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短編集44(過去作品)

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那美という女性



                 那美という女性


 あれはいつのことだっただろうか。私こと江川隆は那美という女性と知り合った。
 知り合ったといっても、たった数回会ったきり。後はメールのやり取りだけで、たまに電話が掛かってくるくらいである。どこに住んでいるかなどの詳しいことは知らないでいる。しかし、なぜか気になる女であることには違いなく、不思議な気持ちは心の中で大きくなっていく一方だった。
――たった一度打ち明けられた悩み――
 それが頭の中に、引っかかっているだけだった。
 そんなことってあるだろう。あまり気にならかった人でもいきなりショッキングな悩みを打ち明けられて、自分の中で存在が大きくなっていく人。那美は最初に打ち明けてくれただけに、その思いはさらに強くのしかかって、頭の中から消えないでいる。
 男にとって、そんな女性がいとおしく思う人も多いだろう。少なくとも、江川氏はそんな男である。
 元々友達と一緒に行動することは、学生時代までで、就職すると自然と遠ざかっていった他の友達に連絡することもなくなっていた。さすがに会社に入ってからの数ヶ月は連絡を取り合っていたが、回数がどんどん減ってくると、お互いに気を遣ってか、誰からも連絡を取らなくなってくる。
 それまでは、自分からまわりに連絡を取って統率をする人がいたので、従う人も多かった。しかし、その人が忙しくなってなかなか連絡を取れなくなると、誰からも連絡しなくなる。
 そうなると、すべてが疎遠になり、一度疎遠になってしまうと、誰かが思い立っても全体をまとめるまでには至らない。個人的に会っている人もいるのだろうが、江川氏は個人的に深く付き合っている人はいなかった。
 会社の連中と仕事が終わってまで一緒にいたいとは思わない。それは江川氏に限らず皆そうなのだ。仕事が終わるとそそくさと帰り支度をして、さっさと帰ってしまう人が多い。味気ない気もするが、どこの会社でも繰り広げられている光景であろう。
 あまりアルコールを飲める方ではない江川氏は、そういう意味でも人と一緒に仕事が終わってまで一緒にいたいとは思わない。しかし、それでも最近は、一人でゆっくり飲むことが好きになり、馴染みの店も持っている。
 会社の近くではなく、家の近くにである。酒に弱い江川氏は、酔っ払ってもすぐに帰れる距離を選ぶのは当然で、しかも、会社の近くだと、どうしても仕事のことを思い出したりしてしまうことがありそうで嫌だった。
 居酒屋ではあるが、比較的若い人も来ていることもある。建築業のような中年も多いが、江川氏とそれほど変わらない年齢の人も来ていて、親近感が沸くというものだ。団体で来ている人も多いが、団体の中でも、時々一人で来る人もいるようだ。
 そんな人はやはり一人でチビリチビリやっている。あまり話しかけられる雰囲気でないことから、きっと相手も江川氏を見て同じような気持ちになっていることだろう。
 江川氏にとってこの場所は、オアシスだった。誰とも話をすることもなく、一人きりになれる場所で、一番の憩いは家ではなくここかも知れないとまで思っている。
 居酒屋の店内は、広いようで狭い。人が誰もいない時は広く感じても、時間が遅くなるにつれて増えてくる客を見ていると狭く感じられるものだ。それは自分が酔ってきたからかも知れない。
 白い湯気がゆっくりと天井に向って伸びている。どんな時も上がっては消える湯気を、何も考えないでじっと見ていたりする。それは無意識であって、気がつけば見ているという感じなのだ。
 湯気の向こうに見えるものすべてに影がついているようだ。まるで蜃気楼を見ているようで、湯気の向こうに見える人が本当にそこにいるのかすら、疑わしいくらいになってきている。
 ここまでくれば、自分でも酔っていることを感じてくる。最初は少し呑んでもあまり酔わないのだが、途中から一気に襲ってくる酔いを感じる江川氏は、そろそろペースダウンしなければいけないことに気づき始める。
 意識し始めるとダメなのは江川氏だけではないだろう。例えば風邪を引いた時など、最初は気勢をあげて頑張っていても、実際に体温計を使って計って、熱があることに気付くともうだめで、そこから先は、自分の意識によるものではなくなってしまって、熱がどんどん上がっていく。江川氏もそんなタイプである。
 その日も湯気をボンヤリと見ていた。まわりの客も少しずつ増えてきて、見たことのある客ばかりの常連で、ある程度は占められていたのだ。
 だが、一人で来る客はその日いなかった。少なくとも二人以上のグループで、奥のテーブルでは団体が騒いでいるのが、耳鳴りとともに聞こえてくる。
 少し耳鳴りを感じてくるのは、ある程度酔っ払った証拠だろう。その日は心なしか酔いのまわりを早く感じる。
 ビールだと苦いので、日本酒をいつも呑んでいる。熱燗にして、焼き鳥を肴に呑んでいる。炭酸が入っているとすぐにお腹がいっぱいになって酔ってくると後が苦しいだけである。それならばと呑み始めた日本酒が実は一番合っている。
 ここの居酒屋、少し街から離れたところにあり、あまり目立たないところにある。それでも繁盛しているところは、住宅地に近いからというのもあるのだろう。一旦家に帰ったサラリーマンが、服を着替えて出かけてくるにはちょうどいい距離なのだ。会社の帰りに寄る人と、比率は半々くらいであろうか。
 ゆっくり一人での手酌も慣れたもので、焼き鳥もおいしく感じている。テレビがついているが、ほとんど目に入らない。ブラウン管を目で追っていたとしても、それは無意識であって、見ているわけではないからだ。
 馴染みの店を持ちたいと思っているのは学生時代からで、その頃は飲み屋ではなく喫茶店だった。おいしいコーヒーを飲みながら表を見ていると、気分はオアシスである。表は駅前で雑踏の中だった。殺伐とした朝の風景であるが、店の窓から見ていると、まるで他人事のように思える。
 喫茶店の魅力は何と言ってもコーヒーの香ばしい香りと、店内の暖かさだ。クラシックでも流れていると優雅な気持ちになれるというものだ。喫茶店もいろいろ知っていて、馴染みの店も、一つや二つではなかった。
 地下に入っていくような店は、暗い照明に深々と座り心地のよいソファーが印象的で、居眠りをしてしまうことも多かった。店内に流れているクラシックがいかにも睡魔を誘い、気がつけば時間の感覚が麻痺しているのだった。
 その店にも就職してから行っていない。学生時代に付き合っていた女性と一緒に出かけたことがあったが、それも別れてからは行っていない。どうしても別れのあった喫茶店へは足が遠のくものである。
 その女性とは付き合ったと言っても二ヶ月ほど、短い方だった。江川氏は女性と付き合う期間は極端で、一年以上の長さか、二ヶ月ほどで別れるかのどちらかである。二ヶ月といえば、数回あった程度なので、もちろん、相手の身体を知る前である。
 一年以上付き合ったとしても、最後は惰性のようになり、半年を過ぎるとやたらと時間が経つのが早かった。気がつけば一年以上経っていたというわけである。
作品名:短編集44(過去作品) 作家名:森本晃次