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バー・セロニアスへようこそ 後編

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午後10時45分


さて、ファラオのギタリストアルバイトも、残り一時間弱となった。
あの聖闘士3人組が帰ってしまった後は特に大きなトラブルもなく、店内には和やかな空気が流れていた。
時折、聖域の雑兵と思しき人物が入店してくるくらいである。
最初はおっかなびっくりで店に出ていたファラオも段々慣れてきたのか、笑顔を浮かべてお客のリクエストに応じたり、インプロ(即興)でメロディーを作ったりと、なかなかの仕事ぶりを見せるようになっていた。
『案外この仕事も楽しいな。店に黄金聖闘士が来なければ』
誰もが思うことを考えたファラオは、何曲かジョー・パスのコピーを披露していたが。

カランカラン。

店のドアが軽やかな音を立てて開く。また新しいお客のようだ。
どんなお客だろうと、ファラオが横目でちらりと見やると、二人組の男がカウンター席に座った。
一人はよく知っている。冥闘士の自分たちに、聖域の情報を流しまくった男である。
極悪人で知られる蟹座のデスマスクだ。
『奴までこの店の客だったのか!?』
マズい、非常にマズい。
デスマスクには顔が割れているので、あまり遭遇したくないのだ。
そしてもう一人であるが……。
「……あ」
思わず声をあげてしまうファラオ。
あの男、冥界に住む人間ならば、ほとんどの者が知っている。
先の聖戦で、ラダマンティスが唯一執着した男。
ラダマンティスと心中(気色悪い言い方だ)した男……。
双子座の黄金聖闘士にして、海龍の海闘士のカノンだ。
『なんで奴までこの店に来るんだ!?しかもデスマスクつきで!!』
この二人、聖闘士の中でも札付きの不良として知られた人物である。
ファラオとしては、できれば関わりたくない。
『まぁ、こいつらに音楽を聴く耳があるとは思えんがな。私のギターがわかるかどうか』
と、自分のところの上司を差し置いて、そんなことを考えたりもする。
カウンター席に腰掛けたカノンとデスマスクは、早速煙草を取り出すと火をつける。
煙草は、カノンがマルボロメンソールBOXで、デスマスクがブラックデスである。
「お前、まだマルメン吸ってんかよ」
デスマスクはカノンの手元にあった煙草を手に取ると、少々呆れたように言う。
眉間に皺を寄せたカノンは、
「マルボロなら大体何処の国に行っても売ってるからな。俺のような仕事の人間にはもってこいなんだよ」
カノンは現在、ジュリアン・ソロのボディーガードを勤めている。煙草嫌いのソレントからは、
「おっさんは近寄らないで下さい。加齢臭が移る」
などとひどいことを言われているらしいが。
……それはともかく。
デスマスクはクックと、極悪を絵に描いたように笑うと、
「仕事ねぇ、仕事かよ。どーせてめぇのことだ。ジュリアン坊ちゃん放っといて、好き勝手やってんだろ」
「失礼なことを言うな、お前」
顔を引きつらせ、煙草を口に運ぶ。
カノンはスコッチ、デスマスクはブラックルシアンをオーダー。
聖域の連中はカクテル好きが多い……というのが、今夜のファラオの発見であった。
「マジーメに働いてるぞ、俺は」
「悪の限りを尽くしたオメーが、何を言っても嘘くさく感じるがな」
コーヒーベースのカクテルを舐めるように飲みつつ、デスマスクは毒を吐く。
「サガから聞いたぜ、お前のやらかしたこと。あいつがスニオンに閉じ込めたくなるのもわかるぜ、ハッハッハ」
カノンの顔面に煙を吹きかけるデスマスク。カノンも喫煙者だが、これは少々きつい。
