小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

Riptide

INDEX|13ページ/24ページ|

次のページ前のページ
 

 翔平は木の根に足を引っかけて上ると、元の道に下りた。林の中に逃げ込むとは思っていなかったし、正人は知り合いのような人に話しかけていた。見たことのない顔だったが、目ははっきりと合ったとき、今日はここで終わりにしようと思い立ち、引き返した。柵の手前まで来たとき、翔平は足を止めた。木の隙間からタヌキが現れ、自分の縄張りであることを示すように頭を低くすると、横切っていった。柵の下をくぐろうとしたとき、爆竹を鳴らしたような音が鳴り、タヌキは仰向けにひっくり返った。柵にぶつかって、見えない力に弾き飛ばされたような恰好だった。柵に電気が流れているということに気づいた翔平は、圭織に連絡するためにスマートフォンを取り出した。
 電波は届いておらず、圏外になっていた。
     
     
・午後〇時四十分
     
 十五歳だった、十年前の自分。整列するように並ぶ住宅の一つに『戸田』という表札のかかった家があって、父親と母親、二つ年下の妹と自分の、四人で住んでいた。戸田家は、サラリーマン一家だった。家を建てるときも、周りに同じような家が並んでいないと、逆に不安だったのではないかと思えるぐらいに、平凡そのものだった。そして、戸田家が新しい拠点に選んだ新興住宅街には、同じような生活を同じように送る一家が、整列していた。殻を破りたかったわけではない。突飛な行動を取るタイプではなかったし、親に対する反抗心というのも、思春期の子供の一般的な行動を手本にしたようだった。
 殻を破るなど、そんなことを想像するよりも前に、基盤である戸田家が壊れた。父親は、普通の家庭を持つサラリーマンだった。外にもう一つの家族がいて、そちらを選んだということを知ったのは、『戸田』という表札がなくなり、母親の旧姓である『高石』に変わったときだった。高石玲奈になってから、突然自分を囲う殻ができたように感じて、それまでとは、全く逆のことをするようになった。何が普通かよく知っていたからこそ、簡単なことだった。高校卒業を控えるころには、家は表札がかかっているだけの、ただの場所に成り下がっていた。二階には、自分の名前が書かれた部屋がある。向かい合わせに妹の名前が書かれた部屋があり、家を出てからは顔も忘れてしまった。化粧をして、ほとんど出席していない高校の制服さえ着ていれば、一日中外に出ていても、何にも困らなかった。目を合わせれば声をかけられて、ご飯をおごってくる人や、ずっとついてくる人まで、色々な人が町を歩いていた。
 高校を卒業して一年は、その感覚が忘れられず、制服を着て町を歩いた。夜、営業時間を過ぎて、軒先にごみ袋が積みあがったファーストフード店の前。そこで暇そうに煙草を吸っていた男が、宇多だった。何を話したか、もう覚えていない。警察ですら二人が出会うのを歓迎していたように、その日は一人も見かけなかった。
 その日に至る過去のことばかり夢に出るのは、元に戻れる、最後の瞬間だったからなのだろうか。高石は、上谷が崖を上がっていった後ろ姿を思い出しながら、自分が木陰に仰向けになったまま、相当な時間眠りに落ちていたことに気づいた。伸びをしようとすると、右手が木の幹にぶつかり、左手がベルトのような固いものに触れた。高石は節々が痛む体に顔をしかめながら、呟いた。
「……どうだった?」
 林を抜ける道は見つかったのだろうか。かなり入口に近いほうで、午前中を過ごしたことになる。目を開けると、太陽の光が追いつくように、木々の隙間から光を差し込み始めていた。また新しく、涼しい場所を探さなければならない。ようやく目が慣れた高石は、言った。
「んー、おはよう」
 酒井は、右手に持ったハンマーを振りかぶって、言った。
「おやすみ」
 一発目は、高石の左目に命中し、眼球を破裂させるのと同時に、眼窩を陥没骨折させた。高石の喉から声が発せられるより前に、二発目が鼻の骨と前歯を砕いた。三発目が眉間の骨を折り、すでに無くなった左目の奥から血が噴き出した。四発目が追い打ちをかけて脳に届き、高石は数回体を痙攣させてから、死んだ。酒井は、ハンマーについた血を高石の服で拭うと、立ち上がった。スニーカーを高石の両足から抜き、リュックサックに括り付けて、言った。
「寝坊助だな」
      
 正人は、女の人が時折思い出したように眺めるスマートフォンの壁紙を、ちらりと盗み見て、言った。
「その二十五秒って、なんの時間ですか?」
「これ? 最高記録だよ」
 女の人が大きめの岩に足をかけたとき、木の隙間から声がかかった。
「千夏」
 千夏は、正人に言った。
「この人は、酒井っち。友達なんだ。一緒にハイキングしてたの」
 正人は、新しく仲間に加わった酒井の全身を見渡した。山歩きに半袖のTシャツなのは場違いな気がしたが、リュックサックは重そうで、千夏と呼ばれた女の人の分まで、荷物を全部背負っているような恰好をしていた。カラビナに、薄いスニーカーが靴紐で括りつけられていて、千夏は目を丸くしてそれに触れると、言った。
「ねえ、これって」
「そうだよ。見つけた」
 酒井は笑いながら答えると、正人に向き直った。
「この辺の子?」
 酒井が向けた笑顔は、正人が今までにあまり見たことがない種類の、朗らかさだった。幼稚園の先生が、こんな顔で話していたのを、かすかに覚えている。嬉しいことがあって、それを人に言いたくて仕方がないような、そわそわした表情だった。正人がうなずくと、千夏が補足するように言った。
「友達と一緒に歩いてたんだよね」
「あ、あの。友達じゃないんです。あと、はい。地元です」
 酒井が辺りを見回し、正人はその表情を追った。逆光でよく見えなかったが、さっきと違って、もう笑っていない気がした。
「隅谷正人です」
 正人が言うと、酒井は屈みこんだ。その表情は、さっきの笑顔に戻っていた。
「この林は、広いのかな?」
 千夏が代わりに答えた。
「案内してもらえそうなの。田んぼ側に抜けられそうだよ」
「よかった。無事、天の川が見られるな」
 酒井はそう言うと、立ち上がった。正人は思わず見上げた。背が高くて、警察官のように姿勢が良かった。同時に、違和感を覚えた。天の川の撮影に来たのなら、山道をぐるりと迂回すれば辿り着ける。途中、木が頭上に茂って昼でも日の入らない暗い道があり、そこは少し不気味だが、同級生の中にも怖がる人はいない。二人は、暗い場所が苦手なのだろうか。そう思った正人は、酒井の顔を見た。千夏と同じように、ころころと表情の変わる人で、今は太陽と勝負するように目を細めて、眩しそうにしている。
 明るい場所が好きな人なんだろう。正人は勝手に納得して、斜面を指差した。
「ここから滑るんで、気をつけてください」
     
 今まで全く近寄ってこなかったのに、帰ろうと決めて片づけを始めた辺りで、白猫が尻尾で背中を撫でていった。中原が後ろを振り返ると、白猫は舌をちらりと出してあくびをした。
「おー、愛想なしかと思ったら」
 中原は呟くと、白猫の頭を撫でた。前に回って釣果がないことを確認した白猫は、抗議するように寝そべった。
「すまんな。今日は完封負けですわ」
作品名:Riptide 作家名:オオサカタロウ