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短編集30(過去作品)

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 若返って見えるのも、いきいきして見えるのも人を好きになったからかも知れない。子供から見たおばあちゃんだから年寄りに見えただけで、本当はまだまだ女性として年老いていないのかも知れないとも感じた。
「歳を取ると、子供に戻るのよ」
 母親がおばあちゃんを評してそう話していた。その言葉を聞いて信二も思わず頷いたものだ。
 子供が好きで子供と戯れるのを楽しみにしている老人というのは、実に微笑ましい。縁側にいたこともないのに、縁側に座っている光景を思い浮かべることができるのも、その微笑ましさがあるからだ。
 その頃、両親は少し揉めているようだった。子供の信二にはそれがなぜなのか分からなかったが、あまりいい雰囲気ではない。仕事が終わってすぐに帰宅していたはずの父の帰りが遅くなり、イライラしている母の顔を見るのが辛かった。
 そのうちに母親の帰りも遅くなってくると、苛立ったところを見せ付けられなくて済むという気持ちとは裏腹に、誰もいない部屋に帰ってくる寂しさがこみ上げてくるはずだった。
 そんなことがなかったのは、おばあちゃんがいてくれたからだ。イラついている母とは裏腹に、いつもニコニコしているおばあちゃんは、母の目にどんな風に写ったことだろう。さぞかし皮肉たっぷりの笑顔に見えたに違いない。
 近所のおばさん連中のヒソヒソ話が気になり始めていた。それはおばあちゃんと一緒にいる時には聞こえてこない。信二が一人で歩いている時のヒソヒソ話だった。
 噂の真相は定かではないが、あまりいい噂でないことは確かだ。明らかに信二の顔を盗み見るように見つめている顔は、哀れみを含んでいるようで、気持ち悪い。
 そのうちに、家庭環境が一変する事件が起こった。その時初めておばあちゃんの怯えた表情を見たような気がする。
「あなた、一体何を考えてるの」
「お前だって、同じじゃないか」
 今にも物が飛び交いそうで恐ろしかった。ひょっとしてその後に飛び交ったかも知れない。おばあちゃんが信二を連れて部屋を出て行ったので、そこから先何が起こったかまでは、分からなかった。
 その日、初めて両親以外と旅館に泊まった。和風の旅館で、寒さが障子の隙間から入ってきそうな部屋の真ん中にはコタツが置かれている。そこに足を突っ込んで、テレビがついているが、内容など見ていない。お互いに気まずい雰囲気を感じながら、ブラウン管を見つめていただけだ。
 何か聞かないといけないと思いながら何を聞いていいか分からず、おばあちゃんの顔を見つめている信二。それに気付いておばあちゃんが信二を見返すが、今度は信二が思わず顔を逸らす。
――気まずい雰囲気というのは話に聞いていたが、ここまで息苦しいものだとは思いもしなかった――
 おばあちゃんが何を考えているのか分からない。何しろ旅館に入るまで、一言も口を利かず、こちらを見ようともしなかったからだ。
「今日ね、おばあちゃんが表から帰ってくるとね。部屋の奥から大きな声が聞こえてきたの」
 おもむろに話し始める。ゆっくりと、そして語気を強めながら……。
「何があったのか分からないんだけど、部屋に入れば喧嘩になっていて、もうおばあちゃんではどうすることもできなかったの」
 それだけいうと、視線はテレビに移っていた。
 本当はもっと事情を知っているのかも知れない。だが、相手が子供で、しかもいつも一緒にいる信二が相手では言葉を選んでいるのも仕方のないことだ。
 それよりもおばあちゃん自身が事情を分かっていないのかも知れない。途中から見たのではなおさらだ。
 コタツの中でテレビを見ていると、なぜか眠くなってきた。本当であれば眠くなるような状況ではないのだろうが、その場から逃げ出したいと思うからだろうか、瞼が重くなって、身体が宙に浮いてくるような錯覚に陥ってしまった。
 何とか夕食を表で済ませたが、夕食もどこに入ったか分からない。暖かいうどんやどんぶりものを頼んだのだが、食欲がないと思ったわりには、頼んだものをすべて平らげていた。
 そのあとに初めて入った銭湯。本当なら、こんな時以外に来てみたかったと思いながら入っていると、喉がカラカラに渇いてしまい、上がってから一気に飲み干したオレンジジュースがおいしかった。
――まるでさっきの家でのことがウソみたいだ――
 あまりにも今までの生活からかけ離れた光景を目の当たりにして、他人事のように思えたからだろう。ある意味、こんなにゆっくりとした気分になれるのも久しぶりだったような気がした。
 だがそれも後から感じたことで、実際にその時はそんな落ち着いた気分になれるはずもなかっただろう。
 その時おばあちゃんが初めて恨めしく思えたかも知れない。
 いくら両親が荒れていたとはいえ、しばらくすれば両親が恋しくなってきた。最初は逃げ出したくてたまらない気持ちでいたのにである。両親から引き離された気持ちを目の前にいるおばあちゃんにぶつけていたに違いない。それは完全に逆恨みだった。だが、おばあちゃんはそれを知っていたのかも知れない。信二が食事の時に見つめた顔を見返して、何とも言えないような悲しい顔になっていたからだ。
 程なく次の日に家に帰った二人は、誰もいない部屋に入った。おばあちゃんは、何事もなかったかのように家事をしていたが、しばらく信二はリビングのソファーに座ってじっとしていた。
 何かを考えていたというわけでもない。ただボッとしていて天井を見つめていた。天井の模様が近づいてくるような錯覚に陥っているのをしばし楽しんでいた。
 しばらくすると、
「信二、お散歩行こうか?」
 とおばあちゃんが声を掛けてきた。まだ天井を見つめていたいと思う反面、表に出かけたいという気持ちもあり、結局公園まで一緒に行くことにした。何かの比較対象があって決めたことではない。漠然と腰を浮かせて立ち上がっただけだった。
 その日は夕方ではなかった。まだ日が少し高い時間で、昼下がりと言ってもいい時間帯である。
 足元の影がかなり太って見える。目の前に転がっている黒い塊が自分なのだと思うと、気持ち悪かった。ずんぐりむっくりといってもいい肉体に自分の面影はない。
 公園に着くと、珍しく子供たちが遊んでいない。考えてみればまだ学校の授業をしている時間ではないか、まわりにいるのはベビーカーを引っ張ってきて赤ん坊に日向ぼっこをさせている母親が数人いるだけだった。
――公園にも時間帯でさまざまな顔があるんだ――
 当たり前のことだが、思い知らされた気がした。
 自分の母親も、信二が小さかった頃に公園にベビーカーを引いてきていたのではないかと思うと、また母親の顔が目に浮かんできてしまう。いくら昨日あれほど険しい表情を見ようとも、信二にとって母親とは、ベビーカーを覗いている母親の顔がいつも思い浮かんでくる。脳裏に隠れているのだろう。
 おばあちゃんは相変わらす、正面を見ている。今日はいつもの初老の紳士は来ていない。だが、誰もいないベンチをじっと見つめているのだ。
 目が光っているように見える。夕日と違ってあからさまな明るさがあたり全体を包んでいる。まるで蛍光灯と、裸電球の違いのように感じる。
作品名:短編集30(過去作品) 作家名:森本晃次