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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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時計

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3. 嵐


「まさか……」
 綾音が言った。
「でも、案外本当のことかもしれないよ」
 圭子が落ち着き払った声で言う。
 降りしきる雨が風に乗って、飛沫(しぶき)を上げながら二人の前を通り過ぎてゆく。雨はまだ止みそうにない。
「圭子、本気にしてるの?」
 綾音は呆れたように言ったが、実のところ彼女自身心に引っかかるものがあるのだった。
「世の中には、科学で解明出来ないことが幾らでもあるわ」
「でも……」
「でも、じゃないのよ。そういうことは本当にあるのよ。事実なの。――ねえ、それを否定することは簡単だわ。でもね、そうやって自ら目隠しした状態で、どうやって真実を見極められると言うの?」
 いつになく強い口調の圭子に、綾音は少々面食らっていた。
「でも、科学でなきゃそれを証明出来ないじゃない」
「科学、ね……」
 圭子は、その言葉をかみしめるように呟いた。そして、やおらこんなことを言い出した。「ねえ、科学と魔術とでは、どちらが古いと思う?」
 あまりの突拍子もない対比に、綾音は言葉を失くしてしまった。
「科学なんてまだ生まれたばかりの、ほんの赤ちゃんみたいな学問なのよ。――それまで、科学に相当するのは占星学や魔術だったの。自然の力の法則を読み取ろうとするそれらの学問が、今の科学の基礎を築いて来たのよ」
「どうしたのよ、圭子……」
 綾音は、少し心配になってきた。
「ううん、何でもないの」
 圭子は、幾分冷静さを取り戻す。「でもね、綾音には分かってほしいの。科学は、その基礎となった学問を蔑んでいる間は、大した功績を挙げることは出来ないってこと」    
 綾音は、そんな圭子の顔をしばらく黙って見つめていた。そして、その額に軽く手のひらを当てた。
「大丈夫みたいね」
「馬鹿にしてるんでしょ」
 圭子が睨む。
「そうでもない」
 綾音はそう言って空を見上げた。「ああ、早く止まないかなあ、この雨」
 彼女は話を逸らすために言ったのだが、実際に雷は遠くなっているようだった。
「ほんと、嫌になるよね」
 圭子が、やっとまともなことを口にする。
「ごめんね、ほんとに」
「いいってば、もう。綾音が雨を降らせたわけじゃないんだし」
「うん……、ありがとう」
 圭子の屈託のない表情に、綾音はうつむいてそう言うしかなかった。
「歌苗さん、ひとりなんだね……」
 圭子が、ぼそりと言った。
「またむし返したいわけじゃないけどね、私、見たことないよ」
「私だって、見たことないわ」
 また先刻のように持論をひけらかされてはかなわないので一応断った綾音だったが、圭子はそんなことを気にとめる様子もなかった。「でも、綾音だったら知ってると思ったんだけどなあ」
 圭子が、少し残念そうに言う。
「どうして?」
「だってさあ、綾音、よくあの時計の前でぼうっとしてるじゃない」
「ぼうっとしてる、はないでしょ。私は、あれが気に入ってるのよ。ただ見とれてるだけ」
「それって、もしかして恋してるってこと?」
 圭子が妙な目つきで綾音を見た。
「あんたね! 言っていいことと悪いことがあるわよ。祟られたって知らないからね」
「冗談よ、冗談。そんなに怒らなくたっていいじゃない。もう……」
 綾音が顔を真っ赤にして怒ったので、慌てて圭子は言った。
 二人がそんなふうに戯れている間に、雨は先刻と較べてかなり小降りになっていた。
「でもね、綾音。いつもあの時計に見とれてるなんて、やっぱり何か感じるものがあるんじゃない?」
「うーん……。私が感じるのは、あの時計が刻んで来た“時の重み”って言うか、その――何て言えばいいのかなあ……」
 どう表現していいものやら、綾音は頭を抱えた。
「いずれにしても、あの時計から何かを感じるというのは確かなのよね」
「まあ、そう言われれば、そうかも知れないけど……」
 圭子に念を押されて、綾音は煮え切らない思いで答えた。
「綾音は、波長が合ってるんじゃない?」
「波長?」
「そう、波長よ。分かり易く言うと、相性がいいってことよ」
「まあね……。強いて否定はしないわ」
「じゃあ、決定ね」
「何が?」
 知らぬ間に話が妙な方へ向かっているのが、綾音には気に喰わなかった。
「何がって? 行くのよ」
「行くって、どこへ?」
 その声には、話の筋の読めない苛立ちがあった。
「決まってるじゃない。学校よ」
 綾音の不快感をものともせず、圭子はむしろ楽しげで、今にも鼻歌でも歌い出しかねない調子だった。
「ほら、青空が見えてきた!」
 綾音が言葉を失って圭子を見ているというのに、本人はそんなことはお構いなしに遠い空を指さした。
 わずかな雲の裂け目から、眩しく輝く青空がのぞいていた。幾条(いくすじ)かの光が淡いサーチライトのように地表に降り注いでいる。
 ようやく、激しかった雨が上がろうとしていた。しかし綾音は、心の裡に湧き起こった小さな暗雲が、急速に膨れ上がりつつあるのを感じていた。

 もちろん、二人はその場ですぐに学校へ行くことはしなかった。二学期になれば、学校には嫌でも毎日通わなければならない。そういうことならば、“学校へ行く”などという言い方は決してしないだろう。そう、圭子は“嵐の日の”という言葉を省略したに過ぎないのだった。
 そして、その日は二学期が始まって間もなく訪れることになる。
「ねえ。今日あたりいいんじゃない?」
 圭子が窓の外に目をやって言った。
 土曜日の午後だった。空は不気味なほどに暗くのたうっている。
「何がよ」
 綾音は描きかけの絵から視線を逸らして訊ねた。
「もう忘れたの? 呆れた」
 圭子が廊下の方を目線で示す。「あれよ、ほら――」
 もちろん、綾音はそれを忘れていたわけではない。それとは、嵐の日になると歌苗が寂しがって泣く、というのを確かめることだった。綾音はその計画に最初から乗り気ではなかった。普段はおとなしい圭子だが、こういう怪奇めいたことに関しては異常なほどの情熱をみせる。綾音としては、そんな圭子に興味を覚えて、気の進まないまま同調しているだけなのだった。
「だって、台風が来てるのよ。圭子、正気?」
「だからじゃないの!」
 接近しつつある台風はまだ遙か南の海上にあるにも関わらず、すでに風はかなり強くなってきていた。
 まだ昼を少し過ぎたばかりだというのに、空はまるで夕刻のように暗く沈んでいる。警報が出るのも時間の問題だった。
 一部だけ開けられた窓から、生暖かい風が入り込んでくる。
 白いカーテンが風にあおられて舞う。それは背景となっている空や、すっかりくすんでしまった教室の中で、奇妙に艶(なま)めかしく綾音の目に映えた。
「ねえ、もう窓閉めない?」
 綾音は画架(イーゼル)の前から立ち上がって言った。
「そうね。どうせそろそろ帰り支度しなきゃなんないしね」
 圭子の言う帰り支度とは、もちろん見せかけだけのものである。
 綾音は身を乗り出して、外開きの年代物の窓を閉めにかかった。
「もう。帰れなくなったらどうするつもり?」
 綾音が少し苛立たしげに言った。圭子は、そんなことはどうでもいいとでも言うような顔で、使っていた道具を片付けている。
作品名:時計 作家名:泉絵師 遙夏