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夢幻圓喬三七日

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十一日目:平成24年12月2日 日曜日



 
「江戸で流しのことを大阪で走り、七輪のことをカンテキ、竈(かまど)のことをクド、タワシのことを切縄(きりなわ)、ザルのことをイカキ、側(そば)のことをネキ、どういう訳でネキと言いますかというと……」
 今日からの大阪行きに備えてか、師匠は大阪言葉の噺をしている。もう少し聴いていよう。
「……という訳もありませんが、けれども江戸っ子のように余りチョンキナボウにやらない……」
 チョンキナボウ、どこかで聞いたことがある言葉だ。どこで、誰から聞いたんだったかな、後で師匠に聞いてみよう。
 少し早めの食事をしてコンビニに寄ると、店長はボトルに氷と泡盛を入れて旅のお供を作ってくれた。氷と泡盛の代金は受け取ってもらえなかったが「そのかわり何か美味しいお土産を……」店長は申し訳なさそうに師匠に伝えていた。
 師匠がお風呂に入っている間に、小さめのスーツケースとボストンバッグに荷物を分けて詰めると旅支度は終了だ。先日の朝太さんに触発されて、今日は僕も高座着を荷物に含めた。
「♪♪♪ チョンキナチョンキナ チョンチョンキナキナ チョンガ ナノハデ チョチョンガホイッ! ♪♪♪」
 師匠は今日もご機嫌だ。
「♪♪♪ チョンキナチョンキナ チョンチョンキナキナ ナガサキ ヨコハマ ハコダテホイッ! ♪♪♪」
 替歌だろうか? 訳がわからない歌まで歌っている。師匠の後に僕も風呂を済ませると、いよいよ大阪へ出発だ。

 店長お薦めのデパ地下で弁当を物色する。師匠の時代にデパ地下があったのかは知らないが、現代のデパ地下に師匠は嬉しそうに戸惑っている。僕もどの弁当にしようか目移りしてしまう。長い時間店内をさ迷っていたが、師匠は『築地直送 バラチラシ』僕は『冬の幕の内 万両』にした。
 新幹線のホームではちょうど列車が入線してくるところだった。その異容ともいえる先頭車両の風貌に師匠が驚いている。
「こりゃ凄いね」
「ええ、これが日本が世界に誇る新幹線です」
 自分の手柄でもなんでもないのに、つい自慢げに話してしまう。
「世界に誇っているのかい? やっぱり日本人は凄いや」
 座席を目差すあいだも、師匠は車両の内装に驚いている。修学旅行の小学生のようにキョロキョロして、挙句は座席でお尻を弾ませたりしていた。師匠が落ち着くのを待って、携帯タブレットの使い方を説明すると、
「こんな物まで作っちまうんだから、やっぱり日本人は凄いね」
 いや、師匠、それはアメリカ製です。師匠はイヤフォンを耳に差し、画面を操作した
「おお〜、頭の中に出囃子が響いているぞ」
 声が大きいですよ、師匠。でも、そのノイズキャンセリング機能や、ボリュームボタンが付いたイヤフォンは、先月まで勤めていた家電量販店の社員割引で買った自慢の一品だ。タブレット本体よりも高くて悩んだが、買って良かった。発車すると師匠は落語を聴きながら過ぎ去っていく街並みを興味深く眺めていたが、パッセンジャーサービスがおしぼりを差し出すと、
「ご苦労様です。遠慮無く頂戴します」
 だから、声が大きいですってば。それでも、サービスの女性は笑顔で「ありがとうございます。良いご旅行を」と丁寧に挨拶してくれた。
 新横浜を過ぎると、弁当と旅のお供の時間だ。バッグから九谷焼の湯呑みを出して、店長お薦めの泡盛を注ぐ。あっという間に湯呑みが冷えてくる。二人で静かに乾杯の仕草をして、口をつける。泡盛ってこんなに旨かったのか。口の中が締まって、リフレッシュされるようだ。師匠はバラチラシの上に乗ったサイコロ状に切られた魚や卵焼きをつまみに旨そうに飲んでいる。僕の肴は幕の内のおかずだ。途中、雪化粧の富士山も酒の肴にぴったりだった。名古屋まで静かな酒宴は続く。落語動画を見ていた師匠にイヤフォンを外すようにお願いして、話しかけた。
「名古屋には快楽亭ブラックっていう噺家がいますよ。今は二代目です」
「あのブラックさんの名前が、残っているんでゴダリヤスナ」
 ブラックさんの声色なのだろうか?

***************
* これは日本のことに
* 訳しやすると、結婚を急ぐと
* 後でゆっくりと喰えるという
* 意味でゴダリヤス

* 落語 英日結婚の咄
* (快楽亭ブラック)より
***************

 初代ブラックさんと師匠との縁は浅くない。ネットに出ていた。
「ブラックさんの紹介で、レコードに吹き込んだんですよね」
「そうだよ。なにせ上下(かみしも)を切ると声が入らないんだから苦労したよ」
「苦労して柴田さんが吹き込んでくれたお蔭で、今でも噺を聴くことが出来るんですよ」
「そう言ってくれるのはありがたいけど、ありゃ落語じゃなくて只のおしゃべりだよ」
「声が聞けるだけで充分ですよ。圓朝師匠の声も聞きたかったですけどね。圓朝師匠はレコードに間に合わなかったんですよね?」
「レコードには間に合わなかったけど、蓄音機には間に合っているよ」
「え〜〜〜、そうなんですか? てっきり間に合わなかったのかと思っていました」
「蝋管の蓄音機だったら間に合っているんだよ。鹿鳴館で井上馨(かおる)さんがみんなに聞かせてるよ。その時は西洋の音楽だったけど、次の年には浅草の奥山で、團十郎とか役者の声を木戸銭を取って聞かせていたよ。あたしが真を打った頃だから、確か明治の20年を少し過ぎたあたりだったかな」
「だったら圓朝師匠の声を聞きたかったですね」
「役者と違って芸人風情の声は、貴重な蓄音機には入れたくなかったのかな? 結局師匠には録音のお声が掛からなかったよ」
「もったいなかったですね」
「師匠は声を残さなくて良かったって云ってたよ。今の人たちが声を想像して楽しんでくれるからってね」
「圓朝師匠の声ってどんな声だったんですか? 僕は夢の中でしか聞いたことがないんです」
「想像して色々楽しみなさいよ」
 関西弁が思い浮かんだ『いけず』。師匠はイヤフォンを耳に差し込み直そうとして、手を止めて画面を睨んでいる。何があったんだろう? 気に入らない噺家でも映っているのかな? そっとタブレットの画面を覗くと志ん朝師匠だった。志ん朝師匠の何が気に入らないのだろう? しばらくすると、師匠は怖い顔のままイヤフォンを耳に差し、ボリューム操作をしていた。結局、新大阪まで師匠に声を掛けることが出来なかった僕は、昨日借りた本を読んで時間を過ごした。師匠はテーブル周りを掃除して、背もたれを元の位置に直している。師匠にならい僕も東京から乗客が座っていたとは思えないほど綺麗にして、ゴミを持って新大阪のホームに降り立った。

 在来線に乗り換えてから、ホテルの最寄り駅に着くまで師匠の顔は険しかった。それでも、ホテルに着くと「お世話になりますよ」と愛想良く言って、宿泊名簿に記入していた。フロントから「河井様、伝言をお預かりしています」と封筒を手渡されたが、誰からの伝言だろう。部屋に着いたら見てみよう。
作品名:夢幻圓喬三七日 作家名:立花 詢