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短編集41(過去作品)

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雫橋



                 雫橋



「雫橋」
 この駅名を知っていたり覚えている人が今果たしてどれほどいるだろう。
 時刻表を見ても、細く色の変わった第三セクター。とっくに赤字路線として本線からは切り離されていた。それでも奇跡的に残っているのは、地元にまだ住人が残っていて、いわゆるライフラインとして利用しているからだろう。砂原亮一も偶然話を聞かなければ一生聞くことなく過ごしていたに違いない。まず、砂原は名前に興味を覚えたのだ。
 フリーのルポライターをしている砂原は、いつもいろいろ飛び回っているが、日本酒には目がないので、時間があれば宿の近くの居酒屋で夕食を済ますようにしている。
 風景や郷土の習慣風俗を専門にしたルポを書いていて、それをまとめて出版社に持っていく。まだまだ飯が食えるほどでもないので、仕事を待ってばかりはいられない。自分で積極的に探してきたりしようという意識は強く、特に居酒屋での他人の話に耳を傾けることも多かった。意外といい情報が転がっていたりするものである。
 その時に初めて耳にしたのが雫橋だった。
 話をしているのは中年の男性で、どうやら親戚がその街にいるらしい。
「小さい頃にはよく遊びに行ったものだけど、温泉以外には何もないところでね。子供の俺には退屈なだけだったんだよ」
 タバコを燻らしながら思い出しているようだった。
「だけど、なぜなのかな? 最近その雫橋が夢に出て来るんだよ。雫橋って地名になっている橋が温泉の入り口にあって、そのたもとに立っている夢なんだけどね」
「その橋で何かあったのかい?」
 一緒に呑んでいる人が聞き返す。
「何かあったわけじゃないんだ。覚えていないんだけど、その橋には伝説のようなものがあって、子供心にそのイメージが焼き付いているんだろうね。いまだに忘れられないんだから」
 そこまで聞くとさすがに砂原も聞き耳を立てていた。
――いろいろ聞いてみたいな――
 とも思ったが、声を掛ける気にはならなかった。それよりも、まっさらな状態で自分の目で確かめてみたくなったのだ。もしそこで聞いてしまって、下手な先入観を持つことを恐れた。
 砂原にはそういうところがあった。
――自分で見たり触れたりしたものでないと信じない――
 その気持ちがあるからフリーのルポライターができるのだと思う。すべては好奇心から生まれること。その好奇心も下手な先入観を持ってしまうと半減してするし、人の言葉を信じ込んでしまうという性格的に矛盾しているところを何とかカバーするには、先入観は絶対に捨てなければならない。
 今までにルポしてきたところの一つ一つをいちいち覚えていない。最近は記憶力の低下を気にしていることもあってか、逆に想像力を掻きたてるような発見を望むようになった。ルポはノンフィクションであるが、自分で想像し、そこに少しの修飾があってもいいのではないかとも思える。特に伝説の残っているところなど、客観的な目をともに、主観的な目を持って、いろいろ想像を膨らませることが砂原にとってルポライターとしての醍醐味だと思っている。
――小説家になりたかった――
 これが本音である。しかし、出版社からの仕事に応じてルポを重ねていくうちに、ルポによる想像力が小説に勝るとも劣らないことを発見した。小説家をあきらめたわけではないが、ルポという仕事が自分にとっての第一歩だと思っている。決して回り道などではないだろう。
 本屋や図書館は大切な仕事場である。図書館や本屋の静かな雰囲気、そして本の擦れる音、その時に漂っている本の匂い、どれをとっても、いつ来ても、砂原にとっては新鮮なものだった。
 さっそく本屋で雫橋の周辺にある観光ブックを買ってくる。
 砂原の部屋は二LDKで、一人暮らしとしては贅沢かも知れないが、一部屋は完全に仕事で使っているため、その部屋で寝ることは不可能だった。
 もっとも仕事部屋にしているところでは、あきらめきれない小説を書いていたりもするので、寝室として利用することは考えていない。
――あくまで想像力を展開する部屋――
 それが書斎であった。小説は自分の世界を作らないとなかなか書くことができない。ルポをまとめるにしてもそうだ。だから、この部屋には今までに誰も入れたことがなかった。
――もし入るとしたら、将来の嫁さん――
 いや、嫁さんでも許さないだろう。ここは言い方は悪いが、瞑想する部屋なのだ。
 砂原にとって、瞑想とは自分の世界を作ることだけではない。それまでの自分を思い出す世界でもあるのだ。
――ここでなら過去を思い出すことができる――
 と感じる。反対に、他では過去を思い出すことができなくなってしまっていた。
――思い込みなのかな?
 それもこれも、自分の世界を作れるようになってからである。少々の弊害は仕方のないことなのだろうか。
 ミーハーな性格ではない砂原は、雫橋のようにあまり知られていないところを噂に聞いて、少し大袈裟でもいいから、紹介する方が自分に合っていると思っている。誰もが知っているところを今さら紹介しても、人のマネにしかならないだろうし、人のマネほど嫌いなものはない砂原にとって、やりがいも何の喜びも与えてくれるものではない。
 雫橋までは電車に乗って一時間半、まさかこんな近くに、住んでいた人の心に、無意識とはいえ深く残っているようなところがあるなど不思議だった。人それぞれ感じ方が違うので、話をしていた人だけが感じたことなのかも知れない。しかし、ちょうどどこかにいいルポ先がないかを探していた砂原にとって、興味を十分に惹かれるところには違いなかった。
 最近朝食を表で摂ることが多い。近くにおいしいコーヒーを飲ませる店を見つけたからだ。おいしいコーヒーにトーストの焼ける香ばしい匂い、朝の爽やかな目覚めには欠かせないアイテムになっていた。
 その日も馴染みの喫茶店でモーニングセットを注文する。
 店の名前は、「サンド・クロック」、直訳すると「砂時計」となるのだが、本当の砂時計という意味かどうか、定かではない。いわゆる当て字なのだろう。砂原も自分の名前に砂がついていることから何となく親近感があり、カウンターの奥に置かれている小さな砂時計が印象的だ。
 砂原は、自分の名前に砂がついているからかも知れないが、最近、砂というものに神秘性を感じている。きっと以前に訪れた砂丘のイメージが頭に残っているからだろう。
 早朝の喫茶店には、マスターはおらず、奥さんとバイトの女の子が二人でやっている。マスターは仕入れに忙しいようだ。
「昼間のランチの仕入れはあの人が自分の目で確かめてからしているのよ。だから昼の時間になると、この店はいつも満員なのよ」
 と奥さんが話してくれた。少し自慢のようだ。
「それはすごいですね」
 と、話してはいるが、実際にはあまりランチタイムに入ったことはない。近くを通りかかって中を覗くことはあるが、人が多いのは苦手な砂原は、とても中に入る気分にはなれない。奥さんにはそれとなく話していた。
「そうね、でも私たちには砂原さんのような、朝のお客さんがありがたいんですよ。本当の常連さんというのは、砂原さんたちのようなことをいうんでしょうね」
作品名:短編集41(過去作品) 作家名:森本晃次