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タイムアップ・リベンジ

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                 第一章 雨の中の少女

 木村俊治が、静香という女性に出会った時、雨が降っていたのは確かだった。
 それほど強い雨ではなかったが、しとしとと降る雨が、無性に寂しさを誘う時があるのをその頃に初めて知ったような気がした。雨の中を歩くのを好きな人は、そうはいないと思うが、俊治もそれが土砂降りであっても、しとしとと降る雨であっても、精神的にはあまり変わらないと思っていた。
――毎日を何も考えず、ただ無為に過ごす――
 そんな言葉が一番適切だった時期。つい最近のことであっても、ほとんど覚えていることもなく、覚えていることでも、
――どっちが最近のことなんだろう?
 と思うほど、意識して覚えているわけではなく、ただ忘れていないというだけのことだったのだ。
 だが、静香と出会ったその日、降っていた雨が土砂降りでなかったことを、俊治はよかったと思っている。理由はすぐには分からなかったが、後から考えて、
――思い出したくないことを思い出さずに済んだ――
 と思ったからだ。
 だが、ひょっとしてその時に思い出したくないことを思い出していれば、それから後の俊治の人生はまったく違っていたことだろう。もちろん、そんなことをその時の俊治に分かるわけもなかった……。
「おじさん、私、どこに行っていいのか分からないの」
「えっ?」
 何をおかしなことを言っているのだろうか。しとしととしか雨が降っていないわりに、彼女の身体はびしょ濡れだった。髪の毛は完全に濡れそぼっていて、まるで柳の枝のようにしな垂れていた。うつむき加減な状態では、しな垂れた髪の毛が邪魔をして、表情を拝むことができない。
 だが、身体全体が濡れているので、相当寒いのだろう。身体は小刻みに震えていた。少なくとも、このまま放っておける状態ではなかったのである。
 彼女がどこの誰であるか、そんなことはどうでもよかった。
――どうせ自分だって、まわりから見れば、どこの誰か分からないような人間なんだからな――
 と感じたからだ。
 俊治は、自分を客観的に見ることができる人間だと思っていた。というよりも、何でも他人事にしか見えてこないと言った方が正解かも知れない。客観的に見えるなどという表現は、「方便」でしかないのだ。
――いつ頃からこんな風になってしまったんだろう?
 そんな風に感じていた頃もあった。しかし、それも次第に感じることもなくなってくると、何かを考えているようで、実は何も考えていないような気になってくるのだった。
 最初は、
――考えれば考えるほど、悪い方にしか考えられない――
 という思いが強かった。それを悪いことだと言って戒めてくれる人もおらず、、一人で考えていたのだが、気が付けば、あまり余計なことを気にしなくなっていた。
 そうすると、気持ちがスーッとするのだ。
――余計なことを考えなくなったおかげで、悪い方にも考えないようになってきた――
 と思うことで、今まで背負ってきた重荷を下ろすことができたような気がしていた。
 そのことが、自分の感覚をマヒさせ、すべてを他人事のようにしか見ることができない人間にしてしまったことを、分かっていなかった。
 実は、四十五歳になったその時でもまったく分かっていなかった。ただ、気が楽になったことだけがすべてであり、良くも悪くも、自分にはそれしかなかったのである。
 俊治は、余計なことを考えないようになったことが、自分の感覚をマヒさせてしまったことを知らないわけではなかった。ただ、それを「逃げ」だとは思いたくなかった。あくまでも、自分の中で考えて、そして得た結論だと思いたいのだ。
 それがいいことなのか悪いことなのか分からない。ただ、その答えが出るのはいつのことになるのだろう?
――十年後だろうか、一年後だろうか、明日かも知れない。いや、ひょっとすると答えは出ていて、そのことに気付いていないだけなのかも知れない。しかも、気付いていないのは自分だけで、まわりから見ている人には、答えが見えているのではないだろうか?
 感覚がマヒしているくせに、こういうことを考え始めると、元からの悪いくせで、考えは留まるところを知らない。それは、きっと考えていることを自分のことではなく、あくまでも他人事だとして考えているからではないだろうか。そう思うと、考えすぎるということが悪いわけではなく、それを自分のことだと思ってしまうから、余計なことを考えてしまうのだろう。だから、俊治は感覚がマヒしていると思いながらも、他人事のように考えることを悪いことだとは思っていないのだ。
 それもこれも、他人事として考えすぎるくらいに考えたことは、自分の中で納得できるからである。
 俊治は彼女を自分の家に連れていった。一人暮らしなので、さほど広い部屋ではなく、しかも男やもめで殺風景だ。決して片付いているとは言えない部屋に、まさか女性を入れることになるなど想像もつかなかった。しかし、その日はなぜか、自分の部屋がさらに散らかっていたとしても、別に恥かしいなどという気持ちは起きなかったであろう。それは、感覚がマヒしているからだというわけでも、彼女がいう「行くところがない」相手だからだというわけでもなかった。彼女に関係のないところで、俊治にとって今日という日が人を招き入れるのに「ふさわしい」と思える日であるというだけのことだったのだ。
 彼女は俊治の部屋に入る頃には、少し落ち着きを取り戻していた。相変わらず震えは止まっていなかったが、寒いのだから、それは仕方がないことだった。
 男の一人暮らしなので、女性物の服があるはずもない。
「ごめん、こんなものしかないけど、着替えていいよ」
 そう言って、俊治は着替えと、髪の毛を拭くための大きめのバスタオルを渡し、彼女に気を遣って、風呂場に入ろうとした。
「ここにいてください」
 さっきまで一言も言葉を発しなかった彼女が初めて口にした言葉だった。
 最初に「行くところがない」と言ってから、ずっと黙りこんでいた。この部屋に来るように促した時も、ただ頷いただけで、言葉は発しなかった。
 最初に、彼女の声を聞いた時、
――前にも聞いたことがあるような声だ――
 と感じたが、それから一言も発しなかったので、
――気のせいか――
 と思ったが、部屋で初めて聞いた彼女の声は、明らかに最初に聞いた声とは違っていた。そういう意味で、気のせいだと思った感覚に間違いはなかったと言わざるおえないに違いない。
 俊治は部屋に暖房を入れた。狭い部屋なので暖かくなるまでには、そんなに時間も掛からない。
「分かった。ここにいるから、着替えていいよ」
 と言って、後ろを振り向いた。さすがにそれ以上何も言わなかった彼女は、俊治が後ろを振り向いた瞬間から着替え始めた。静かな部屋に衣擦れの音が聞こえてきたのが分かったからだ。
 俊治に気を遣ってか、彼女の着替えは素早かった。
「もういいですよ」
 いつのまに髪の毛を拭いたのか、着替えもきちんと終わっているだけではなく、髪の毛もさっきまであれだけずぶ濡れだったものが、綺麗に乾かされていた。