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おでんの景色

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おでんの景色

「いただきます」で始まり「ごちそうさまでした」で終える。そのあいだは食卓で無駄口を利いてはならない。しゃべっていいのは酒を飲んでいる大人だけだ。食事がうまいかまずいかなどは、親だったら子どもの顔を見れば分かる。そんな家庭で育った。それが普通だと思っていた。否、今でも思っている。
 おでん種に甘味噌を付けてかじり、濃い醤油味の汁をご飯にかけて無心に口に放り込む息子を、そのおでん出汁(だし)がしみた焼豆腐を肴に、酒を飲みながら見ている親父。近所では頭(かしら)と呼ばれている強面だ。
 おでんの焼豆腐は大人の食べ物だから、我が家では子どもは食べたらダメだった。俺が初めて食べたのは成人式の後、やっぱり食卓で焼豆腐を肴にしている親父から「おめでとう」といわれたときだった。そのとき初めて親父の口から「おめでとう」を聞いた。それまでは運動会で一等をとっても「良くやった」としか言われなかった。そんな親父からの「おめでとう」を聞いて、これで俺も一人前になったんだなあと思った。初めて親父と酌み交わした酒と焼豆腐は辛子も利いて大人の味だった。

 その俺が土鍋に入ったおでんを目の当たりにして固まっている。
 話を少しだけさかのぼると、友人から女性を紹介された。正確に言うと、その友人の彼女からの紹介だった。関西から越してきたばかりで友人の少ない女性に、江戸前の男を紹介したかったという。確かに親父は江戸前といって差し支えないだろうけど、俺はいたって普通の男だと思う。それでも関西出身の彼女には物珍しかったのか、最初の喫茶店にしてから俺の下町言葉に微笑んでいた。
 それから俺たちふたりの交際はすこぶる順調といっていいだろう。お互いの両親に交際の報告はしてあるし、東男に京女でお似合いのカップルだと俺は自負している。口さがない友人は「美女と野獣」、また、落語好きの友人は「たらちねカップル」だと言っていたが、落語にうとい俺には何のことだかサッパリ分からない。彼女の感触は手しか知らないが、それでも繋いで歩いているだけで、自然と笑い合ってしまう。

 それが、今日初めて彼女の家で夕飯をいただくことになった。
 そして、目の前の土鍋である。
「寒いさかいおでんにしいやみたん。ぎょうさん食べてね」
 彼女の母親がそう言って土鍋の蓋を開けると、盛大な湯気とともに見たこともないおでんがそこにはあった。
 これは、本当におでんなのか? だいたいが鍋底が透けて見えている。俺のウチのおでんは鍋底どころか鍋肌すら見えないくらい濃い出汁なのだ。親父がこれを見たらきっと馬の小便と言うに違いない。ひょっとして水炊きと間違えたのでは……。
「好きなもんから食べてみて~」
 彼女に言われたが、初めて見るものばかりだった。いや、見たことはあるがおでんに入っているのは初めて見たものも多い。
 かんぴょうで結ばれたロールキャベツやプチトマトが串に三個刺さっているもの、つくねらしきものに肉みたいなやつ、みんな串に刺さっている。イモのようなものまである。ウチでは出汁が濁るといってジャガイモは入れない。濁るもなにも、ウチの出汁はその濁りすら分からないほど濃いのにである。プチタマネギも三個串に刺さって透明な出汁に沈んでいる。
「ペコロスも美味しいんよ。食べて~」
 プチタマネギと口に出さなくて良かった~。お勧めのペコロスに、とりあえずつくねと肉らしきものを怖々と自分の深皿へ移す。
「お出汁も美味しいから、どうぞ」
 そう言って彼女は大きなレンゲでおでん出汁を入れてくれた。
『お出汁』ときましたか『お出汁』と。「男が食事で『お』を付けていいのは『お玉』だけだ。百歩譲って”お椀”はギリギリ許してやろう」そんな親父の声が頭の中にこだました。それでも京都弁で話す彼女の『お出汁』は俺の耳に心地よかった。
 まずはつくねに辛子を少し付けて口中へ……。
 旨い! 軽く焼いてあるせいか、かすかな香ばしさと生姜が鼻へと抜けた。
 次の肉らしきものは、牛すじだった。丁寧に下ゆでしてあるのでとろけるようだ。
 ペコロスも噛むと口の中で解(ほぐ)れて甘みが広がる。
「巾着とひろうすは母さんの自慢なの、食べて~」
 巾着は分かるが、『ひろうす』ってなんだ? どう見ても『がんも』じゃないのか? 京都では『ひろうす』なのか? 漢字が思い浮かばない。でも、旨い!
 巾着は、ウズラの卵とホタテに薄緑のぎんなん、それと毬麩の彩りが目にも口にも優しかった。ウチで巾着といえば卵が入ったバクダンか餅入りのことだ。かんぴょうではなく口は黒文字で止めている。

