の膳に徳利が並ばなかったのは少し堪えたが……。

 そのことがあってから、静子と幸子は以前のように、いや、以前にも増して親密になった。
 幸子にとって静子は危ない所を助けに来てくれた恩人、静子にとっても危ない所を二人で切り抜けた同志。
「あたしたちって『戦友』よね」
 そう言って笑い合い、そして、その親交はずっと変わることがなかった。
 そう……文字通り二人はその後『戦友』となるのだ……。