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短編集27(過去作品)

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 何にそんなにいきり立っているというのだろう。相手は別に自分に対して対抗心を燃やしているわけではない。こっちが勝手に思い込んでいるだけだ。だが、敵対していないと彼らを自分の中で認めてしまうようで、それだけは許されることではなかった。
 何からって? それは自分の影からである。
 自分の影も敵に見える時がある。いつも自分の味方だとは限らない。特に暗いところに入り、自分の影がどこにいるか分からない時など、恐ろしくなってくる。
 夕日の中を歩いている時もそうである。次第に長くなっていき、壁に写る影がついに自分の身長よりも高くなった時など気持ち悪い。影に見下されているようで、元々やせ型なので、影がまるで針金のようだ。柔軟性のある針金がいつ自分にとって代わろうとするか分からない。そんな衝動にまで駆られてしまう。
 自分が極端に変わってしまったことを意識し始めたのも影が気になり始めてからだ。それまでは陸上をできなくなったことで何をしていいのか分からない自分と、もう走らなくてもよくなったんだという、大きな開放感に包まれた自分とで頭の中が複雑に入り組んでいたので、表に見える自分は何も考えていないように見えただろう。
「あの頃のお前、まるで抜け殻のようだったぞ」
 と、今は数少なくなった友達から言われるようになった。
 きっと、あの頃の自分は、他の人から見れば近寄りがたかっただろう。ああいう状態を鬱状態というのだと人から言われたが、本人には分からない。ただ、必死に考えていただけで、頭が回らなかった。何か言葉を発すれば、それが本心からではないような気がして喋れなくなる。
 だが、そのわりには何か呟いていたように思う。いきなり呟くのだから見ていて気持ち悪かったに違いない。
 ある時、開き直りの境地に入った。
――どうせもう走れないんだ。くよくよ考えていたって同じことじゃないか――
 そう考えれば自分が見え始めた、と同時に自分の影も意識し始めたのである。ひょっとして影の方が先に気になったのかも知れない。
 何かを語りかけてくるようなのだが、何を言っているのか分からない。本当の意味での「影のような存在」である。
 三橋の朝はコーヒーから始まる。それまではトレーニングが朝一番で、一段落すると待っているのがモーニングコーヒーだった。トレーニングコースの途中にある喫茶店が早朝から開いているので、よくそこに寄っていた。
 お客のほとんどは老人であった。ゲートボールが終わってからの人たちで、皆同じように一汗掻いた人たちばかり、大声で話す人はおらず、皆マナーが守られていた。
 本を読んでいる人、新聞や雑誌を読んでいる人、皆それぞれのことをしている。ゲートボールでは皆仲良くプレーをしているのだろうが、終わってしまえば完全なプライベート、その割り切り方が、見ていて爽快だった。
 コーヒーの香りが充満する喫茶店に立ち寄るようになってから、気持ちの中に余裕を感じるようになっていた。
――一皮剥けた――
 そんな心境だったのだ。陸上ができなくなってもその喫茶店には顔を出していた。もちろん誰とも話すこともなく、ただコーヒーを飲むだけだったが、それでよかったのだ。
 喫茶店の中にいると時間を忘れることができる。トレーニングをしなくなってからも同じだった。コーヒーの香りに魔力があるのか、落ち着いた気分にしばし浸っていられるのが嬉しい。
 その場所では、感情というものがあまりなかった。陸上をやめてから必要以上に感情的になり、人の悪いところばかりを探して、それを頭の中で戒めているのを想像することだけが考えることに繋がるのだった。そうでなければすべてが袋小路に入り込んでしまい、自分でも収集がつかなくなってしまう。
――まるで宙に浮いているような感覚だな――
 そこでは、文庫本を持っていって本を読んでいることが多い。内容としてはテンポの小気味よいミステリーあたりが多い。あまり考え込んでしまうような本は嫌で、気がつけば最後まで読んでいたというようなサラリと読める本を読んでいた。
 本を読むことで、自分を落ち着かせたいという思いと、時間を感じることなく過ごせるという一石二鳥な考えがあった。元々本を読んでいる人を見ていて、心のどこかで尊敬しているところがあったのだろう。
――自分も陸上をやめたら本を読んで過ごす時間ができるんだろうな――
 と思っていたくらいである。陸上をしている時に本を読んでもよかったのだろうが、きっと余計なことを考えてしまうのが怖かったからに違いない。読もうとまでは思わなかった。
 じっと読んでいて顔を上げると、頭に血が上っているせいか、頭がクラクラしてしまう。
 目の前にいる老人たちに変わりはないのだが、どうも室内が狭くなっているような気がして仕方がない。錯覚だとは思っても、頭がハッキリしてくるにしたがって、狭く感じてくるのだ。
 最近読む本の中で、影を気にしている人の話が書かれていた。影はもちろん自分の影で、見つめている影が自分の分身であることをハッキリと自覚しているのだ。
――まるで私のようだ――
 三橋は内容を読み込むうちに、次第に小説世界に入り込んでいくのを感じていた。主人公が自分に思えてきて、見ている影が本当に自分を見ているように思える。
――作家というのはどんな頭の構造をしているのだろう――
 といつも考えていたが、思ったことをそのまま表現できれば、それだけで十分に作品ができあがるのではないか。そう考えると、芸術家がなまじ遠い存在ではないように思えてくる。アスリートが肉体で表現するのであれば、芸術家は頭の中を素直にして、表現したいという気持ちをそのまま出せばいいということに気付くことだと思うようになってきた。
 自分のまわりでもいろいろ極端な展開が繰り広げられている。それも同じ人物からだったりするので、
――事実は小説よりも奇なり――
 だと言えなくもない。
 自分の知らないところで、自分として行動している人がいると感じる時がある。部屋に帰った時、いつもそこにあるはずのものが、時々移動していることもある。無意識に動かしたのかも知れないが、部屋に置いてある姿身の鏡を中心に反対側に置かれている。
 まったく違う世界に帰ってきたように思うが、ただ左右対称だと考えれば、まったく同じだともいえなくない。
 それこそ小説世界だ。
 三橋が書くのだったらそんなストーリーにすることだろう。だが、そこから先が続かない。きっかけは考えられても展開が思い浮かばないので、結末まで行き着くわけがない。だが興味深い考え方だ。同じ場所にもう一つの世界が広がっているという考えは、四次元に関する本を読んでいて思い浮かぶことだった。
――鏡に写った世界――
 まさしくそれが四次元ではないか。
 では影はどうだろう?
 絶えず自分にくっついていて離れることはないが、まったく違う自分がそこには存在する。極端な性格が時々現れるような気がするが、影に見つめられていると思うことで初めて感じることだった。
――影とは自分を戒めるためのものなのだろうか?
作品名:短編集27(過去作品) 作家名:森本晃次