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天空の庭はいつも晴れている 第8章 ミルテの枝

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 母にそういうことをしてほしかった。かまってほしくて、わざと風邪を引いて熱を出したこともあった。ベッドの近くで吐いてしまって、ひどくぶたれたのを思い出す。そして、吐いたものを自分で始末しなければならなかった。それからだったろうか、母には何も求めないようになったのは。
 ルシャデールの胸の中奥深く、その頃の小さな彼女がまだ泣いている。ずっと無視してきたのだが。
 突然、そばでポンと音がして、振り返ると花守のミディヤがいた。木の葉の姿で立っている。
「なあにぃ、泣いてるの?」
 ミディヤはルシャデールの目じりに濡れた跡を見つけて言った。
「泣いてないよ。あくびが出たときに涙がでたの!」
 あわてて目をこする。
「何の用?」
「アニスからよ、はい、これ」
 ミディヤが差し出したのはミルテの枝だった。
「何、これは?」
「アニスがあたしに頼んできたの。いちばんきれいな花を持って行ってあげてって」
 しかし、枝には葉ばかりで花も花芽も見えない。
「花なんかついてないよ」
「いやねえ、風流がわからない人は」ミディヤは軽蔑したようにルシャデールを見た。「わからない?これから花の芽が出てくる枝なのよ」
 そう言われると、肉眼にはとらえられないが、枝の付け根にところどころに光る部分があった。ミディヤは誇らしげに言った。
「『咲けなかった花が一番美しい』のよ」
「何、ことわざ?」
「そう、あたしが今作ったの。それに、ミルテは祝福の花よ。」
ルシャデールは受け取り、礼を言った。
「そうだ、庭に戻ったらアニスに伝えて。『予定通り、ドルメテの中日』って」
「えーっ、あたし使い走りじゃないのよぉ」
 カズックと同じことを言う、とルシャデールは思った。しかし、カズックと違ってミディヤは下手に出た方がよさそうだ。
「かわいいミディヤ、お願い」
「わかった。ついでに言っとくわ。下品でぶっきらぼうでひねくれ者の御寮様が人恋しくて泣いていたって」
「そんなこと言わなくていい!」
 思わずベッドから飛び起きるが、花守はぴょんぴょんと跳ねて窓から出て行った。
 だから精霊は嫌だ。つぶやきながらルシャデールはベッドに戻った。きっと、アニスは咲いている花の中で一番きれいな花を、と考えてミディヤに頼んだに違いない。精霊の考えることは変にずれていることも多い。その一方で要点をぐっさり突いてくる。
「咲けなかった花が一番美しい」
 ルシャデールはつぶやいた。折られた枝に出てくるはずだった花は、もう芽を出すこともなく終わるのだろう。彼女は白い花びらを覆うようにたくさんの白い雄しべを広げる、繊細な花を思い浮かべる。
 ルシャデールは枕元のコップに水差しの水を注ぐと、ミルテの枝をさした。根がつけばいいなと思いつつ。
〈ありがとう、アニス、ミディヤ〉
 布団に入ると、彼女はもう一度眠りについた。

「枝?」
 アニスはほうきの手を止めた。午後からは庭に二十五軒もある四阿(あずまや)の掃除だった。散らばっていた枯葉はひとところに集められ、白大理石の床に山盛りになっている。
「そうよ、ミルテの枝。まだ花の芽が出てきてない枝よ。『まだ咲いてない花が一番美しい』そうでしょ?」
 ミディヤはルシャデールに言ったのとは少し違うことをアニスに言った。今の彼女は十二、三歳くらいの女の子の姿をしている。くるくるとカールした金髪に小生意気《こなまいき》そうな青い瞳だ。
