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天空の庭はいつも晴れている 第11章 慈愛と呪縛

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「彼女の息子に言ってくれないか。もし、できれば満月の晩に花を川に流してやってくれと。そうすれば、川を下って海に流れた花はここへ届く」
 わかりました、そうアニスは答えてサラユルと別れた。
「ご先祖さまたちと何をお話してたんですか?」アニスはルシャデールにたずねた
「説教風味のありがたいお話だよ。癒し手の仕事はすばらしいって。」
「きっと心配してるんですよ」
「私がアビュー家を潰すんじゃないかって?」
 そうかもしれないな。アニスはそう思い、くすっと笑う。
「でも……ここにいる連中は嫌味なんか通じない奴ばかりだ」
 ルシャデールは頬をふくらませた。
 二人は施療院を出て歩き出す。
 なぜということもなしに、右手の木立に向かっていた。樹々の間を小川が流れる。助走をつければアニスでも飛び越えられそうな幅だったが、表面の平な飛び石が置かれていた。ふちには芹が生え、クレソンが小さな白い花を咲かせていた。流れの柔らかなところではシジュウカラに似た灰色と黒の鳥が水浴びをする。
 風のそよぎと、それに乗って聞こえてくる竪琴の微かな音が、向こうの世界から身につけてきた不浄なものを洗い流していく。
 どんどん澄んでいく。僕が僕に還っていく。
アニスは空を仰ぐ。雲雀《ひばり》がどこかで鳴いていた。
(ここは覚えがある。なんだか懐かしい)
 再び目を木々の間に戻すと、その向こうに、広場のような草地が見えた。いくつかある木製の四阿(あずまや)の一つに、彼は見出した。夢にまで見た両親を。そして走り出す。
「父さーん! 母さーん!」
 目の前がゆがむ。
 ぼろぼろこぼれる涙で前がよく見えない。そんなアニスをがっちりと受け止めたのは、間違いなく父の腕だった。いったい何度その腕で抱き上げてもらったか、覚えてはいないが、その揺るぎなさにアニスは全幅の信頼を委ねていた。時には、背中から落ちそうなほどに肩越しに乗り出したこともあり、母からこっぴどく二人とも怒られた。
 父の大きな手がアニスの髪をくしゃくしゃとかき混ぜるようになでる。
「アニスったら、本当に昔からお父さんっ子なんだから」
「あ……ごめんなさい」あわてて父から離れると、母が微笑んでハンカチを渡してくれた。涙と鼻水をふき、二人を見ると記憶にあるよりも若く見えた。その後ろに祖父もいた。だが、妹の姿が見えない。
「エルドナは?」
「あの子は次に生まれ変わる準備に入っているんだ。すぐに来るよ」 
 少し落ち着いたアニスを母がふんわり抱きしめた。
「よく、がんばったわね。私たちが死んでしまった後、あなたが村を出て、知らない人たちの中で働いているのを私たちは知っているわ。えらかったわね」
 やさしい言葉はかえって涙を誘う。アニスはまた鼻水をぐしゅぐしゅとさせていた。
「ひどいよ、みんな。……僕だけ置いて。一緒に連れて行ってくれればいいのに」
「アニス」たしなめるような父の声。
「わかっているよ、そんなこと言うのは弱虫だって。弱虫でも、卑怯者でもいいよ。僕も一緒に死にたかった!」
「アニス、おまえは自分よりも辛い思いをしている人を知っているね? あの子の前でそんなことを言うのかい?」
 父も母もいろいろなことを知っているようだった。アニスはちらりと後ろを振り返った。ルシャデールが少し離れたところでこっちを見ていた。彼女のやけつくような憧憬のこもったまなざしは、すぐにいつもの冷ややかなものにとって変わった。アニスはもう一度、両親の方を向いた。
「ごめんなさい」
「おまえは弱虫ではないよ。お前がアビュー家のお屋敷で、誰にも甘えずに頑張っているのはわかっているよ。そして、ちゃんとやってきたじゃないか。十分に強い子だ。私たちは向こうの世界から、こっちに移っただけだ。いつだっておまえのことを愛しているよ」
「カデリにいるあなたに私たちが見えないのは残念だけど、それでも私たちはここで元気に暮らしているわ。いつでもあなたを見ている。それを忘れないで」
「おまえに教えるべきこと、伝えるべきことは、七年で、(たった七年だが)すべて伝えたと思っているよ。これから起こることも、ちゃんと乗り越えていく力をおまえは持っている。地図は受け取ったようだね?」
「これ、やっぱり父さんが描いたの?」
「ああ、うまいもんだろう?」アニスの父は口の端をきゅっと上げて笑った。
「あなたが来るのが待ち遠しくて、じっとしてられないんだから。道に迷わないよう、地図でも用意してあげなさい、って私が言ったの。一度なんか、待ちきれずにカデリへあなたの様子を見に行ったのよ」
 母が笑い、アニスを抱きしめた。
「私の小さな騎士さん、あなたは何も失ってなんかいないわ。私たちはここで生きているし、ね。大丈夫、あなたは一人でもやっていけるわ」
母のぬくもりは離れがたい。また向こうへ戻るのは嫌だった。母の肩越しに十七、八の少女が鳶《とび》色の髪を揺らしながら走って来るのが見えた。
「お兄ちゃん!」彼女はそばにくると、息を切らせて、「ああ、よかった。まだいてくれて」と笑った。
「もしかして……エルドナ?」おそるおそるアニスは聞いてみた。
「そうよ!あ、こんな格好してるからわからないのね。これでいい?」彼女は一瞬にして四歳のエルドナに変わった。安心してアニスは彼女を抱きしめる。
「生まれ変わる準備をしてるって?」
「そう。計画所で先生と話し合って決めるの。次はお姫様に生まれたいって言ったら怒られちゃった。もし、お姫様に生まれるなら、自分の楽しみを我慢しても貧しい人や弱い人につくす覚悟がないとだめだって。お金持ちに生まれる方が大変なんだって」
 エルドナは頬をふくらませる。
「おまえがお姫様じゃまわりの人がかわいそうだ」
 アニスは笑った。
「ひっどおい!」エルドナは兄の方を叩く。そんな妹に、生きていた頃の思い出がよみがえる。アニスの眉根が下がった。
「もう会えないかもしれないんだね」
「まだ生まれるまで少し間があるわ。向こうの世界の時間にしたらまだ何年か先のこと。大丈夫。もし生まれ変わって、お兄ちゃんに会ったら、『豚の鼻に真珠をつっこめ!』って言うから、気がついて」
 それはかくれんぼの時、百数えた鬼が探し始める合図として叫ぶ言葉だ。
「見つけた時は『豚のしっぽはくるくる回る!』だよ」
 会ったら話したいことはいっぱいあったはずだった。しかし、言葉にならない。
(ずっとここにいられたらいいのに)
 しかし、向こうの世界に戻らねばならないことも十分わかっていた。
「僕、行かなきゃ」
「ああ、そうだね」父がうなずく。
 いろいろなことが思い出される。一緒に釣りに行って、何も釣れず母をがっかりさせたこと。山苺を取りに行って道に迷い野宿したこと。何もごちそうのない冬至祭にみんなで歌を歌ってたこと。
「おまえはいつだって、私たちの希望だった。ありがとう」
 もう一度、家族一人一人と抱きあって、アニスはルシャデールとのもとへ行く。
「ありがとう、ルシャデール」
 アニスの父がふわりと彼女を抱きしめる。
「あなただったんだね」ルシャデールが言った。「あの夜、私にミルテの花吹雪を運んできたのは」