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輝きの人

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 列車は僕の降りる駅が近くなるにつれ、グングン減速していく。それに合わせて僕の理性のネジが緩んでいくのを感じる。ここからが山場だ。全身の力を抜いていく。そして、車内にアナウンスが響く。お降りの際には足元にお気お付けください。僕は扉が開くと同時にその太った男に向かって足早に歩いて行く。
 ドン!
 「すみません。急いでいたので。」僕は素早く謝って扉へ向かう。ぶつかられた男は、さほど気にはせずに、ああ、とか、いえいえ、みたいな事を口の中で言って体勢を戻した。僕は自然に男の延長上にある出口に向かって歩く。遅いとも速いとも思われる事のないように。僕はそのまま、駅のホームに軽やかに降り立つ。背後では扉の閉じていく音が聞こえる。
 勝った!
振り返って車内の太った男を見ると、自分が何をされたかなど、気付く訳もなく吊革に体を預けている。馬鹿な奴とは言わないが、間抜けに見えたのも事実だ。
 そして、列車は去って行った。僕が成功を確信した瞬間だった。パーカーのポケットから黒く、てかてかした長財布を取り出すと満足感と達成感と胸がスーッとなるような心地よい恐怖心が内側から渦巻いてくる。
 そう。僕はこの財布を盗ったのだ。当たった瞬間に相手の上着のポケットの膨らみに手を滑り込ませ、謝ると同時に戦利品をパーカーのポケットに突っ込む。今回は財布がどこにあるか、じっくり調査していたので、後は簡単だった。あらゆる場所で、今まで何十回もスッてきたけど別に金が欲しい訳じゃない。僕は、財布の中身を見ることもなく、またポケットに戻して地下から地上の街へ向かう。
 もう何回目だろう、スリをするのは。初めてスリをした日の今まで感じた事のない、体に震えが走る程の陶酔感は今でも忘れてはいない。しかし、問題はその後だったのだ。家に帰り部屋に戻って一人になると今度はさっきとは明らかに違う震えが僕の全身から吹き出た。恐怖だ。全校生徒の前でスピーチをするとしても、こんな緊張感は感じないだろう。何をしていてもスリをした時の事が目の前をよぎる。やけに神経質になって、突然の電話や、自分の部屋をノックされるだけでもいちいち心臓が喉まで飛び上がる。あの時、僕はたかがスリをしただけだ。なのに、心境はまるで追われている殺人犯のそれだった。
 ただ、その日、ベッドの中で震えて夜を明かすと翌日にはもう震えは止まっていた。そしてその日も夜になり、また日は昇る。そしてまた日常が繰り返されていく。あの日の怯えはもう微塵も残ってはいなかった。代わりに僕の中に舞い戻ってきたのは刺激への渇きだった。そうなると、僕でさえ欲求を抑える事はできない。    何度も何度もスリをする内に技術が伴い、自信が伴った。だから今日も僕はスッた。別にいいじゃないか。僕だってストレスは溜まるんだから。
 僕は駅から出て、ある場所を目指した。無意識に空を見上げる。空はもう真っ暗で、そこに微かに星の光が散らばっている。最近、星を見たのはいつだったろうか。星はいつも輝くが、いつも見られるとは限らない。だから、たまに星を見ると新鮮に感じるんだろうな。
 こんな、口にすれば顔が沸騰する程恥ずかしい考えを空へ浮かべて、歩道を公園沿いに歩いていた。
 僕はポケットからスッた財布を取り出した。そして、公園を覗き込むとゴミ箱があるのを確認すると、そっちに向けて駆けて行く。
