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大地は雨をうけとめる 第9章 アニサードの横顔

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 九月に入ってすぐ、アニスの荷物を移すので、立ち会って欲しいと、従僕頭のハランがルシャデールに言ってきた。普通の使用人ならそこまで厳格にしないものだが、そこは跡継ぎの侍従だからだろう。
 西廊棟の四階。前に一度だけ入ったことがある、天窓のついた部屋だった。小侍従の起居する部屋としては小さいし、質素だ。寝台が一つにテーブルが一つ、座る時に敷くクッションが一つ。
 使用人の生活はよく知らないが、彼は寝るために戻るだけだったのではないかと思えた。服や下着の他には、洗面器、水差し。小さな鏡はひげそりと髪をとかすためのものだろう。身だしなみとして、普段つけていた糸杉の香油の瓶。
 だが、生活を彩るものが、ほとんど見当たらない。
 あれがない。
 樹の皮の地図。ユフェリの地図で、四年前の誕生日にルシャデールが彼に贈った。それとなく、寝台の下や壁との隙間を探る。
「御寮様? どうなさいましたか?」ハランがルシャデールの動きに気づいた。
「いや、何でもない」
「私は一度、客間の方に運んできます」ハランは衣装箱を一つ、本棟へ運んで行った。
 後に残ったルシャデールは部屋を見回す。四年前から毎年、誕生日には贈り物をしている。その品々もだ。アニスに限って、売り払うとか、捨てるということはないだろう。
「あれ、御寮様。どうしました?」
 通りかかったのは庭師のシャムだった。
「家《や》探しですか?」
「アニスの荷物を本棟に移す。当分、客間で生活するから」
 いつも陽気そうなシャムの顔が陰る。
「容態は変わりないなんですか?」
「うん。彼の持ち物って、服以外にはほとんどないのかな?」
「金はみんなと同じように、執事さんに預かってもらってるんじゃないですか?」
「それ以外のものは? 人からもらったものとか、金目のものじゃなくても大切な思い出の品とか」
「よくわからない樹の皮とか?」
「そう!」思わず声が大きくなった。
「俺、一度だけ見せてもらったんですよ」
 シャムは部屋へ入ってくると、廊下側の部屋の角へ寄って行った。壁のタイルが少しはがれている。彩色されていない、薄いベージュのタイルだ。彼はそのうちの 一枚に爪を立て、はがした。中は空洞になっていた。
「へえ、便利だねえ」
「あいつが、一度、宝の隠し場所だと言って見せてくれたんですよ」
 中には蓋つきの方位磁石や、水晶の原石、銀メッキに白い石がついたナイフ。他に、丸めた紙や、わけのわからないがらくたのようなものが入っていた。シャムはナイフを手に取った。
「これは、御寮様の侍従に決まった時、俺が祝いにやったんです。あいつはろくな物持ってなかったから。侍従になるなら、少しはいい物を持てって」
「大事にしまいこんでいたんだね。アニスらしい」
「まだ、何かありますよ」
 隠し穴を覗き込んでいたシャムが中に手を突っ込み、取り出したのは小さく折りたたんだ紙きれだった。手渡された紙切れを、ルシャデールは開いてみる。

『父さん、母さん、僕はちゃんとやっていますか?』

 書いてあるのはそれだけだった。字の拙《つたな》さからすると、アビュー家に来た頃だろうか。知らない大人ばかりの中で、働くことになって、心細さに書いたのかもしれない。そして、そのまま忘れたのだろう。
 問いかけられた文章が切なさを誘う。シャムにも見せてやると、彼は息をついた。
「俺、あいつにもっと……親身になって話を聞いてやればよかったんです。御寮様の侍従に決まった時、あいつは負担に感じているようでした。だけど、なんとかこなしているようだったし、忙しそうだったから、あまり話すこともなくなって。従僕連中とはあまりうまくいっていないようだったし、悩んでいることもあったのかもしれません」
 でなければ、屋敷を出て行こうなんて考えない。シャムはそう思っているらしい。
「御寮様、たまにはあいつを、庭とか外に出してやってくれませんか? お屋敷から出すのは心配かもしれませんが、部屋にずっと閉じ込めておいたら、普通の人間だって気がおかしくなってしまいます」
「あ……あ、そうだね」
「あいつは草花が好きなんです。庭師になりたいって、言っていたこともあるくらいで」
 初耳だった。
「そうなの? 庭師に?」
「御寮様が来られる前ですが」
 頭を下げて、シャムは仕事に戻って行った。
客間に荷物すべて運んだ後で、ルシャデールはアニスの宝物を一つ一つ手に眺めていた。アニスは自分がみているからと、従僕は昼食に行かせた。
 ナイフや方位磁石の他にもいろいろあった。
 薄桃色の首巻は、ルシャデールと交換したものだ。アニスのしていた緑色の首巻が欲しくて、自分のをやるからと言って取り上げた。薄桃色の首巻など、男の子がするわけにもいかず、しまいこんだのだろう。
 紐で縛った巻紙の束もあった。見ちゃいけないかもしれないと思いつつ、誘惑に負けて、開いてみる。
 髪の長い女の絵だった。吹きだしそうになるくらい、下手くそだ。下の方には何か書いて、上からペンで消していた。目を細めて、消された文字を解読する。
 大好きな……ルシャ……デールへ。
「これ……私?」
 そういえば、と思い当たることがあった。二年前、ルシャデールの誕生日を前に、彼女の絵を描いてくれると言ったことがある。しかし、うまく描けなかったらしく、代わりに匂い袋をくれたのだ。
 小さな植木鉢もあった。素焼きの質素なものではなく、うわぐすりを塗って焼いた上等のものだ。噴水の絵が描かれている。細かい種が入った小さな布袋もある。植えるつもりだったのだろう。
 彼は庭師になりたがっていた。確かに、似あっているかもしれない。昔のお日様みたいなアニスには。
 もしかしたら、私は彼の運命をねじ曲げてしまったんだろうか。
 もし、庭師の道を進んでいたら、こんなことにはなっていなかったにちがいない。振り向くと、彼は焦点の定まらない目で天井を見ていた。

 
 見舞いの客は次第に遠ざかり、ルシャデールも舞の稽古に通うようになった。アニスは従僕たちがみている。彼らは文句も言わずに世話をしてくれていた。
 もちろん、それは「御寮様」の前だからだ。使用人しかいないところでは、愚痴も言っているのだろう。
 カプルジャのところから戻ると、アニスはまだ昼食を食べていた。
「食が進まないようだね」
 食べさせているルトイクスに言ったら、進む方が不思議です、という答えが返ってきた。
「毎日、こうやって動かずにじっとしているのですから。時々仕方なく食べているのか、とも思いますね」
「一度、ご飯を食べさせずに放っておいたら、要求してくるかな?」
 本気で言ったわけではない。ただ、言葉はもちろん、意志や感情もなくなってしまったことに、焦りのようなものがあった。
「仰せとあらば、そのようにいたしますが?」ルトイクスはにこりともしないで言った。
「いや、いい」
 従僕という人種はまるで人形のようだと思った。今のアニスとは、いい取り合わせのような、そうでないような。ルシャデールは、シャムが言っていたことを思い出した。
「アニサードはおまえたち従僕とあまり……なんというか、あまり親しくしていなかったと聞いたけど」