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天気雨の置きみやげ

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お題コミュで書いた作品です。
 お題は『雨』でした。

          『天気雨の置きみやげ』

(あ……天気雨……)
 里子は喫茶店の窓から通りを眺めながら呟いた。
 街行く人たちはカバンを頭に乗せて走り出したり、店舗から張り出したテントの下に駆け込んだりしている。
 だが、一転にわかに掻き曇って降り出した雨ではない、空は青空のまま。
 だれしも天気雨は通り雨だと知っている、それゆえ、どの顔にも当惑の色はない。
 むしろ、急に天から降り注いだ小さな災難を楽しんでいるかのようにも見える。

 里子は38歳のスナック店員。
 この15年で10回店を替えている、一つの街に腰を落ち着けている期間が短いので家財道具はごく少ない。
 家具や電化製品などを欲しいと思うこともある、だが引っ越しのことを考えると出来るだけ身軽でいたいとも思うので、財布の紐を緩めることはない。
 そうやって生きて来ていると、本当に必要な物などそれほど多くはないとわかる。
 元々は引っ越しのためだったが、あまり物を持たないことは里子のライフスタイルにすらなっていている。

 里子が頻繁に棲み処を変えるのには理由がある。
 里子には副業があるのだ……結婚詐欺師と言う名の。
 
 18年前、母親が病に斃れた。
 両親は里子が中学生の時に離婚し、それ以後、里子は母との二人暮らしだった。
 高校卒業後、里子は小さな会社で事務を執っていたのだが、里子の給料では生活費と入院費を賄うことはできない、母親の蓄えも1年で底を尽いた。
 母親もスナック店員だった、里子はそのつてを辿って事務員とのダブルワークで家計を支えたが、昼夜を問わずに働いても入院費用は里子の稼ぎを上回る、借金は徐々に膨らみ、それにつれて高額になる利子は更に家計を脅かすようになって行く。
 そんな時、里子に言い寄って来る客がいた。
 借金を清算し、入院費用を肩代わりしてやろう、その代わりに俺のものになれ、と。
 二回りも年上の、小さな不動産会社を経営していて抜け目なく立ち回れることを自慢げに語る男だったが、里子はそんな男が嫌いだった。
 しかし背に腹は代えられない、里子は男に身を委ねる他なかった。

 母親は入院から3年後に亡くなった。
 それを機に、里子は男の前から姿を消した。
 男からはそれまで数百万に上る援助を受けていたが、別れも告げずに行方を眩ますことになんの罪悪感もなかった。
 そして、その瞬間から里子の逃亡人生が始まった。
 
 スナック店員と言うのは、里子にとってまたとなく都合の良い仕事だった。
 スキルが全く不要と言うわけではないが、事務職とは違って新しい職場に馴染むのに要する期間はずっと短くて済む、そして、スナック店員の経験があると言うだけで、履歴書を正直に書かなくても身辺調査もされずにすんなり雇ってもらえる。
 しかも水商売は釣り上げる男を物色するには好都合、釣り堀で糸を垂らすようなものだ。

 里子はやや小柄で童顔、実年齢より少し若く見える可愛らしいタイプ。
 アパートでちょっとした家庭料理などを作って店に持ち込み、小鉢に分けてサービスすれば家庭的な女も演出できる。
 そうやって里子は魚が食いつくのを待つ、そして針にかかったら体を餌にして針を喉の奥深くまで突き刺してしまうのだ。
 結婚詐欺と言っても、一度に騙し取る金はそう大きくはない。
 男の経済状態にもよるが、騙されたと気づいても『高い授業料だったが、良い夢を見せてもらった』で済む程度にとどめて行方を眩ませるのだ。

 だが、スナック店員と結婚詐欺、どちらも何時までも続けられる仕事ではない。
 この15年で自分の店を持てる程度の蓄えはできた、そろそろここから遠く離れた、知り合いが誰もいない地方都市にでも行って自分の店を持とうか、と考え始めた頃、里子はその男と出会った。

 初めて彼が店にやって来た時、釣り上げるべき魚だとは思わなかった。
 40過ぎても役職を持たない、バツイチのしがない営業マン、だが、里子目当てで頻繁に来店するようになった。
 風体はさえず、金はなく、才覚もない。
 しかし、溢れる優しさと誠実さを持っていた。
 里子は次第に彼に惹かれるようになり、半年後には同棲するようになった。
 それからの数か月間は、男を騙しては棲み処を変える逃亡生活を送って来た里子にとって15年ぶりに訪れた、心休まる日々だった。
 そして、地方都市でスナックを持ちたいと言う夢を語ると、彼も喜んで同意してくれた、ならば自分も会社を辞めて一緒に店をやろうと。
 だが、その数日後、彼はアパートに戻ってこなかった、次の日も、またその次の日も。
 不審に思った里子が預金通帳を調べてみると……かなりの額が引き出されていた。
 
(笑っちゃわよね、全部じゃなくて1/3だけ持って逃げるなんてね)
 里子が貯め込んでいたのは3,000万ほど、彼が引き出したのはその内の1,000万ほどだったのだ。
(高い授業料だったけど、良い夢も見させてもらったな……)
 もちろん1,000万もの貯えを失ったのは痛いし、愛し、信じていた男に騙されたと知った心の痛手もある。
 だが、彼への愛情がまだ完全には消え去らないのも事実だった。
 赦す気にはなれないが、100%恨みに思う気にはなれないのだ。
 通帳とカードは律義にも鏡台の引き出しに戻してあった、これ以上引き出される心配はない。

(しょうがないな、あと何年か頑張ろう……)
 そう心の中で呟いて紅茶を飲み干すと、里子は席を立った。
 
 天気雨は歩道を濡らしたが、水たまりを作るようなことなく上がっていた。
 街行く人たちもカバンを抱え直し、軒先から出て何事もなかったかのように歩き始めている。 

(そう言えば、天気雨って、狐の嫁入りだって言うなぁ……)

 狐は嫁入り行列を人間に見られたくないので天気雨を降らせると言う。
 里子が彼と結婚して、どこか遠くの街で暮らしたいと夢見たのは事実、そして、その夢が叶わなかったのも事実だ。
 
(ま、しょうがないや、もともと人を化かして貯めたお金だもん、あたしのお嫁入りも幻だったってことね……)

 里子は会計を済ますと通りに出た。

 雨の前より少し澄んだ、涼しい空気が里子を包む……天気雨の置き土産だ。
 そして里子は青空を見上げ、一つ深呼吸をすると歩き始めた……真っ直ぐに前を見据えて振り返らずに……。

               (終) 
作品名:天気雨の置きみやげ 作家名:ST