 夜の公園。恋人か親友と一緒に連れ立っていれば、青春の1ページだが、たった一人でトイレの脇のゴミ箱に佇んでいる少年の姿はホラー映画のワンシーンにしか見えないだろう。そこで、僕はさっき奪い取ったばかりの戦利品を金網でできたゴミ箱の底に放った。周りのコンビニの袋だとか、缶ジュースに囲まれた長財布は不釣り合いに新品だった。
 「はぁ。」
 また、ため息が出た。僕は、自分の獲った戦利品を捨てたり、浮浪者にあげたりするこの瞬間が嫌いだ。スリはするのに金は取らない。中途半端にイイ奴ぶってるのも気に入らない。でも家にコレクションしていくのも馬鹿馬鹿しいし、まず、親から隠しきる事が出来ない。そもそも、金欲しさにスリをやってる訳でもないし、ましてや財布収集家からは程遠い。
 ただ、刺激が欲しいんだ。鳥籠に収まっているのはもうウンザリだ。そろそろ自分の翼で飛ぶ事ができるはずなんだ。でも、それを母さんや父さんに言う勇気が無い事が情けない。
 「はぁ。」
 僕は財布を捨てた手をギュッと握りしめて、また目的地へと歩み始めた。高校に上がった時に父さんに貰ったロレックスの腕時計を月の光に照らして文字盤に目を凝らす。もう、8時半だ。塾は11時まで。つまりウチに帰らなくてはならないタイムリミットは11時半くらい。ちょっと急いだ方がいいかも。歩み始めたその足が、重いイライラを夜空に撒き散らせるかの様に段々駆け足になっていった。
 
 やっと到着したぼろアパートの前で、僕は膝に手をついて息を切らしていた。久しぶりに走った。早歩きぐらいで留めるつもりが、全力疾走してしまった。いや、したい気分だったような気もするな。
 目の前にあるクリーム色の壁、そのアパートは二階建てで、階段は底が抜けそうな程頼りない一段一段で、駆け上がるとカン、カンと軽い音が響く。二階に貸し部屋は三つある。その一番奥の部屋が僕の来たかった所だ。部屋のドアは赤と黒の中間みたいな色で所々、外装が剥がれ落ちている。ドアの真ん中にポツンと表札が貼り付けられている。そして、そこには「新藤」と書かれている。去年貰った合鍵を使って、戸を開ける。
 そして、スニーカーがたった一足しかない玄関に足を踏み入れた。すると、ドアが開いた時に悲鳴の様な音が響いたからか、僕が部屋に入った気配を感じたのか、室内の住人がこっちを向いた。
「おう、テル!ひさしぶりだな。」
朗らかに笑いかけてくる上半身はタンクトップ、下半身はトランクスの、二十歳くらいの青年が僕に向かって手を挙げた。
「兄ちゃん。その格好、おっさんじゃんか。」
 そう、天然パーマで陽気な笑みを顔に貼り付けたこの青年は僕の兄、新藤ヨウイチだ。
「いや、ここクーラーなくて。扇風機も壊れちったからさぁ。」
「でも、さすがにズボンくらい履いてよ。」
 僕は呆れた様に息を吐いて、狭い6畳間に上がる。兄ちゃんのアパートは外から見ても分かる様に、お世辞にもいい部屋とは言えない。部屋には、真ん中に丸い卓袱台が堂々と居座り、隅には背の低い箪笥が壁にキッチリと沿って設置され、その上に分厚いテレビが載せられている。さらに、玄関と仕切り一枚隔ててすぐ隣にある台所には、コンビニの弁当の箱が捨て散らかされていた。
 僕は肩に掛けていたメッセンジャーバッグを畳の上に放り投げ、卓袱台の兄ちゃんの横に腰を下ろした。初めてこの部屋に来た時はあまりのボロさに心底兄ちゃんを哀れに思ったものだったが、今も変わらず哀れに思う。
「テルが最後に来たのは、去年の夏休みだったよな。」
「うん。今年も夏休みに入ったら塾の勉強合宿があってサボるとばれるからさ。その間こっちに居させてよ。」
「ああ、いいぜ。でも、俺バイト入ってっから。夜遅くなる時もあるからな。」
「最近、写真の方は順調?」
作品名:輝きの人 作家名:SS0311