「何、それ? 花はついてなかったの?」
「ええ、一個も。素敵でしょ?」
「あ……あ」
 まあ、いいや。きっと気持ちは伝わったはずだから。
「それから伝言よ。予定通り、ドルメテの中日に、って」
 何のことかはすぐにわかった。このところ御寮様の機嫌が悪く、その話は半ば捨て置かれたようになっていた。
「あたしは伝令じゃないのよ。お礼は?」
「お礼? ありがとう」
「馬鹿じゃないの、あなた! あたしみたいにかわいい女の子に、男の子がするお礼と言ったら、ほっぺにチュッ、しかないじゃない!」
「えーっ?」
 思いっきり嫌な顔をしてしまったのだろう。ミディヤは頬を膨らませ、顔を赤くして
「あなたなんか嫌い!」と叫んで消えた。次の瞬間、大きなつむじ風が四阿を巻くように荒れる。おさまったあと、アニスが掃き集めた枯葉はすっかり散らばっていた。
「あーあ……」
 自分の不調法をほんの少し後悔したが、やっぱり掃除をやり直す方がいいや、と思い、再び掃き始めた。その時、ふたたびミディヤの声が耳元で聞こえた。姿は見えない。
「そういえば、彼女泣いていたわ。」
「え? なんで?」
「知らない」
 それきりだった。
 何か、辛いことを思い出したのだろうか。アニスは昔、父とした話を思い出した。それは、どこかへ出かけた帰り、夜道を歩きながらした話だった。
『昔、森に一羽の鵺鳥《ぬえどり》が住んでいた。食べ物も多く平和な森だったが、ある日、嵐が森を襲ったんだ。とてつもなく大きな嵐で、激しい風に森の木々はごうごうとうなり、根こそぎ倒れてしまいそうなくらいだった。鵺鳥はねぐらに帰ろうとしているところを、嵐に巻き込まれてしまった。強い風にほんろうされ、羽ばたくこともままならず、何時間も鵺鳥は嵐の中にいた。そして、嵐が去った時に、鵺鳥は広い海の真ん中にいたんだ』
『海ってなあに、父さん?』
『そうか、おまえはまだ見たことがなかったな。ケレン湖へ去年行ったろう?あの湖をもっともっと広くしたようなものかな。東の果てから西の果てまで、ずっと大きくて深い水たまり、とでも言えばいいかな。そうだ、エルパク山に登ったとき、頂上から雲海が見えただろう?』
『うん、一面に雲が広がっていた。すごかった』
『あの雲が全部水になったような感じかな。ところどころ雲の間から山の頂上が突き出ていただろう、ああいうふうに、海にも小さな陸地があったりするんだ。さあ、話の続きだ。どこまで話したかな?』
『鵺鳥が海の真ん中にいた、ってところだよ』
『そうだ。鵺鳥がいたのは果てのない海の上だった。西も東も北も南も陸地どころか島の影一つ見えない。だけど、鵺鳥はもといた森に帰りたかった。だから、何日も何日も飛び続けた。昼も夜も。だけど、陸地は見つからない。鵺鳥はもう力が尽きかけていた。それでも夜の闇の中、星ひとつ出ていない空の下を飛び続けるんだ、ヒョーヒョーとか細い声で鳴きながら。森を探して』
『それで父さん、鵺鳥はどうなっちゃうの?』
『どうなるかな?』
『……海に落ちて死んじゃうよ。かわいそうだ』
『おまえが神様の手を持っていたとしたら、どうする? さあ、アニサード・イスファハンは神様になった。何でもできるぞ。何をする?』
『そしたらね、……島を作ってあげるんだ。そうだ、そして木をたくさん植える。森を作るんだ。元いたような森を。そうすれば鵺鳥は羽を休めることができるよ』
『いいぞ、アニス。それじゃ、鵺鳥は島に来て、大きな木の枝に止まった。でも、誰もいない島だ。鵺鳥は寂しくなった。また海を飛んで探しに行こうかと思うようになるんだ』
『じゃあ、また同じことになっちゃう』
『果てのない旅だね』
『誰か連れて来るよ。僕は神様だから、誰かどこからか連れてくる』