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『掌に絆つないで』第四章(後半)

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Act.15 [幽助] 2019年12月10日更新



亜空間の果てが目に映る。そこから漏れる光は、濡れた睫毛に反射して輝いていた。
涙の別れなんて似合わない。
その言葉に納得しながらも、溢れる涙を堪えることが出来なかった。
なぜ気づいてやれなかったんだろう。温もりを手放したくなかったのは、自分だけではないということに。
最期に見た桑原の涙。
自分を置いて逝ってしまったと、桑原を、螢子を、心の中で責め続けていたのかもしれない。
置いていく辛さをわかろうとはせずに。
走る幽助の瞳からこぼれる涙が、亜空間の風にのって背後に飛ばされていく。
蔵馬にずっと甘えてた。
飛影に会うと嬉しかった。
それは、同じ時間を共有した仲間たちの胸の奥に、桑原の存在を認められたからでもあったのだ。
殴られた左頬が疼く。
手加減なしの一撃は未だ痛みを伴うのに、幽助はその感触に微笑む。それから手の甲を押し当てて涙を拭い去った。
光は、もう目の前にある。

その光をくぐり抜けると、そこはすでに人間界だった。
何もなかった空間に突然現れた町並み。勢いに乗って家屋の壁面に突っ込みかける。なんとか踏みとどまったとき、背後で自分を呼ぶ声がした。
「おかえり、幽助」
瞬間的に方向感覚を失っていた幽助を導く螢子の声。慌てて振り返る。
立ち尽くす螢子の姿を確認すると、知らず安堵の吐息が漏れた。
夢じゃなかった。
彼女は今、確かに幽助の目前にいる。
「蔵馬さんは?」
「……もう、大丈夫だ」
「そう。よかった……」
ほのかな街灯の下、螢子は柔らかく微笑んだ。刹那、彼女の気配が夜の闇に消えていくような錯覚。
「螢子っ」
自らの想像に恐怖して、幽助は無我夢中で駆け寄りその細い身体を抱きすくめた。
「ちょ…っ、危ないっ」
その勢いで螢子は後方へよろめき、体勢のたて直しも間に合わず座り込む形になった。
「危ないじゃないっ」
夢じゃない。
何度も確認する。
胸に押し付けた頬からは、確かに螢子の温もりを感じる。背中に回した手や腕からも、生身のそれを感じていた。
何もかも捨てていいというのなら、このまま螢子を連れてどこか遠くへ行ってしまいたいと、幽助は願った。
でもそれは叶わないことなのだと、涙を拒んだ桑原の背中が幽助に教えてくれた。
なぜ、傷つけるために蘇らせてしまったのだろう。
すまねェ……、螢子。
螢子の胸に顔を埋めたせいで囁くよりも小さい声で、幽助は一言漏らした。
「どうして謝るの?」
「どうしてって……」
「ねえ、幽助」
「ん?」
「どこかへ行きたい」
「え?」
「二人で」
「…螢子………、それは無理なんだ……」
「そういう意味じゃないの」
「え?」
「私たちに思い出の場所とかってないの?」
「は?」
螢子の言葉をまるで理解できずにいた幽助の耳に、霊界獣の鳴き声が響いた。
「プーちゃん!」
幽助がやってきた亜空間の入り口から、突如霊界獣が現れた。
「プー! おめェ、ついてきちまったのか!?」
人間界にはいるはずもない巨大な鳥。いつもなら魔界で大人しく幽助の帰りを待っているはずのプーが、独断で人間界へとやってきたことに彼は驚いた。
幽助の腕からスルリと抜けて、螢子は霊界獣に駆け寄る。
「プーちゃん! 会いに来てくれたのね」
ずっと人間界で暮らしていた螢子が霊界獣に会えるのは、幻海師範の土地へ赴いた時くらいだった。彼女の姿を見るたびに、霊界獣は嬉しそうにその身体を摺り寄せていた。そして今も目前に同じ光景がある。
「プーちゃん。ねえ、私たちを思い出の場所に連れて行って?」
「おい、螢子……」
幽助が戸惑っているうちに、霊界獣が了解といわんばかりに一声啼いた。
「ほら、幽助。早く」
「早くって…どこ行くんだよ」
「わかんないわよ」
「はあ?」
「でも、プーちゃんが連れてってくれるって」
思い出の場所といわれても、幽助に心当たりはない。
普通の恋人同士なら夜景だの海だの、二人の情熱を一気に燃焼しつくすような場所を一つや二つは持っているのかもしれない。しかし、彼らはあまり普通の恋人とも言い難い上に、ムードなどとは無縁の幽助が絡んでいるのだから、思い当たるはずもなかった。
それなのにプーがどこへ連れて行く気なのか、半信半疑のまま幽助は霊界獣の背に乗った。
大きな翼を広げ、霊界獣は星空へ舞い上がる。
町の灯りが、少し遠ざかった。