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夢幻圓喬三七日

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十三日目:平成24年12月4日 火曜日



 
 朝食バイキングでは、昨日取り残していた料理の数々を、大皿に乗せて満足げな師匠と共に、目の前で作ってもらったオムレツとトーストで、ゆっくりとした食事を楽しんだ。チェックアウトを済ませ、活気のある市場でお土産の昆布を買い込んでから、大阪の中心地へと移動した。開店早々のデパートで四人組お薦めのじゃこ山椒も買い求める。大阪の雑多な地下街の空気を、恐らくはこれが最後になるであろう師匠は静かに楽しんでいた。まるで体中に記憶させるように。
 空港行きのリムジンバス乗り場を目差して、地上に出ると地下街とは違った騒音に見舞われた。今日から選挙戦だった。その騒音に顔をしかめる師匠にタブレットでの落語鑑賞を勧める。バス乗り場で器用に操作して落語に聞き入る師匠の横で、僕は美代ちゃんと瀬尾さんにお礼のメールを送った。バスに乗り込み座席に着くと師匠はゴソゴソとタブレットをいじり始めた。こっそり覗くと志ん朝師匠の動画が映っている。真剣に見ているが怒ってはいないようだ。先日の新幹線でのことが頭を過る。志ん朝師匠の動画になにが隠されているのだろう。

 空港に着くと、離陸していくジェット機の大きさとその騒音に師匠は驚いていた。
「随分大きいんだね。あんなのが飛んでいくんだから、大したもんだ」
 空港のチェックインカウンターで手続を済ませると、出発までなんと専用ラウンジが利用できるとのことで、師匠と二人ラウンジに向かう。途中、空港内のいたる所に大人数のアイドル少女たちの広告が目立つ。
「あのお嬢さんたちは、上野でも見たな。人気者なのかい?」
 師匠に彼女たちの片寄った人気について説明をした。ラウンジ内でくつろぎながら師匠が話してくれたのは、師匠の時代のお嬢さんたちのことだった。
「娘義太夫ってのがいてね。学生や若い連中が追いかけ回していたもんだよ。今でもあるのかい?」
 落語のマクラで娘義太夫は聞いたことがあるが、今でも存在するのかは分からない僕は、急いで携帯で検索して師匠に伝える
「今は女義太夫とか女流義太夫というみたいですね。人気はあまりないみたいですよ。細々と続いています」
「驕れる者は久しからずかな」
「そんなに凄い人気だったんですか?」
「欣舞節(きんぶぶし)の替歌にもなるくらい、おまいさんの言葉を借りると片寄った人気だったよ」
 欣舞節を検索すると、ネットにあった。師匠からイヤフォンを借りて聞いてみる。その欣舞節の歌詞は、まるで彼女たちアイドルグループのことを言っているようだ。いつの時代も手玉に取られるのは男性ファンなんだ。
「柴田さんはその娘義太夫は聞いたことはあるんですか?」
「何度か聞いたけど、声・節・容子(ようす)の三拍子揃ったのはいないね。今のお嬢さんたちもそうだろ」
「そうですね。あまり詳しくはないですが、歌が上手くって、声が良くって、外見が良い人はいませんね。顔は別にして柴田さんが上手いと思った人はいるんですか?」
「上手いと思ったのは豊竹(とよたけ)團司(だんし)一人だけだな」
 検索すると、音声はなかったがプロフィールがあった。長生きをされて平成の世まで存命だった。師匠が知っている人が、平成まで生きていたことに不思議な感覚を覚えた。
「そんなに上手かったんですか?」
「ああ、顔と声は脇へ置いといて、節は一級品だったよ。ただ、人気が出なくてな。上方から東京に来たんだが、一年くらいで上方に戻ったよ。同じ『だんし』だが、セコでも客が呼べた談志とは逆だったな。雲にも一度聞きに行けって教えたんだが、あいつは聞いたのかな」
 落ち着いたら雲さんと團司さんの関係も調べてみよう。そろそろ搭乗の時間が近付いてくる。専用の検査ゲートから、二人オドオドと検査を受けて、搭乗口に向かう。師匠に、飛行機に重大な影響が出るので、タブレットの電源を切るように伝えると、爆弾ゲームのように僕に投げ渡した。座席に案内されるとすぐにおしぼりが出てくる。こんな椅子があれば家から出ないで、一日中座っていたいと思わせる座り心地だ。窓側に座った師匠は落ちつきなくキョロキョロと見回している。たぶん客室乗務員には初めての経験だとバレている。ゆっくりと飛行機が動き始めると、師匠の顔は窓の外に向けられたままになる。師匠が突然、僕に振り向いた
「おい、あれをご覧よ!」
 窓を覗くと、なにやら送迎デッキで色とりどりの集団が……。若朝さんを筆頭に四人組が見送りに来てくれていた。瀬尾さんから出発時間を聞いたのかな? 昨日と同じ高座着で思い思いのポーズをとっている。いや、昨日の扇子の見立てをしていた。この窓に気づくかなと思ったけど、師匠と共に小さく手を振ってみると、見つけてくれたのだろう、四人とも手を振り返してくれた。客室乗務員も窓の外を見て微笑んでいる。四人は飛行機が遠く離れるまで手を振ってくれていた。ずっと窓の外を見ている師匠の表情は覗えない。涙を隠すためトイレに行きたかったが、シートベルトサインがそれを阻んでいる。離陸速度に歯を食いしばって唸っている師匠の横で、僕は歯を食いしばって涙を我慢していた。実は僕も飛行機は初めてだ。師匠も僕も安定飛行にはいるまで、何度か鼻をつまんだり、喉を鳴らしたりしていたがすぐに落ち着いた。

 機内の昼食に供された和食弁当を仲良く食べ終わると客室乗務員が食後のお酒を勧めてくれる。未だ緊張している師匠に代わり冷酒を頼んで、着陸まで二人で楽しむことにした。お酒が入ると師匠の緊張も少し緩んだようで、
「しかし、こんなのが空を飛んじまうんだから、凄い世の中になったもんだ」
「本当に凄いですよね。僕も飛行機は初めてですから、大きなことはいえませんが」
「なんだい、河井君も初めてなのかい。落ち着いてるから何度も乗ったことがあるのかと思ったよ」
「実は緊張してました。耳抜きが上手くいって良かったです」
「そういえば、エレベーターでもあたしと一緒に真剣に練習してたな」
「わかりました?」
「わからいでか!」
 師匠の機嫌は良いみたいだ。思い切って聞いてみるか。
「志ん朝師匠の落語に何か気づいたところがあったんですか?」
「ああ? なんだい気づいていたのかい?」
「わからいでか!……、すみません。一度言ってみたかったんです」
「長いこと圓朝師匠の芸を見てきたのに今頃気づくんだから、あたしは与太郎だよ」
「なにに気づいたんですか? 教えて下さいよ」
「別に隠すようなことじゃないから、聞いてもらうよ。名古屋の駅に着いたときにブラックさんの話をしたろう?」
「ええ、蓄音機の話でしたね」
「それまでは志ん朝さんの芝浜の高座を観てたんだが、おまえさんと話し終わった後に見てみると志ん朝さんが動いているんだよ。あたしが観てないのに勝手に動いていたんだな」
「それは画面を止めてなかったんでしょ」
「それくらい分かってるよ。馬鹿にするなよ」
 なんか懐かしい響き、遠い昔のことのようだ。師匠が話を続けようとしたところで、着陸間近という機内アナウンスがあった。噺を中断して、二人で歯を食いしばることになった。
 
作品名:夢幻圓喬三七日 作家名:立花 詢