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バー・セロニアスへようこそ 後編

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午後9時50分


一度だけ、昔一度だけ、オルフェからデストリップセレナーデのやり方を教えてもらったことがある。
ケルベロスの犬小屋の前をトイレにする冥闘士がいたのだが、同僚をバランス・オブ・カースで片付けてしまうのはさすがにマズいと思い、近所のオルフェに相談した。
『ハーデスにチクれば?』
『ハーデス様にそんなことでご面倒をおかけするわけにはいかないだろう』
『じゃ、少し眠らせる?僕の技でよければ、少し教えてあげる』
オルフェがギター片手に教えてくれたのは、すぐに解除できるDTSであった。
『どうしてすぐに解除できる技を編み出したんだ?』
『ああ、それはね』
地上からやってきた性格と行動に少々問題のある白銀聖闘士は、ユリティースが心底愛したであろう笑顔を浮かべてこう答えた。
『イタズラした後の反応、早く見たいだろう?』
……それからしばらく経つが、『イタズラ』の内容は、怖くてまだ聞いていない。
さて、この技においては曲はわりと何でもいいらしい。
ミドルからスローテンポのマイナー調の曲がベターだねと技の考案者が語っていたので、ファラオはリチャード・クレイダーマンの『午後の旅立ち』を選んだ。
店内に響く、甘く切ないメロディー。
ミロから八つ当たりを受けていたカミュも、我関せずで煙草を噴かしていたシュラも、ファラオのギターに耳を奪われた。
「ほぉ、あの曲をこうアレンジしたか」
「あのギタリストもなかなかやる」
ファラオのアレンジや演奏を誉める黄金聖闘士2名であったが、この曲がただの曲でないことに気付いていた。
「……シュラ」
席から腰を浮かせるカミュを、シュラは片手で制する。
「待て、これは俺があいつに頼んだ」
「?」
訝しそうに周りを見回すカミュ。
バーの客が皆、むにゃむにゃよ眠り始めているではないか!
「シュラ、これは一体どういうことだ!?」
「こういうことだ」
と、今の今までカミュに八つ当たりしていたミロを指差す。
ミロは今テーブルの上に突っ伏して、気持ち良さそうに眠っていた。
むにゃむにゃと呟いて、口の端からよだれが垂れている。
「……ミロが」
どこかホッとしたような表情を浮かべる水瓶座の聖闘士。
けれども聖闘士が、しかも最高位にある黄金聖闘士が敵の技に引っかかるなんてどうなのだろうという考えが頭を過ったのか、シュラを咎めるかのように、
「シュラよ、お前は仲間に何をする気だ」
するとシュラは悪びれることもなく、
「折角飲み屋に来て美味い酒を飲んでいるのに、酔っぱらって愚痴られたんじゃ、楽しくも何ともないだろうが。それに、これ以上エスカレートすれば、他の客にも迷惑がかかるかも知れないだろう」
正論である。あまりにも正論であるが故に、カミュは反論する術がなかった。
しかし、だ。かといって敵に仲間に技をかけるよう依頼するのはいかがなものかとカミュは思うのだ。
「……下手すれば、殺されていたのかも知れないのだぞ!?」
「安心しろ。そうなりそうな場合は、俺が真っ先に奴を撃つ」
ニヤリと、人の悪そうな笑みを浮かべるシュラ。
くわえ煙草までしているものだから、その柄の悪さは壮絶なものがある。
『……正義の聖闘士なのだがな』
人にはわからない程度に、小さくため息をつくカミュ。
シュラはミロの腕をとり自分の肩にかけると、スッと立ち上がった。
「こいつが起きるとまたうるさいぞ。眠っている間に、帰ろう」
「あ、ああ……」
カミュは頷くと、財布を取り出してレジにユーロ札を何枚も置いた。
店員が眠りこけてしまっているので支払額がわからないのだが、これだけあれば恐らく足りるであろう。
「シュラ、貸しにしておくぞ」
「すまないな。おい、そこのギタリスト!」
店から出る間際、シュラはファラオに声をかけた。ファラオは演奏を止めぬまま、顔だけをそちらに向ける。
「何だ、黄金聖闘士」
「3分後に技を解け。それと……」
「それと?」
思わず眉を顰めるファラオ。シュラは軽く微笑みながら、
「オルフェほどではないが、なかなかいい演奏だったぞ。これからも精進しろよ?」
ファラオの浅黒い顔がボンッ!!と、ゆでダコのように赤くなる。
黄金聖闘士にこんなにストレートに誉められるとは、想像すらしていなかった。
「じゃぁ、頼んだぞ」
そう言い残して店から去っていくシュラ。その後をカミュも追う。
3人の黄金聖闘士の小宇宙が完全に消えたのを確認したファラオは、コードを押さえ変えて全く別の曲を奏でる。
すると。
先程まで店内で寝こけていたお客が、次々と目を覚まし始めたではないか。
「あれ?」
「何で俺、寝ちまったんだ?」
「俺も飲み過ぎたかなー」
飲み屋だったことが幸いしてか、皆酒のせいで眠ってしまったものと考えてくれたらしい。
ほっと胸を撫で下ろすファラオ。
初めて使った技だが、無事に成功してよかった。
『しかし……どんなものでも覚えておくものだな』
もし管を巻いた聖闘士があのままここにいたならば、どんなことになっていたであろうか?
連れの二人が必死に止めるだろうが、それでも黄金聖闘士が店の中で暴れるというのは、あまり想像したくないシチュエーションである。
「……聖闘士も相当ストレスたまっているのだな」
客のリクエスト曲を爪弾きながら、ファラオは花畑の住民が地上に帰りたがらない理由をほんの少し理解できた。
確かに上役が『アレ」では、帰りたくなくなる。