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夢幻圓喬三七日

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十二日目:平成24年12月3日 月曜日



 
 朝食を誘いに師匠の部屋へ行くと、すでに支度をすませた師匠が居間でゆっくりと白湯を飲んでいた。今日も姿見の前に座蒲団が置いてある。
 朝食のバイキング会場での師匠は大はしゃぎだった。
「こんなにたくさんの料理を見たのは初めてだよ。どうしよう?」
 好きにして下さい。大皿にほんの少しずつ料理を取り始めた。全部の料理を乗せる気なのかな? 十種類近く乗せたところで諦めたようだった
「今日のところはこのくらいにしといてやるか。続きは明日だ」
 そう言って、ご飯と味噌汁、パンも取りに行った。
 食後のデザートにはアイスクリームとキウイを一緒に盛っていた。師匠にはやっぱり関西の水が合っているようだった。食後に微温めのカフェオレを二人で飲みながら今日の予定を確認する。
「寄席は昼食後に行くとしてそれまではどうしますか?」
「一度会社にご挨拶に行っとこう」
「そうですね。瀬尾さんにもお会いしてお礼を言っておきたいですしね。手土産はどうしましょう? 東京で買えば良かったですね」
「こちらが呼ばれたんだから、手土産はいらないだろう。顔見せだよ」
 お互いの部屋でバスルームをつかい、会社へと向かった。

 受付で瀬尾さんを呼んでもらうと、愛敬のある顔がやってきた。美代ちゃんと比べると、少しポチャっと、いやポチャポチャっと……、比べちゃいけないんだ。でも、美代ちゃんで良かった。
「社長は夕方こちらに入りますので、今はご挨拶できませんが、忘年会をよろしくとことづかっております」
 う〜ん。社長さんも瀬尾さんもそつがない。忘年会の会場は舞台を設営している最中だった。東京と同じくらいの大きさだ。瀬尾さんが説明してくれる
「大阪支社内だけでなく、関西圏の営業所からも呼んでいますから、80人くらいになると思います。今日も会場を少し暗くしますか?」
 そんなことまで美代ちゃんは申し送っているのか? 社会人として僕は完全に水をあけられている。
「今日は狂歌家主ですので、このままで結構ですよ」
「関西では聴けない噺なので楽しみです」
 瀬尾さんは美代ちゃんよりは落語に詳しそうだ。その後は瀬尾さんの上司の方を紹介されて会社を後にする。近くでうどんの旨い店を教えてもらったので、昼食はそのお店だ。そして、やっぱり僕たち二人が見えなくなるまで見送ってくれていた。

 大将の蕎麦とは対極にあるような出汁のうどんを堪能した。これ以上薄かったら味がしなくなり、これ以上濃かったらおかずになってしまうギリギリの味だ。師匠も満足している。
「朝、食べ過ぎちまったから、これくらいで丁度いいな。しかし、上方ってのはこういう味が好まれるのに、落語の好みは違うんだよな。面白いところだよな」
 このうどんはどちらかといえば、しみじみと身体に入ってくる東京の人情噺のような味だ。上方の懐は深い。

 寄席に入りマジックを観終わると、お待ちかねの若朝さんの高座だ。週初めの昼下がりだというのに、八割方お客さんが入っている。若朝さんは頭を上げると、僕たち二人にチラッと視線をくれた。東西の言葉の違いから、タワシの説明、そして荒物屋の解説をマクラで振って、本題に入った。荒物屋の主人が東京に憧れている様子が伝わってくる。夫婦の掛合もお客さんに受けている。そして、いよいよ江戸っ子の登場だ。
「ッぴら御免ねぃ!」
 おお、江戸っ子だ。たった一晩でここまでできるんだ。一気に場内の温度も上がったように感じる。それからは大爆笑だった。荒物屋がオロオロしゃべる度にドッカン、ドッカン受けている。近くのお客さんもヒ〜ヒ〜言いながら笑っている。
「切縄だけに切り良くしました」
 サゲると拍手が鳴り響く。突然師匠が立ち上がって拍手をし始めた。僕も師匠に倣い立ち上がって拍手を送る。それにつられて他のお客さんも拍手をしながら立ち上がり始めている。スタンディング・オベーションの再現だった。下がろうとしていた若朝さんが戸惑って立ちすくんでいる、僕たち二人を見て泣き出しそうな顔になった。
 寄席を出ると今日も若朝さんが後ろから追ってきた。目を真っ赤にして勢いよく話しかけてくる。
「僕、こないに受けたんは初めてですわ。本当(ほんま)にありがとうございます」
「おまいさんが受けたんじゃなくて、おまいさんが苦労して拵えた噺が受けたんだよ。そこを違えなきゃ大丈夫だよ。これからも頑張んなさいよ」
「はい。このあとまたホテル行ってもいいですか?」
「そりゃあ構わないが、夜は落語会があるからそれまでだよ」
「えっ、夜に落語会ですか? これから支度してすぐホテルに寄せてもらいます」

 フロントに「今日も来るみたいなんだよ」と師匠は嬉しそうに伝えていた。和室で昨日の唄について師匠に訊ねてみる。
「昨日お風呂で歌っていたチョンキナって、どんな意味なんですか?」
「あれかい。元々の意味なんて無いよ」
 え〜〜。思い出した。「うちのカミさんはチョンキナだからな」って師匠が云っていた。
「意味はないんですか?」
「ああ、狐拳(きつねけん)っていう、じゃんけんみたいな拳(こぶし)遊びの相の手だよ」
「じゃあ、おカミさんがチョンキナってどういう意味なんですか?」
「なんだい、覚えてたのかい。御座敷でチョンキナを歌いながら、狐拳で負けた方が着物を脱いでいくんだよ。横浜で外人さん相手にお女郎(じょうろう)が始めたんだか、それから流行(はや)り始めてね。英国(イギリス)でオペラにもなったよ」
 野球拳みたいなものだったんだ。師匠は続けて、
「つまり、いかにもそういうことをしそうな、女ってことだな。カミさんは芸者屋をしてたからね」
 そうだったんだ。それにしても今日は若朝さんが遅い。事故でもあったんだろうか。それから少し待っていると和室にチャイムが響いた。僕がドアを開けると、若朝さんが萎(しお)れた顔で立っている。
「遅くなってすんません」
「どうぞ入って下さい」
「でも、こいつらが……」
 そういって、廊下を指差した。廊下に首を伸ばすと、三人の若者が神妙な顔をして並んでいる。しかも一人は女性だ。
「どうしたんですか?」
「実は、さっき楽屋で……」
 奥から師匠が声を掛ける。
「中に入ってもらいなよ」
「でも、人数が増えてるんですよ」
「何人でもいいよ。入ってもらいなよ」
 全員を居間に通すと師匠が呆れたように言った。
「よく下で止められなかったね。まあ、お座んなさいな」
 師匠の江戸弁が耳新しいのか、若朝さんを除く三人の顔が輝いた。
「ホンマやったんや。江戸弁の名人がおるって」
 唯一の女性が感心した声で言った。それに対して若朝さんが言い返す。
「せやから言うたやろ。ホンマににおるんやで」
「あたしらにも分かるように教(おせ)えてくれないかい」
 この言葉に若朝さんを含めた四人の顔がまた輝く。江戸弁や、江戸弁や、コソコソ言っていると若朝さんが話し始めた。
作品名:夢幻圓喬三七日 作家名:立花 詢