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夢幻圓喬三七日

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九日目:平成24年11月30日 金曜日



 
「今日お聴きに入れまするは。三遊亭圓朝がある御方(おんかた)のお供で北海道へまいりましたときに、あちらでこういう話があると……」
 福禄寿のマクラを工夫しているのかな。師匠思いの圓喬師匠だからきっと、師匠圓朝が……、って言いたいだろうに、どんな気持で、三遊亭圓朝が……、って話しているのか、僕には想像すらつかない。その師匠が僕の気配に気づいたのか声を掛けてくれた。
「河井君おはよう」
「おはようございます。実家へは何時に行きましょうか?」
「大将んとこはお昼はやってるのかい? やってるんだったらお昼を大将の所でいただこうかな」
「昼は確か二時までやっていますよ。そういえば最近、蕎麦は食べていませんでしたね」
「ああ、恋しくなっちまってね」
「両親もメールで誘ってみます」
 例の定食屋での朝食の間にメールでやり取りをして、両親とは大将の店で待ち合わせすることにした。その際に羽織袴と圓生百席の中から師匠が希望する噺を持って来てくれるとのことなので、師匠は三軒長屋、三十石(さんじっこく)、真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)をリクエストした。師匠の耳に圓生百席がどう聴こえるのか、今から楽しみだ。

 部屋に戻ってのバスタイムでは師匠の声が一段と高く聞こえてくる。
「♪帆掛けて走るが丸屋船波間を漂う漁船のはいる〜とこ〜ろ〜が〜田子〜の〜浦〜♪」
 凄い声で唸っている。浪花節だろうけど、こんなのは聴いたことがない。聴いている僕まで息苦しくなってくる。
「今のは浪花節ですか?」
「ああ、雲の『神崎東下り』だよ」
「昨日の話に出た雲って人ですか?」
「そうだったな。桃中軒(とうちゅうけん)雲右衛門(くもえもん)だよ」
「その人が圓朝師匠の呼吸法を身に付けていたんですね」
「ああ、若い頃に上州で圓朝師匠の高座を観て、一心不乱に稽古して身に付けたって云ってたよ」
「雲さんとお知り合いだったんですか?」
「あれは確か馬楽(ばらく)が入院した年だから明治43年かな。雲は親父さんが祭文(さいもん)語りをしていたんで、上州で育ったみたいなんだが、元は浅草生まれでね、なんかウマが合ってな。色々話したよ」
「どんなことを話したんですか?」
「圓朝師匠の呼吸について聞いたよ。そしたら悪戯(いたずら)が暴露(ばれ)た子どもみたいに照れてたけどね。かなり苦労して身に付けたみたいだよ。20年かかったって云ってたな」
「20年もかかったんですか。柴田さんは一週間で身に付けましたよね?」
「あたしは何年も師匠のそばで聞いてきたからね。雲は一度聞いただけで自分でなんとかしちまったんだから、たいしたもんだよ。『三段返し』といって他の浪花節語りが三回呼吸するところを一気に語るから、客が興奮するんだよ。それに声も良いしな」
「雲さんは人気があったんですか?」
「凄かったぞ。九州から大阪、京都そして東京へとやって来たんだけど、今日はどこで満員にしたとか、毎日のように新聞に出たぞ。大阪では聞かせどころで、客が興奮して自分の指を噛み切ってしまったくらいだよ」
 師匠はそんな逸話も聞かせてくれた。ネットで検索してみると確かに凄い人気だったみたいだ。
「東京でも人気があったんですね」
「本郷座は一ヶ月満員で大評判だったよ。あすこは劇場だからな二千五百人入るんだ」
「一度聞いてみたかったですね」
「レコードに吹き込んでいたんじゃないのかな。そんなこと云ってたぞ」
 急いで検索するとネットにあった。さっそく『神崎東下り』を聴いてみる。確かに特徴のある声だ。一度聞いたら忘れられないっていうか、癖になる声だ。「ここからが聞かせどころだよ」さっき師匠がバスルームで唸っていたところだ。おお、これも息継ぎがわからない。否応なく盛り上がるのがわかる。
「な、凄いだろ。二千五百人隅々までこの声が届くんだぞ」
「マイクはなかったんですね」
「マイクってなんだい?」
 テレビにスタジオ番組を映してマイクの説明をした。
「便利になったんだね。昔はなかったよ。落語は常に大声を出すわけじゃないから、七、八百人くらいが精一杯かな。それ以上になると天井に銅線を張ったりして声が通るように工夫するんだが、それにも限度があるからね」
 昔の人たちは大変だったんだ。
 そろそろ大将のところへ行く時間になり、手土産の海苔と共に出発だ。

