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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Riptide

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・七月六日 午前七時十五分
     
 自分たちも殺される。そう気づいたきっかけは、些細なことだった。
 上谷修司は、ワゴンRのハンドルを握りしめて、制限速度を少し超えたスピードで走り続けていたが、それでもバックミラーから完全に目を離すことはできなかった。時速ニ十キロでノロノロ運転をしている軽トラックを追い越したとき、車線逸脱防止の神経質なアラームが鳴り、助手席で高石玲奈が首をすくめた。布切れで止血した左腕の近くを、右手でさすっている。上谷はバックミラーに視線を走らせた。何キロか手前で、かなりの無理をして大型トラックを追い越したとき、ついにその姿は、バックミラーから消えた。夜通し走っている間、街灯も車の流れもなくなった数回、追手の車はヘッドライトをハイビームに切り替えて、仕掛けてきた。追突し、リアハッチを引っ掻くように、追手の車は車体を左右に振った。
 二人が逃げるのに一役買っているオレンジ色のワゴンRは、二人の車ではなく、仲間の宇多が先月買ったばかりの、新車だった。今から数時間前、深夜。大きなキーホルダーとセットになったスマートキーが、机の上に乗ったままになっていて、上谷はそれを回収し、高石の手を引こうとしたが、空振りした。振り返ると、高石は、武器になりそうな小型のナイフを宇多の上着から抜き取って、シースケースを外したところだった。そのすぐ後ろに、あの男と、恋人の女のシルエットが見えた。『危ない!』と上谷が叫ぶのと同時に、高石がナイフを持ったまま振り返り、女の腕を切り裂いた。同時に女が振るった手斧の一撃が、高石の腕の肉の一部を、バターのようにそぎ落とした。それでも、上谷は高石の無事な方の手を取って、強く引いた。宇多が飛び起きたのが音で分かったが、上谷は一切振り返ることなく、高石と一緒に雑居ビルから飛び出した。事情がなければ、夜中の国道にワゴンRのタイヤを鳴らしながら飛び出した瞬間、警察に電話をかけていただろう。しかし、それは叶わないことだった。
 上谷、高石、宇多の三人は、全員が二十五歳の仲良しトリオで、特殊詐欺の受け子をやっている。宇多は電話担当も兼ねており、本人はよく『ちょっとぐらい、人見知りになりたいわ』と冗談で言うぐらいに、その人と打ち解けるスピードと話術は、目を見張るものがあった。全体を見通せば、三人は詐欺グループの末端で、上には白須という名前の、初老の男がいた。ホッピングするようにひょこひょこと歩く、常に疑うような上目遣いの男で、組織の全体像は、三人の内誰も把握していなかったが、ある日、この白須が『事務所』にぱったりと来なくなったことで、何かが起きたのではないかと考えた。
 白須の息子が強盗で捕まり、父親の仕事のことまで、ぺらぺらと喋るのではないかという懸念がある、という事情を三人が理解したのは、白須が不肖の息子とともに『事務所』に連れ帰されて、後ろから、山歩きでもするような荷物を背負った、あのカップルが入ってきたときだった。長身の男に比べると、女はやや小柄だった。
 上谷と高石は、自分たちのことも、警察が行方を探している可能性が高いということを、家の近くに住む仲間から教えてもらっていた。そんな二人が警察に逃げ込めないなら、相手も同じで、人目に付く場所で堂々と犯罪を犯すほど、無鉄砲ではなかった。その証拠に、逃げている間も何度か信号待ちで並んだが、防犯カメラに映っているのが分かっているからか、手は出してこなかった。一回目に並んだとき、女の方が助手席から体を少し乗り出して、赤色のリュックサックを掲げた。それは、高石が回収するのを諦めた私物で、女はからかうように、リュックサックを顔の前でぶらぶらと揺すった。男が呆れたように笑いながら、それを手で止めた。二人の飄々とした仕草は、今からちょうど二十四時間前と、何一つ変わっていなかった。上谷は、おぞましい記憶を振り払うように、忙しなく瞬きをした。二人が、白須とその息子を殺すのを、この目で見た。それは、新しい面子の登場に張りつめた空気の中、男が『差し入れ』と称した弁当を全員で食べているときに、突然起きた。
『みんな、ご飯おいしかった? あなたたちも、これから共犯ね』
 突然、女が宣言するように言うと、使っていた割り箸の片方を二つに折って、白須の耳に突き刺した。宇多が椅子から転げ落ち、高石が悲鳴を上げた。上谷には、白須の左目が倍ぐらいの大きさになって飛び出したように見えた。その左手が痙攣するように跳ねて、ほぼ同時に男が、白須の息子の首めがけて、大型のナイフを突き刺した。平たい刃がするりと吸い込まれるように首の中を貫いて、引き抜くのと同時に、今まで皆が食べていた弁当の載るテーブルに血がまき散らされた。白須親子が死んだことを確認すると、男が言った。
『今は繊細な時期なので、皆さん、お口にチャックでお願いします。数日間の辛抱です。我々は、見張りということで、ここへ来ることになりました。身の回りの世話はこちらでしますので、よろしくお願いします。おれは酒井です』
『わたしは三咲です』
 歩調を合わせるように女が言うと、ぺこりと頭を下げた。この二人がカップルだということは、男の仕草から、高石が先に気づいた。結局、全員殺すつもりだということに上谷が気づいたのは、二人が名前を名乗ったからだった。
 そんな風に、気づいたきっかけは、本当に些細なことだったのだ。
 宇多から都市伝説のようにずっと聞いていた、『やらかすと、とんでもない始末屋が来る』という話。その実物が目の前にいた。酒井と三咲と名乗った二人は、気味が悪いぐらいに面倒見がよく、目の前で人が二人死んだばかりだというのに、宇多はすぐに打ち解けた。
『自分も上から聞いてたんすけど、ほんと、そういうのフカシだと思ってたんすよね』
 そう言ってひきつったまま笑う宇多に、女は、明るく笑いながらお酒を注ぎ、男はスナック菓子を食べながら相槌を打っていた。宇多の現実を受け入れるスピードの速さに、上谷と高石は到底ついていけなかった。『事務所』に使っていた拠点の建物は、もともと工事業者が使っており、大きめの風呂が備え付けられていた。上谷と高石も使ったことがあったが、殺人カップルは、来る前から決めていたように手際よく氷水を張ると、そこへ白須親子を投げ込んだ。宇多も含めてよく三人でトランプをしたテーブルは、血を拭った跡がうっすらと残り、そこで今後何かを食べたり話したりすることはないだろうと、上谷は思った。その決心は今でも揺らいでいないし、助手席で血の気の引いた顔をしたまま、窓の外を眺めている高石も同じはずだった。景色の左半分は海岸線、右半分は林。半島をぐるりと周回するように、流れの早い県道を走っている。
作品名:Riptide 作家名:オオサカタロウ