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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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時計

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11. 報せ


 陽光はすべてのものを灼き尽くさんばかりに強く照りつけていた。
 夏の盛り。綾音は教室の自分の席にいた。
 今日は登校日だった。HRの後、就職希望の生徒以外は、すでに帰ってしまっていて、彼女がここにいなければならない理由など、実際にはなかった。
 古い校舎のため、教室にはクーラーもない。しかし、木の部分の多い校舎はどことなく冷んやりとしていて、外の灼けつくような暑さとは対照的だった。
 圭子は生徒会の会合に出ている。待っていてくれと頼まれたわけでもないし、圭子を待っているのでもなかった。
 ただ、何となく名残惜しいように思えて居座っているに過ぎないのだった。
 あと少しで、ここを去ることになる。それを思うと、この通い慣れた学校の自分の席で、一人佇んでみるのもいいような気がしたのだ。
 照明は消されているが、夏の陽の照り返しで暗さは感じない。
 黒板には黄色いチョークの文字が消されずに残っている。
〈就職希望者は進路部へ〉
 担任の、決して上手いとは言えない右上がりの文字だ。
 綾音はそれを見て、小さく微笑んだ。
 いつの間にか、三年生――。
 時は、気づかぬうちに過ぎてゆく。
 扉の開く音がした。
「何だ、基松――。まだいたのか」
 担任の古瀬(ふるせ)だった。「忘れ物か?」
「いえ、私は――。そういうわけではないんですけど……」
「そうか。俺と一緒にしてはいかんな」
 古瀬は教卓の中から手帳を取り出して苦笑した。
「誰かと待ち合わせか? ――糸井なら、生徒会だぞ」
「ええ、知ってます」
「どうかしたのか?」
 何故、綾音が一人でここにいるのか、古瀬は興味を持ったらしかった。
「何も……。ただ、何となく……」
「ただ、何となく、か……」
 古瀬は、綾音の言葉を溜め息のように繰り返した。
「それも、いいかも知れんな」
 しばらく古瀬は黙っていたが、やがて独り言のように言った。
「何がです?」
 そのまま教室を出て行こうとする古瀬の背中に、綾音は訊いた。
「たまには、立ち停まってみることもさ」
 振り向きもせずに言うと、古瀬は扉を開けたまま薄暗がりの廊下へと去った。
 定年が近いと囁かれる古瀬の口から、こんな言葉を聞くことになるとは思いもしなかった。古瀬は決して口数の多い教師ではなかったし、その神経質そうな風貌のせいで、生徒の受けも良いとは言いかねた。
 綾音は二年続けて古瀬のクラスにいるが、話をした記憶がまるでないのだった。
 ――たまには、立ち停まってみるのもいい。
 それは、過ぎてゆく時間を堪能するということなのだろうか。
 そう、確かに彼女は立ち停まっていた。夏の日の、モノクロームの光景の中で。
 掲示板に貼られたプリントが、微かな風に揺れている。
 綾音は開け放たれたままの窓を閉めに、窓際へと寄った。端が汚れた白いカーテン。それを、そっと引っぱってみる。
 グラウンドには、今は人影ひとつない。それは珍しいことだった。夏休みとは言え、いつもどこかのクラブが練習に使っていて、人の姿の絶えることなどなかったからだ。しかし今は、誰かが置き忘れたボールが一つ、その真ん中で陽射しを受けているだけだった。
 背後に誰かが立つ気配がした。
 綾音はカーテンを優しく掴んだ手はそのままに振り返った。
「圭子……」
 圭子が教室の入り口で立ち停まって、綾音を見ていた。
「早めに終わっちゃったんでね……」
 その場から動かずに言うと、圭子は小さく微笑んでみせた。「――待ってるなんて、思わなかった」
 綾音は曖昧に微笑んだ。特に圭子を待っていたわけでもなかったからだ。
「何を見てたの?」
「うん。珍しいな、と思って……」
 圭子は窓際に歩み寄って、先刻綾音がしていたように外を見た。小さな杉の木の向こうに、誰もいないグラウンドが広がっている。
「静かね……」
 圭子が呟く。「こんな時もあるんだ」
「ねえ――」
 綾音が外を見つめたまま言う。「もう、三年生なんだね」
「うん」
「もう卒業なんて、嘘みたい」
「そうね」
「卒業しても、私達、今まで通りでいられるかしら」
「もちろんじゃない」
 圭子は強く言った。
「そう? でも大学は別々になっちゃうのよ」
「……」
「今までは、ずっと一緒で、当たり前みたいに毎日顔を合わせてたけど、もうすぐそうじゃなくなるわ。それでも、今まで通りにやっていけると思う?」
 綾音は、視線を圭子の瞳に据えた。
「綾音……」
 圭子はそれを受け止めたまま黙り込む。
 綾音は、そんなことを言った自分に驚いていた。
「ごめん……」
 しばらくして、綾音がぽつりと言った。「こんなこと、言うつもりはなかったの」
「うん。……でも、綾音の言う通りかも知れないわ」
「何が?」
 今度は、綾音が訊く番だった。
「私達、別々になっちゃうのよね……」
 溜め息のように、圭子は言った。
 そして二人は、再び外に目をやった。
 いつの間にかソフトボール部が練習を始めている。グラウンドには、いつもの光景が戻っていた。
 そう、二人は幼馴じみであり、大の親友でもあった。一つの玩具を取り合って喧嘩した頃から現在まで、二人はずっと一緒だった。しかし、これからは違う。それぞれの未来に向かって別な道を歩み始めることになる。別々の大学に通い、別々の世界を生きてゆくことになるのだ。当然、そこでは新しい友人をお互いに見つけるだろう。そして、二人が会って話をする機会も次第に減ってしまうに違いなかった。
 本当に心を許せる友人を見つけるということは、決して容易なことではない。大人になるにつれて、そこには打算やおかしなしがらみが絡んでくるからだ。
 綾音は、教室の入り口に立ったままの圭子を見たときの感情を思い返していた。
 何も言わなくとも自分のことを解ってくれる親友。最近、話す機会の少なくなった圭子に、綾音はこれから先のことに漠然と不安を感じたのだった。
「仕方のないことよ」
 綾音は自分に言い聞かせるように言った。「圭子は、私じゃないんだから……」
「いつも、一緒だったね」
 圭子が言った。
「うん」
「遠足も、学芸会も――。それに、入試もね」
「そうね。あのときは抱き合って泣いたりしたっけ……」
 綾音は遠くを見る目をした。
 そう、あれは冷たい雨の降る日だった。二人は掲示された合格者の受験番号の中に互いのものがあるのを見て、思わず傘を放り出し、共に嬉し泣きしたのだった。
 その圭子と離ればなれになる。
 そう思うと、綾音は涙が溢れてきそうになるのだった。
「もう泣いてるの?」
 圭子が、そんな綾音の表情を見て言った。
「うん。ちょっとね……」
「思い出話をするには、少し早過ぎない?」
「そうよ。早過ぎるわよ。何も、もう会えなくなるってわけでもないのに」
 綾音は指で溢れかけた涙をすくいながら言った。
「気の早いことね。まだ卒業式でもないのに」
「でも、今泣いとくと卒業式のときに泣かないで済むかも知れないでしょ」
 綾音はそう言って、無理に微笑んだ。
「そう言えば――」
 綾音が突然、何かを思い出したように言った。「圭子。何か用があってここに来たんじゃなかったの?」
「あ、そうだった」
 圭子は自分の机の中を覗き込んだ。
作品名:時計 作家名:泉絵師 遙夏