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第七章 星影の境界線で

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 彼女は、ふたりのことを見回りの凶賊(ダリジィン)だと思っているようだった。ルイフォンは、ひとまず、ほっとした。侵入者だと騒がれたら、攻撃せざるを得なかった。
 ――いや、この子を人質に取るべきなのか……?
 かすかな疑問が、ルイフォンの頭をかすめる。だが、彼は首を振った。そんな卑怯者にはなりたくなかった。
 どうする? と目で尋ねてくるリュイセンに、ルイフォンは離してやれ、と視線を返す。
 すっかり持て余し気味のリュイセンよりも、自分のほうが適任だろう。――ルイフォンは女の子に近づくと、片膝を付いて目線を合わせた。
 彼がにこっと、人好きのする笑顔を作ると、彼女の丸い目が更にまん丸になる。
「パパとの約束ってのは、俺は知らねぇけどさ。こっそり忍び込んだのは、怒られると思ったからじゃねぇの?」
「うっ……」
「だったら、駄目だろ」
「でもぉ……」
「それに、夜中のお菓子は太るんだぜ? 俺の姪っ子も甘いものが大好きだけど、『夜は我慢!』って、いい子で我慢しているぞ」
 真顔で言うルイフォンに、リュイセンは思わず吹き出しそうになるのを必死にこらえた。ルイフォンが口にした『姪』とは、すなわちミンウェイのことだからだ。
「他の子のことなんか、知らないもん!」
「そりゃ悪かったな。けど、おデブなファンルゥより、今のファンルゥのほうが可愛いと思うよ」
 その瞬間、女の子は、ぱっと目を見開いた。
「ファンルゥの名前、覚えてくれたの!?」
「ああ。いい名前だな」
 さも当然、といったふうに、ルイフォンは大きく頷く。
 勿論、真っ赤な嘘である。事前調査の中の情報だ。
 自信はあったが、確信はなかった。ルイフォンは顔に出さずに胸をなでおろす。
「分かった、我慢する! ファンルゥ、いい子だもん!」
 今までの強情さを一転させ、ファンルゥはルイフォンに満面の笑顔を見せた。
「よし、それじゃ、いい子は寝る時間だ。部屋に帰れ。俺たちは見回りの仕事に戻らないとな」
 うまい具合いに話をまとめたと、ルイフォンとリュイセンは安堵した。多少、時間を食ったが、たいした問題ではないだろう。
 厨房の出口に向かおうとしたふたりに、ファンルウが「待って」と呼びかけた。
「お兄ちゃんたちに、凄いこと教えてあげる」
 にこにこと無邪気なファンルゥに、リュイセンが顔をひきつらせた。相手が子供なので、いきなり怒鳴りつけたりはしないが、苛立ちは隠せていない。
 そんな相棒をたしなめ、ルイフォンは「何かな?」と聞き返した。
「このお家の地下に、天使がいるの! ファンルゥ、探検して見つけたの」
「天使?」
「すごく綺麗なの。光がふわぁんって広がって……」
 小さな腕を一杯に広げ、目も口も大きくして、彼女は全身で驚きと感動を表す。
「お兄ちゃんたちに見せてあげる! こっち!」
「あ、おい!」
 いきなり走り出したファンルゥに、ルイフォンは手を伸ばす。だが、リュイセンに肩を掴まれた。
「子供の戯言に付き合っている場合じゃないだろ!」
「……ああ」
 ルイフォンだって、これ以上付き合うつもりはない。だが、この人懐っこい女の子の言葉の裏には、寂しさが見え隠れしている。
 廊下に出る扉を背に、ファンルゥが振り返って叫んだ。
「ファンルゥ、子供じゃないもん! ひとりで、おトイレだっていけるもん!」
「分かった、分かった。けど、大人は仕事の時間なんだ」
 噛み付くファンルゥを一瞥して、リュイセンは廊下に出る。
「ごめんな、ファンルゥ」
 ルイフォンがファンルゥの頭をくしゃりと撫でると、彼女は少しだけ驚き、次に気持ちよさそうな笑顔を浮かべた。……その瞬間、ルイフォンは、はっと気づき、自分の掌を見る。
 ――今のはもう、メイシア以外にやったらいけないよな……。
 己(おのれ)の無意識の行動を初めて自覚する。
 意外に独占欲が強いことが判明した最愛の少女を想い、彼は気まずげに頭を掻いた。
「また今度な」
 そう言って、ルイフォンもリュイセンに続く。
「あ、待ってよ、待ってよぉ」
 騒がしくされるのは望ましくないのだが、こっそりベッドを抜け出してきた彼女は、これ以上、追ってくることはできないだろう。
 ルイフォンは、場違いに可愛らしい、ファンルゥの声が木霊(こだま)する厨房をあとにした。


 夜間とはいえ、廊下の照明は充分に明るかった。
 ふたりは、少しだけ闇の多い階段室に入り込む。
 耳をそばだて、近くに足音がないのを確認してから、ひと息ついた。
「……お前、子供の扱い、上手いな……」
 どっと疲れが出たように、リュイセンがぼやいた。彼にとっては、一瞬のうちに凶賊(ダリジィン)を気絶させることよりも、先ほどのファンルゥとの会話のほうがよほどこたえたのである。
 実はリュイセンにはれっきとした年下の姪が――一族を抜けた兄に娘がいるのだが、否、だからこそ子供が苦手であった。
 そんなリュイセンに、ルイフォンが苦笑する。
「俺は、お前と違って下町育ちだからな」
 正確には、ルイフォンは情報屋の母、先代〈猫(フェレース)〉に与えられた、それなりの屋敷で生活していたのだが、下町を遊び場にしていた。そこで餓鬼大将だったこともある。
「……あの子が、『ファンルゥ』か」
 ルイフォンが呟く。リュイセンはわずかに瞬きをしたが、それ以上の反応を見せなかった。
 ――本当は、人質にすべきだったのかもしれない。
 そのほうが有利だったと、リュイセンも気づいているはずだ。けれど、それを口に出さないのは、その気がないからだ。
 ルイフォンは溜め息をつく。
 他にも気になることがあった。ファンルゥと、そして情報を得るために捕らえた、あの吊り目の凶賊(ダリジィン)も口にした『地下』――。
「ルイフォン、今は余計なことを考えるな」
 リュイセンが、ルイフォンの額を小突いた。揺らぎのない黄金比の美貌。口元は軽く結ばれ、目は先を見ている。
『頭がパンクしそうだが、やるべきことは分かっているから大丈夫だ』
 鷹刀一族の屋敷を出る前、リュイセンはそう言って笑った。
 これから敵対するであろう、〈蝿(ムスカ)〉とタオロンの情報を一気に伝えられても、リュイセンは黙って聞いていた。ときどき眉を曇らせ、瞳を陰らせても、最後に言ったのは『分かった』のひとことだけだった。
「今は、あいつらの父親の救出が先決だろ」
 リュイセンが笑って、ルイフォンの肩を叩く。刀を握る、節くれだった力強さが、どん、と胸に響いた。
「……ああ、そうだな」
「なに、俺がいればすぐに終わる」
 普段、大言壮語を吐くタイプではないリュイセンが、そんなことを言う。その気遣いに「すまんな」と言いかけて、ルイフォンは、そんな辛気臭い言葉は無粋だと思い直す。
「――期待しているぞ」
「任せろ」
 リュイセンが胸を張り、肩までの黒髪がさらりと流れる。ふたりの目と目が合い、同時に、にっと笑った。


作品名:第七章 星影の境界線で 作家名:NaN