 道中では、雲さんの続きを色々と師匠から聞くことが出来た。
 伊藤博文が座敷に呼ぼうとしたのを「俺の浪花節を聴きたかったら木戸銭を払って来い」と断った話や、舞台の横に『拍手喝采御無用!』という紙を貼りだしていた、などは僕の興味を引いた。
 師匠も最初に大阪へ修行に出されたときは、当時の大阪でのご祝儀としての投げ銭がいやで『演芸中御投げ銭御無用』と張り紙をして、興行したことも話してくれた。きっと師匠は自分と同じ匂いを雲さんに感じたんだろうと思う。中でも、当時長髪だった雲さんに「語るのに邪魔だろう」と師匠が云ったら、ある日、突如丸坊主にしたことには驚いた。この丸坊主事件は新聞にも載ったみたいだ。
「でも、雲は自分の生まれを恥ずかしく思っていたみたいでな。あたしの親父が武士(さむらい)の出身だと聞いて羨ましがってたよ。浪花節を教育に利用してもらいたい、って云ってたけどどうなったんだろうな」
 いずれ雲さんのことも調べてみよう。

 蕎麦屋では当然のように大将が歓迎してくれる
「昨日はありがとうな。午前中に朝太の親父さんから電話があって、奴さん、なんか一皮剥けたみたいに明るくなったって言ってたよ」
 それを聞いて僕も今日会うのが楽しみになってきた。師匠は「それは元から朝太さんがお持ちになっていたものでしょう。あたしはちょいと茶飲み話をしただけですよ」とか言ってとぼけているけど誰も信じちゃいません。どんな内容だったのかはわからないけど、きっと稽古をつけていたんだと思う。大将もそれは分かっているみたいで、
「じゃ、そういうことにしとこうか」
 二人とも僕とは違って大人の優しさを持っている。手土産の海苔を大将に渡すと
「おっ、海苔かい。俺が海苔にうるさいのを知って持って来てくれたんだから、楽しみだな。ありがたく頂戴するよ」
 ここで、両親もやってきて、母からは師匠の高座着、父からは圓生百席のCDを受け取り、師匠からは海苔が父に手渡たされた。父は『肥前海苔』をしげしげと眺めている。一言いいたそうだったが、何も思いつかなかったみたいだ。悔しそうに下を向いている。
 今日は母も盛り蕎麦を頼んだので、みんな仲良く盛り蕎麦を食べて師匠と僕は一旦マンションに帰ることにした。帰りがけに大将から、
「師匠が日本を出る前に落語会を企画するから、出ておくれよ」
 嬉しい言葉を掛けてもらい、帰る足取りも軽かった。

 マンションへ帰り、圓生百席から『三軒長屋』を師匠に聴いてもらう。
 出囃子からサゲ、そして芸談まで終始師匠はにこやかだった。
「この圓生は、こないだ小言幸兵衛を聴いたが品川の圓蔵(えんぞう)の弟子だろう?」
「そうです、圓童(えんどう)という前座名でした。よく分かりますね」
作品名:夢幻圓喬三七日 作家名:立花 詢