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夢幻圓喬三七日

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十四日目:平成24年12月5日 水曜日



 
「金玉や男根を包む風呂敷だな」
 朝から武士のバレ噺なのか? お隣に聞こえていないことを願う。
「今のはなんという噺ですか?」
「侍(さむらい)の素見(ひやかし)だよ。今のご婦人方に、金玉や男根は差し合いはないかい?」
「大将の所の落語会で掛けるんですか? それだったら問題ないと思いますよ。年輩の方ばかりですし」
「だったら、これにしようかな」
 お隣の奥さんが廊下で待っていて、お土産のお礼を言ってくれた。そして、管理人さんにも定食屋のオバサンにも、オバサンと女の子が待っていたドラッグストアでも、大阪のお土産は好評だった。ドラッグストアのオバサンに明日の落語会のことを伝えると喜んでくれた。
 部屋へ戻って、師匠が風呂をつかうあいだに、美代ちゃんにメールで午後の訪問を知らせた。目的はもちろん美代ちゃんに会うため、ではなく、社長の神林さんへのお礼だ。
「その昔江戸と申しました時分に、この江戸の名物というとまず武士鰹と申しましたのはあながち鰹が江戸海で捕れるという訳ではない、相模海で捕れますが……」
 侍の素見のマクラかな。江戸海に相模海か……、師匠の口調とこの言葉で瞬時に江戸時代にタイムスリップしたように感じる。今の、いや僕が知っている師匠以外の噺家では絶対に感じることの出来ない感覚だ。
「江戸時代にいるみたいに感じましたよ」
「この噺は侍が中心だから、マクラでそう思って貰わないと、侍の口調が馴染まないんだよ。おまいさんも天狗連なら分かるだろう?」
 ちっとも分らない。学生時代にいい加減なマクラしか振ってこなかった罰だ。
「そうですね、分かります。分かります。え〜っと、神林さんには午後に会うとして、お昼はコンビニにしましょうか?」
「そうだな。どんな弁当があるのか楽しみだな」

 コンビニでは店長が少し悔しそうに「まだまだ知らない旨いものがあるんですね」と昨日のお土産を絶賛してくれた。女の子からも家族で奪い合うほど好評だった、とのお礼を聞いて師匠の顔もほころぶ。
「今日は自慢の弁当を貰いに来たよ」
「まだまだ種類は少ないですが、こちらの注文通りに作ってくれる仕出し屋さんを見つけました」
 弁当コーナーを見ると、なるほど三種の弁当が美味しそうに並んでいる。値段は納豆定食より高く、盛り蕎麦よりも安い。コンビニ弁当としては高めだが、店長の自信作なのだろう、品名と値段が丸文字で綺麗に書かれてある。師匠は茶飯の幕の内、僕は二色のそぼろ幕の内にした。マンションの玄関で管理人さんから声を掛けられる。
「そこのお弁当ですか? 鳥飯幕の内も美味しいですよ」
 買わなかった一種類だ。
 管理人さん推薦ではなかったが、ご飯に乗せられた鶏と卵のそぼろが洋風のおかずとも合って旨い。師匠の茶飯は和のおかずが添えられていて、旨そうに食べている
「こりゃ旨いな。あの店はこれから楽しみだな。卵焼きやろうか? 好きだろ」
「大好きです。わかりますか?」
「わからいでか! 毎日毎日卵ばっかり喰ってるだろ。贅沢な奴だな」
「今は一個十円くらいですよ。ほとんど値段が上下しないので、物価の優等生なんて言われてますよ」
「随分安いな。昔は一個四銭だったぞ」
 盛り蕎麦一枚三銭五厘の時代に四銭? ゲッ、恐ろしく高かったんだ。
「高かったんですね」
「ああ、それに腐ってる奴もあってな。買うときに透かして黄身を確かめたもんだよ。遠眼鏡(とおめがね)っちゅうてな」
 急に落語の権助(ごんすけ)口調になった。

***************
* 卵は遠眼鏡てぇだ なぁ
* どうして?
* こうやって見るから遠眼鏡

* 落語 蒟蒻(こんにゃく)問答
* (古今亭志ん生)より
***************

 食後の白湯で少し落ち着いて、お土産を持って美代ちゃんの会社へと向かう。

 総務の部長さんが席を外していたので、課長のミセス・グリーンに皆さんで分けていただくようにお土産を渡し、美代ちゃんに社長室へと案内してもらう。社長室で今日も元気な神林さんが大きな声で出迎えてくれた。
「よくいらしてくれました。どうぞどうぞ、こちらへ」
 初めての社長室に戸惑いながら。応接セットに腰を掛けるとタイミング良くお茶が運ばれてくる。
「東京、大阪と忘年会ありがとうございました。こちらの社員も、大阪の社員も皆大喜びでした。もちろん私も喜んでますよ。ハハハハ……」
「そう言っていただけると、私も嬉しいですね」
 師匠はそつ無く答えているが、神林さんの真意はまだわからない。
「それで今日お越しいただいたのは、柴田さんには今後も我が社の催しにご出席いただこうと思いまして、社内研修や慰労会などを考えているのですが、いかがでしょうか。ご承知いただけますか?」
 そうだったのか。これで師匠に期限がなければ大歓迎なのだが、遅すぎた。
「ありがたいお言葉を頂戴しましたが、あたしは間も無く日本を離れることになってるんですよ」
「えッ! 本当ですか? どちらへ行かれるんですか?」
「ニュージーランドです。農業をしようと思っているんです」
「ニュージーランドで農業というと、キウイですか」
「そうです。キウイ農家です」
「うわ〜、うちの会社は海外のフルーツは取り扱わないんですよ。国内産にこだわっていまして、でも、柴田さんがお作りになるんだったら考えても良いですね」
 神林さん! そんな会社の方針まで変えようとしなくても、よろしいですよ。師匠の単なる”でまかせ”なんですから。
「それじゃ、日本の農家の方に申し訳ないですから、あたしは向こうで頑張りますよ」
「しかしもったいないですね。あれだけ達者な芸をお持ちなのに……」
 神林さんは始めの元気がなくなってしまった。
「もう少しだけ日本におりますので、宜しくお願いします」
「え〜え〜。そりゃもう、何なりとおっしゃって下さい。出来るだけのことはさせていただきますよ」
 ほんの少しだけ元気を取り戻した神林さんに見送られ、社長室を後にした。

 マンションに戻り、大将の店へ行くまでの間、久しぶりの落語鑑賞会だ。と思ったら朝太さんからのメールが来た。そういえば、今日連絡をくれるといっていたんだったっけ。

……相談したいことがあるんですが、夜にお伺いしてもよろしいですか?……

 相談したいことって何なんだろう? 夜は大将の店なので、そこでも構わなければ、と返信した。少し早めに大将の店へ行けばいいだろう。
 マンションを出るまでの時間、先日の続きを聞く。
「それで、志ん朝師匠の動画の件ですが、画面を止め忘れていたんですよね」
「忘れていた訳じゃないよ。芝浜は知ってる噺だから別に止めなくてもと思ったんだよ」
 本当なのかな。先を聞こう
「でな、その画面の志ん朝さんが動いていたわけなんだが、噺が分かるんだよ」
 僕には分らない。
「何が分かったんですか?」
「だから、噺だよ。音が聞こえないのに話がわかったんだよ」
「読唇術かなんかですか?」
「どくしんじゅつってなんだい?」
「え〜っと、唇の動きで何を話しているかを読み取る技術です」
作品名:夢幻圓喬三七日 作家名:立花 詢