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十年後

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――やあ、久しぶりだね。元気にしていたかい? 
 私のこともしっかり覚えてくれているようだね。うれしいよ。
 そうかい? そうは言っても、もう十年も前だからね。
 もちろん覚えているさ。あのドアベルの転がるような音も、このカウンターの焦げ跡も、君のおじいさんのことも、もちろん君のことも。
 あの時の君はまだ、大人になりかけの生意気なティーンエイジャーだったね。ハイスクールを出たばかりで、残りの退屈な人生にうんざりとした顔をしていたよ。
 そんなことはない。若いころなんて、みんなそんなものだよ。今思えば、当時の私は君とよく似ていたんだろうね。そうでなければ、新聞社の編集長と喧嘩しても、すぐに辞めてしまうことはなかっただろう。そのことについて、後悔はしていないけどね。若さというのは、我慢を知らないものだね。おっと、今の君をどうこう言っているわけじゃあないよ。
 ところで、ミスター・グラントはまだ健在かな? ……そうか。もう亡くなって五年も経つのか。残念だよ。
 今思い出しても、君のおじいさんは本当に魅力的な人だった。日に焼けて黒い、しわだらけの顔に、節くれだって妙に大きい手。使い古したハンチングを頭に乗せて、いつも何かに挑んでいるような顔でパイプをくゆらせていた。まるで、タイムスリップしてきたアメリカ開拓時代の開拓者みたいだったよ。
 大雑把な性格で、私をお客扱いはしなかったし、言いたいことは何でもはっきりと口にした。当時の君からすれば、苦手な相手だったんじゃないかな? まあ、そうだろうね。
 でも、彼は君の事がかわいくて仕方がないようだったよ。飛行機の中でも、ずっと自慢げに君の事をしゃべっていたからね。両親もいないのに、あんなに立派に育ってくれた、ってね。
 うん? 今日来た理由かい? 十年前と同じさ。いや……少し違うかな。
 グラントさんは、何か言っていたかい? 気色悪そうにしてたって?
 まだ出発までには少しあるね。それじゃあ、カクテルを一杯もらおうかな。そうだな、マルガリータをもらおうか。大丈夫だよ。脱アルコールピルは持ってるし、私は飛行機に酔うからね。それに、気分よく話せるものではないんだよ。


「おい、大丈夫か? ったく、情けねえな。引き返してやろうか?」
 パイプをくわえなおし、片手で操縦桿を操りながら、グラント老が私を振り向いた。歯の間から吐き出された煙が、薄く漂う。
「いえ……このまま行ってください」
 私は呼吸を整えて吐き気を静めようと努力しながら、かろうじてそれだけ返事をした。ここからまた引き返されては、大丈夫な自信がない。
 ゆっくりと深く息を吸い込み、口の中に広がる酸っぱいとも苦いともいえない味をどうにか飲み下す。
「シートに吐くんじゃねえぞ」
 ぶっきらぼうにそれだけ言って、彼は前を向き直った。
 一時間近くも乱気流に揉まれていただろうか。十人乗りほどの小型プロペラ機は、骨董品と言ってもいい代物だったが、機体は波乗りでもするように風を乗りこなし、危なげない飛行を続けていた。とはいえ、通常の空港では人工知能が全ての便の欠航を決めているような天候だ。制御されていようが、三次元の揺れはどうしようもない。加えて、この骨董品には、まともな姿勢制御機能などついているはずもない。私は酸味のあるつばを飲み込み、深く息を吐いた。
 こんな天気で飛ぶのは正気じゃあない。そんな言葉を一日でこれほど多く聞く日は、この先もそうないに違いない。ハリケーンが近づいていると聞いた時から嫌な予感はしていた。だが、新聞社を飛び出してきた以上、贅沢は言っていられなかった。しかも、他の記者との合同取材が、独占取材になろうとしているとあれば、なおさら無理を通す意味がある。
 私は胃の中で不安定に揺れる昼食のホットドッグとフレンチフライをなだめながら、ウエストポーチに手を入れ、最初に指に触れた包みを取り出した。
 包みを破り、口に放り込む。心地よい酸味のある甘さが口の中に広がり、気分が少し落ち着く。レモンか。
「まったく、うちのガキでももう少しマシだぜ。そんなんでブン屋が務まんのか?」
 咥えていたパイプで肘掛を叩いて燃えカスを床に落とし、すぐに新しい葉を詰める。マッチが見つからないのか、両手でポケットを叩いていく。
「いえ、まあ……」
 曖昧に答えつつ口の中であめ玉を転がす。そんなことよりも、操縦桿から両手を離さないでもらいたい。機体が左にかしぐ。
 グラント氏は空のマッチ箱を3個放り投げてから、ようやく火のついたパイプを深く吸い込んだ。
 漂ってきた煙を息で吹き散らし、ヤニで汚れた窓の外に目を向ける。雨はまだ降っているが、窓ガラスを割りそうなほどではなくなっていた。
「で、お前さん、今日は何しに来たんだ? こんなド田舎に芸能人なんざいねえだろ」
「いえ、民間の刑務所の取材ですよ」
 私は芸能人の私生活を売っているわけではないのだが。パパラッチもジャーナリストも、グラント老からすればどちらも似たようなものなのだろう。
「刑務所?」
「ええ。実験も兼ねた民間刑務所だそうですよ。脳医学の権威が管理者もしているそうですよ」
「実験か。クズを使うとはいえ、褒められたもんじゃあねえな」
「実験とはいっても、持続が可能かどうか、といったものだと思いますよ」
 米国では一九八〇年代に州政府の予算削減策として民間企業に運営を委託してきた。しかし、効率的な費用削減が難しいことや、刑務所内の治安の悪化、訴訟リスクなどから二〇一〇年代に閉鎖が相次いだ。
 加えて、今回は実験への協力を理由に集められた長期受刑者や死刑囚ばかりの刑務所であり、治安の問題など注目されている点は多い。
「どうせ、ロクなとこじゃねえよ」
 彼はそう言って前に向き直った。
 腰を浮かせて座り直し、操縦桿を握りなおす。
「そら、そろそろ降りるぞ。準備しておきな」
 私が窓から外をのぞくと、灰色の海岸線の中で、四棟の建物が小さく見えていた。四つの建物が細い廊下でL字型に連なり、二つが海と接している。
 プロペラ機は海からの風を受けて、速度を落としながら滑走路へすべるように下降していく。気まぐれに変わる風向きに煽られて左右に揺れながら、羽毛のように軽やかに着陸した。
 エンジンの音が小さくなり、滑走路を走りながら速度を落としていく。着陸と同時に滑走路に表示された矢印に沿って移動し、建物の前で停止する。
 エンジンを完全に停止させ、グラント老は煙と共に深く息を吐き出した。
 私はポーチから新しいアメを取り出し、包みを破って口に放り込んだ。紫の甘さが口に広がる。
 まだ揺れているような感覚の中でシートにつかまって立ち上がり、座席を確認する。
「ここまでありがとうございました。助かりました」
「そういうのは帰ってから言うんだな。先に帰っちまうぞ」
 新しくパイプに火をつけながら言って、マッチを吹き消した。リンの臭いが鼻にまとわりつく。
「とっとと行ってこい。こんな場所、長くいたくねえ」
 急に不機嫌になった彼の言い方に違和感を覚えたが、彼の持っている旧来の偏見から出た言葉だと考え、扉の前のハンドルを手に取った。
作品名:十年後 作家名:渡り烏