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大地は雨をうけとめる 第10章 種

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 夢を見ていた。
「お茶はいかがですか」
 アニスがティーポットを手に笑っている。答えようとして、言葉が出てこない。
 それに、ここはどこなのか。見たことがある部屋だが思い出せない。
 窓に近づくと、外は花がそよぐ野原だ。濃いピンクの花。覚えがあるような気がする。
 ここはどこ? そう聞こうとしたのに、口から出てきたのは違う言葉だった。
「今日は帰ってくる?」誰が? 私は何を言っているのだろう。
 悲しそうにアニスは首を振る。
「明日は?」誰のことを聞いている? 私は誰を待っているのだろう?
「明日も……来ないかもしれません」アニスはそれ以上の質問を避けるように、うつむいた。と、思ったら、顔を上げ、
「僕じゃだめですか?」とたずねる。
「……」
 何か言おうとして、目が覚めた。
 まだ夜は明けていない。
「アニス……」
 暗闇の中でつぶやく。やりきれなさが胸にあふれる。ほとんど衝動的に彼女の意識はユフェリを目指した。
 だが、いつも彼女が目にするユフェリの景色ではなかった。暗い中をさまようように飛んで、気がつくと、真っ暗な洞窟を歩いていた。ポタポタとしずくがしたたる音がする。冷気があたりを包む。さらに歩く。
 ほのかな明かりが見えた。少し広い空間に箱がいくつも転がっていた。小さいけれども頑丈そうな鉄の箱。彼女の背丈よりも大きな木箱。それには南京錠がいくつもかけられていた。
「よお」
 声に驚いて振り向くと、カズックだった。
「おまえが今、探さなきゃならないのは、あいつの魂じゃない。自分で封印してきたおまえ自身だ。おまえが今まで避けてきた自分自身の思いに、向き合わずして、道は見つからないぞ。いつまでも堂々巡りだ」
 何か言い返したいが、出てこないのは、カズックの指摘にうなずけるものがあるからか。ルシャデールは手近にあった小さな箱を取った。鍵はたやすく外れた。
 幼いルシャデールが現れ、叫ぶ。
『あんたみたいな女、母さんじゃない! あんたなんか、死んでしまえ!』
 ルシャデールは即座にふたを閉めた。かなり前に背を向けた想いだ。
 もう一つの箱を開ける。
『ばかやろう、因業《いんごう》じじい! ひとっかけらのお慈悲もねえのか! 首でもくくって、あほ面さらしやがれ!』
 ふたはすぐに閉められた。
「下品な子だねえ」
 ルシャデールは肩をすくめ、少しおどけて言ってみる。「誰、あの子?」
 ははは。カズックが笑う。
「おまえは最近、すっかりアビュー家の御寮様だからな。しかし、あの頃のおまえは、あれで懸命に生きていたんだ。よく頑張った、って言ってやれよ」
 昔の生活のことを忘れたわけではない。だが、落ち着いた暮らしの中にいて、惨めだったことは思い出したくなかった。とりわけ、母がからんだことは。
 次の箱から出てきたのは、
『父さんを探しに行く!』の一言だった。
 これは覚えがある。二年前、いや三年前か。実の父のところへ行こうと思った。父がどこの誰かはわからない。ただ、生きていることは感じている。それに、いる方角も。
 だから、歩いて行こうとしたのだ。どのくらい遠いかもわからないまま。
 侍従になったばかりのアニスが泣きそうな顔でついてきた。結局、一日、二日で行けるところではないらしいとわかり、諦めたのだ。どこへ行こうとしたか、誰にも言わなかった。アニスにすら。
 あの時、彼は文句ひとつ言わなかった。仕方のない御寮様だと、胸の内では嘆息していたのかもしれない。いや、きっと彼は気がついていた。どこへ行こうとしていたか。
 次に向かったのは、一番大きな箱だった。何が入っているのか、わかるような気がした。軽く蹴飛ばしただけで、箱は崩れ、中から出てきたのは、無数の萎れた花だった。一つ一つがアニスへの想いでできている。彼女はそのうちの一つを拾い上げた。手の中で、崩れていく。
「これを見せたかったの? 私がもうアニスを前みたいに好きでなくなっているって、わざわざ教えるために」
「それもあるがな。これを見せておきたかった」
 カズックは枯れた花の中を、前足でかき、匂いをかぐ。彼は掘り出したものをくわえると、ルシャデールに放る。受け取ったのはあんずぐらいの大きさの種だった。とても固い。
「汚泥の中、乾ききった荒れ地、いばらが生い茂る原野、そんな中にその実はできるのさ」
 ルシャデールは種を見つめた。
「芽吹かないことも多い。そのまま枯れ死してしまうこともあれば、他人の手に渡って、幾人かの手を経た後で、唐突に芽を出すこともある」
 太陽の光、慈しみの雨、野原を渡る風、せせらぎの音、空の青さ、歌う鳥、暖炉の火、麦の穂……。そういったものを作り出す力、アニスの両親がアニスに注ぎ、アニスがルシャデールにくれたもの。本当は母から欲しかったもの。
 すべてはこの力に連なる。
 昔だったら「なんだ、こんなもの!」と、放り投げただろうが、今のルシャデールはそれを握りしめる。 アニスの最後の贈り物のような気がした。
「ありがとう」素直に言葉が出た。「戻る」
 カデリへ。帰る途中、無性に悲しかった。


 へゼナードが帰って来ることを聞いたのは、その二、三日後だった。ミナセ家での稽古が終わり、屋敷からの迎えを待っていた時だ。
「ヘゼが近く帰ってくるんだ」パルシェムがぽつりと言った。
「それは……よかったね」
 ほんとうによかったのか、どうか、わからないが、とりあえずそう応えた。へゼナードの父親が亡くなったのは、九月の末だと聞いた。それからもう二ヶ月近くたつ。
 パルシェムは最近、むっつりとしゃべらなくなっていた。憎まれ口もたたかない。彼なりにいろいろ考えているのだろう。
「ヘゼがどういう考えで帰ってくるのか、まだわからない。これからも僕の侍従として勤めてくれるのか、それともこれを機に、ペトラルかどこかで他の仕事につくのか……。でも、僕はヘゼの好きなようにさせることにした」
「へえ!」
 小童《こわっぱ》が成長したものだ。
「僕がヘゼを追い込んだ。そして、イスファハンを巻き込んで、あんなことになってしまった。養父《ちち》はイスファハンが勝手にヘゼに付いて行ったから、謝罪など必要ないと言うんだ。でも、ヘゼが計画しなければ、イスファハンも行こうとはしなかったと思う」
 パルシェムはルシャデールの方を向く。
「僕ができるのは、来るべきものを、黙って受け入れることだけだ」
「それでいいと思う」彼女も少年を見る。「アニサードは自分の意志でソワムに賛同して逃亡を図った。あんなことになったのは彼自身の責任。そしてこれはアビュー家の問題だよ。おまえのところは関係ない」
「でも……僕は忘れない。イスファハンのことを。それと、イスファハンを失くして泣いている君を」
「泣いてないよ」
 ルシャデールは否定する。それは本当だ。アニスが狂ってから、一度も涙を見せていない。
「君は強がりだから……」パルシェムは微かに笑う。「でも僕が君の方に想いを凝らすと、浮かぶのは、いつだって泣き顔だ」
 僕だって、これでもユフェレンなんだ。彼はそうつけ加えた。
 小童に同情されるとはね、ルシャデールはそう言って肩をすくめた。