「お前、7歳くらいからそのツラ活かしてジゴロもどきしてたんだって?」
「ジゴロじゃない!金持ちのバーさんの茶飲み相手だ」
「で、そのバーさんに飽きたら、幻魔拳かけて自殺させたんだろ?」
「違う!年だったから脳溢血だ」
声もグラスを持つ手も震えているところからして、デスマスクの話は真実なのだろう。
ファラオはあまり聞きたくない話を聞いてしまったので、気分は重かった。
自分たちの上司が、齢七つから金持ちのバーさん相手にジゴロをしていた男に負けるだなんて、あまり考えたくはない。
「それから、顔の綺麗な孤児を男も女も見つけてきて花売り(つまり売春)させてたんだろ?本当ひでーな、お前」
「違う!!あれは単に花の販売だ!!」
「その他にもおっさん騙して巨額の富を得た後、年齢制限のないカジノで遊びまくったとか、学校行事で製作していたドミノを行事の前日に全部倒してきたとか、聖域のトイレのトイレットペーパー全部外した上、水洗用の水道の元栓を締めたとか、散々悪いことしてたんだろ?サガもスニオンぶち込みたくなるわな、マジで」
……最後の2点はやけに悪事のグレードが落ちたような気がしないでもないが。
『しかし、これだけの悪人だからこそ、ポセイドンを騙そうと考えたのかも知れないな』
妙なところでファラオは納得する。
まともな神経の持ち主では、神を騙そうなどとは思いもしない。
「……ったく、あの馬鹿兄貴め。今度会ったらぶっ飛ばしてやる」
ぎりぎりと歯ぎしりをするカノン。イライラを忘れるためだろうか、飲むペースが上がっている。
あの兄は何処まで自分の所行を人に話したのやら。
「……後でサガに幻魔拳かけてみるか」
とんでもなく物騒なことを話しているのだが、デスマスクは酒が回ってきたのかゲラゲラ笑っている。
「やめとけ、やめとけ。どーせ返り討ちに遭うぞ」
「いや、わからんぞ。今度こそ俺が勝つかも」
「サガは強えぞぉー。アヒャヒャヒャヒャ」
完全に脳みそがアルコールに犯されている。まるで茹で蛸だ。顔も首筋も真っ赤である。
「おい、デスマスク。お前大丈夫かぁー?」
カノンが心配そうに尋ねるが、デスマスクは心底楽しそうに笑いながら、カクテルグラスをまた空にしている。
そしてカノンであるが、彼も人の心配をしている場合だろうが。
彼の白い顔にも朱がさしている。
二人ともファラオの気付かぬ間に何杯も何杯も飲んでいたようで、空いたグラスがカウンターテーブルの上にいくつも置かれていた。
「少しペースを考えて飲めよ。そんなんじゃ、すぐに潰れるぞー、デスマスク」
端から見ると、カノンも潰れそうではある。
「大丈夫だって。俺はイタリア人。ワインは水代わりだ」
そんなの、誰も聞いていないって。
あー、こりゃいかんなーと、ファラオは客のリクエストのハーレム・ノクターンを弾きながら考える。
この曲はテナーで奏でられる曲なので、あのねちっこさをこのギターでどこまで表現できるかが、腕の見せ所である。
『エレキならチョーキング決めてやるのだけどな』
アコースティックギターの限界に挑戦していると、カウンター席のカノンが急にテーブルを拳で殴り出した。
聖闘士の力でテーブルを殴ったら木っ端微塵に壊れてしまうのだが、一応無意識のうちにその辺の力の加減はできているらしい。
「おいおい、カノン。店壊す気かよ?」
「サガはよー、俺ばっかよー、悪者にしてるがよー」
冥界で見せた黄金の威厳はどこへやら。
スニオンにぶち込まれた頃のチンピラ口調が戻ってきている。デスマスクは煙草をくわえつつ呆れたように、
「おめーはあんま暴れんなよ?本気になったおめーを止めるのは、俺一人じゃきついし」
「うるせぇ」
「お前にも色々あったんだな」