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とある高校生
とある高校生
novelistID. 64899
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人間の美

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どんなに美しい絵画や自然によって創られた景色を見ても、我々の真の美意識にそれらは響いているのだろうか。

産まれてきた人は皆いつかは死ぬ。
時間的に言えばある人は70歳で死ぬだろうし、またある人は20歳で死ぬだろう。

時間という概念は不思議なものだ。自分が生きてきた18年間は、今振り返ってみるとこれが長いのか短いのかわからない。
“死”というものは誰しも一回しか経験しないものなのだから、死ぬ際、自分の人生が長かったものなのか短かったものなのか分からないだろう。
我々が他者の死に対して「あの人は長生きして幸せな人生だったなあ」「まだ15歳だったのに気の毒だなあ」の様な事を言うのは単なる自己満足に過ぎないのである。

大東亜戦争中の神風特攻隊の隊員の死は今でも至る所で語られている。
これは単に彼らの多くが10代後半から20代前半の青年であったからだけでは無い。
彼らの死は日本的な“美”であったからだ。一種の芸術と言っても良いだろう。
彼らの死がなぜ美しいか。理由は簡単である。
来るべき死を受け入れたからだ。
我々は自分がいつ死ぬか分からない。明日かもしれないし、一時間後かもしれない。
しかし彼らは朝、出撃命令が下れば明日という世界に自分がいないのだと悟り、確実に待ち受けている死と向き合うのだ。
彼らがその日に体験することは全て“最後の○○”になるのである。
私はこの逃れられない死に向かい合っている時の人間の姿を真の美だと考えている。
彼らにとってそれが幸福だったか不幸だったか現代の生ぬるい時代に生きている我々が考えることは愚劣以外の何物でもない。
彼らはとにかく美しいのだ。

現代日本では若者の自殺が増えているという。
若者の死を問題視するのは資本主義的には当たり前だが、その死に美しさも見い出せる。

悲哀と美は表裏一体なのだ。
作品名:人間の美 作家名:とある高校生