 そんな満ち足りた夕飯から帰宅する電車の中で俺は頭を抱えていた。
 ご馳走になったおでん(?)は、出汁が上品なので素材の良さが口中に訴えかけてきていた。プチトマトも皮を剥いてあり、酸味と出汁の旨さが口一杯に広がる。
 それに引き替え俺のウチのおでんときたら……。その辺で買ってきたおでん種を醤油味の濃い出汁に入れて煮込んだだけだ。
 唐突に彼女との距離を感じてしまう。あのおでんのように滋味あふれる家庭で育った彼女が、俺のウチに馴染めるとはとても思えない。どうしよう?

 うん、そうだ、やっぱりそれしかない!
 次の休日に彼女をウチに招待することにした。お袋にはおでんをリクエストした。

 下町の家が物珍しいのか彼女はそわそわと落ち着かない様子だったが、土鍋の蓋が開けられると少しのけぞっていた。彼女が気に入ってくれるか否か、ありのままのおでんを食べてもらおう。
 まずは彼女の家とは違い浅い皿に取ったちくわぶに、甘味噌を塗って差し出した。
「生まれて初めてちくわぶを食べたけど、味がしみてて美味しい。お味噌も美味しい」
 第一弾は成功したようだった。次はスジに辛子を添えて渡した。
「これも美味しい~。コリコリしたところもあって不思議な食感ね」
 そうだろう、そうだろう。
 それからも俺はシュウマイ巻きやギョウザ巻きなどを勧めながら、自分はカレーボールを楽しんだ。このチープなカレー味の練り物が下町のおでんの定番なのだ。
 おでんを食べていると、どこで聞きつけたのか近所に住んでいる従兄弟(いとこ)が「伯母さ~ん、おでん分けて」と言いながら鍋を片手に座敷に入ってきた。これまたどこで聞きつけたのか彼女をチラチラと見てから俺に向かってウインクをしていた。
 しばらくすると、銭湯帰りの叔父さんがやってきて、ビールを一息に飲んで帰って行った。
 そんな様子に少しびっくりしていた彼女が、今は美味しそうに焼豆腐を食べている。俺はやめた方がいいと止めたが、出汁を一口飲んで顔をしかめていた。ウチのおでん出汁はご飯にかけたり、〆に雑炊やうどんを煮込んだりするのに使うためのものだ。素人が、ましてや京都の人が簡単に飲めるものじゃない。
 さすがにおでんで満腹になったのか、彼女は〆を遠慮して後片付けを手伝ってこの日はお開きになった。

 彼女を送るため駅まで手を繋いで歩いていると、彼女が突然吹き出した。何事かと思い顔を向けると、
「映画の寅さんみたいな世界ってホントにあるんやね~。新鮮やったわ~」
 俺にとってはごく普通の日常が彼女には新鮮に映ったらしい。
作品名:おでんの景色 作家名:立花 詢