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夢幻圓喬三七日

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十六日目:平成24年12月7日 金曜日



 
「かくばかり 偽り多き世の中を 子の可愛さは 誠なりけり、で世の中はあらまし嘘で固めたものでげすが、親御様が子供衆(こどもし)をかれこれ思し召す情ばかりは誠だと申します」
 現代の寄席でも良く耳にするマクラだ。これだけでは何の演目か僕には分からない。
「何のマクラですか?」
「子別れだよ」
 子別れは高座にかけたことがないって云っていたけれど、何か期するところがあるのだろうか。支度を済ませて、美代ちゃんの会社に向かう。

 会社ではすぐに神林さんの待つ社長室に案内され、応接セットに座ると、師匠が頭を下げて話し始めた。
「いきなり押しかけて申し訳ありません。何としても、社長さんのお力をお借りしたいと思いまして、無理を承知でお願いに上がりました」
「柴田さん、まずは頭を上げて下さい。何があったのかは分かりませんが、頭を下げるとしたら私の方です。東京と大阪の忘年会では、柴田さんからたくさんのものをいただきました。昨日アンケートを読み終わったところです。社員も私同様に素晴らしいものをいただいたことが書いてありました。どういったご事情かを詳しく説明していただけますか?」
 大阪の瀬尾さんが褒めてくれた社内アンケートを神林さんも読んだんだ。師匠と僕で桑の木幼稚園との関わり、その幼稚園の現状を神林さんに聞いてもらうと、最初は戸惑っていた神林さんの顔が厳しくなってきた。
「なるほど。良く理解できました。まずは、私からお礼を申し上げます。よくぞ真っ先に私の所へ来て下さいました。そんなご事情で、私どもの会社を思い浮かべていただいたことが、何よりも嬉しいですね」
 神林さんの会社以外に思い浮かばなかったことは、秘密にしておこう。その神林さんは自分を落ち着かせるように、コーヒーに口をつけてからゆっくりと話し始めた
「当社は食品商社でありながら宅食、いわゆる食事の宅配サービスには手をつけておりません。これは我が社というよりは、私の理念なのですが、只単に食事を届けることが本当に利用してくれる人の幸せ、豊かさに繋がるのか疑問だからです」
 宅食が幼稚園の支援にどう結び付くのかは分からないが、話の続きを黙って聞く
「日本には素晴らしい食文化があるのですから、それらを感じていただいたり、大げさにいえば、その食文化を自分は担っているんだ、と思ってもらえるような宅食を考えて、プロジェクトチームを発足させたところです。幼稚園の話をお聞きして、ひょっとしたらその幼稚園での食育が、宅食への手がかりになるかもしれませんね。早速タスクフォースに格上げして、今後のことも考え総務の清水君にも入ってもらいましょう」
 美代ちゃんもそのタスクフォースとやらに入るんだ。横文字が出てきたけど師匠は理解できているのかな? 横を見ると、師匠は顔を輝かせて大きく頷いている。
「その清水君から聞いたのですが、柴田さんは一週間後には日本を発たれるとか……」
「ええ、あたしは来週の木曜日には日本を離れます」
 日本だけじゃなく、師匠が世の中から居なくなってしまうことを考えると、今から涙が出そうになる。
「でしたら日本最後の日に落語会をしてもらえませんか?」
「あたしはもちろん構いませんが、どこでしましょうか?」
「私に任せてもらえませんか? 今から相応しい会場を探します」
 神林さんにお礼を伝えてから、美代ちゃんの所属する総務部へと足を運んだ。
「社長に呼ばれたわよ。何があったの? ……、やっぱり説明はいいわ。社長に聞くから。それと、さっき大阪の瀬尾ちゃんから電話があって、若朝さんという落語家に、河井君の連絡先を教えても良いかって聞かれたから、構わないって伝えたわよ」
 若朝さんが僕に何の用事だろうか? その後は、部長さんから古銭代金は間違いなく本日美代ちゃんに渡すことと、ミセス・グリーンからは先日のお土産のお礼を言われてマンションに戻った。

 幼稚園の先行きにほんの少しだけ明かりが見えたことで、師匠の顔も穏やかになって、少し饒舌だった。神林さんの話に出てきた食育という言葉も師匠は知っていた。そんな昔からある言葉だったんだ。部屋へ戻る前に、ドラッグストアと定食屋さんで、昨日の落語会のお礼と、来週の落語会が決まったら、またお越し頂きたいと伝えると「もちろん」と嬉しそうな返事がもらえた。コンビニでも落語会のことを伝えて、昼食を選ぶことにする。
 また少し種類が増えている弁当の中から、師匠は鯛飯弁当、僕は管理人さんお薦めの鳥飯幕の内にした。
 満足した昼食が済むと、師匠は当時の出来事を話してくれた。
 病床の圓朝師匠が弟子である圓喬師匠を心配してくれたこと、三遊派の人たちが反対したので、圓朝師匠の葬儀には出られなかったこと、誰の差し金か圓喬師匠の私生活のゴタゴタが、新聞にまで書かれたこと、寂しそうに、しかし、キッパリした口調で師匠は話してくれた。
「特に葬式のときは酷かったよ。師匠の本家からも人が来るから、ゴタゴタを抱えているおまえが出ると拙(まず)いって云われて出られなくてな。その代わり本葬には必ず出すからって云われたんだよ。本葬を取り仕切る三周は何を考えたのか、師匠夫婦は日蓮宗に信心してたんだが、真言宗の坊さんを京都から呼ぶ、なんて云いだしてな。だから本葬までひと月も間が開いたんだよ。その間に師匠の遺品の多くが無くなったのさ。でもその前に師匠が、前のカミさんたちにお金を渡してくれたのが嬉しいな。今更ながら、師匠の思いに有り難涙が出るよ」
 こんな時に師匠に掛ける言葉を僕は持ち合わせていない。黙って聞いていることしかできない自分が恥ずかしい。

……これから社長と桑の木幼稚園を訪問します。いつでも連絡が取れるようにしていてね……

 美代ちゃんからのメールだ。早くも神林さんが動いてくれた。師匠に伝えると
「だったら、あたしたちも近くにいた方が良いんじゃないか?」
 実家で師匠と二人で待機していると、美代ちゃんに返信をして実家へと向かう。

 実家への道中にまたメールが入る

……今から大阪を出て東京に向かいます。東京駅に着いたら連絡します。よろしくお願いします。若朝……

 若朝さんからだが、何をよろしくなんだろう? 師匠に伝えるとニコニコ笑っていた。
 実家では、両親に桑の木幼稚園のことを説明すると
「それでは、柴田さんが落語がお上手なのは、やはり血筋ですね」
 何かを感じてくれたのだろう、父も普段の軽口ではなく、神妙に応対してくれた。やや重い時間が四人の上を流れていく。父に落語のDVDをリクエストしようかと思ったがやめた。まさかとは思うが、子別れの中でも掛けられたら目も当てられない。

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* 嬶(かか)あなんかとボウフラ
* なんてもんは
* 棒を突っ込んで掻き回せば
* いくらでも出つくるんだ
* 嫌なら出て行け!

* 落語 子別れ(中)
* (三遊亭圓生)より
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やがて美代ちゃんからメールがきた

……今打合せが終わりました。お蕎麦屋さんで待ち合わせしない?……
作品名:夢幻圓喬三七日 作家名:立花 詢