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自我納得の人生

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                   ◇
――断崖絶壁――
 それは、なるべくなら立ち寄りたくはないところであるが、人間生きていれば断崖絶壁を意識することが少なからず何度かはあるだろう。今までに一度も断崖絶壁と言われるところを見たことがない人などいないに違いない。それがもしテレビの映像であっても、初めて見た時は少なからずのショックを受けるに違いない。高橋誠も子供の頃にドラマで見た断崖絶壁を、しばらく忘れられないくらいだった。
 夢に見たこともある。
 どんな夢だったのかまではハッキリと覚えていないが、それは思い出したくないという意識からのもので、見た瞬間には決して忘れないに違いないというリアルさがあったのかも知れない。
 リアルさは、夢から覚めるにしたがって消えていくものだ。
――夢の中では色も音も何もない。したがって、自分の意志で何かが起こるわけはない――
 と思っていることが、現実に引き戻される時に、夢を架空のものとして記憶の中に封印しようとしているのだろう。夢の世界という架空の世界を自分の中に作り出すことで、世の中の信じられないと思われていることを納得させることのできる「場所」として持っていることで、恐怖を感じることがあっても、それを和らげてくれるに違いないと思うことができるのだ。
 子供というものは、実際に自分で見たことのあるものに対しては恐怖を感じるものだが、見たことのないものに対しては淡白ではないだろうか。大人よりも序実に現れているように思うのは、それだけ素直な目で見ているからなのかも知れない。
 断崖絶壁を実際に見るということは、それほどあることではないだろう。観光スポットの中には、北陸の東尋坊のように、断崖絶壁が観光地として全国に知られているところもある。当然、悪しき評判も全国に知られていて、
――自殺の名所――
 としての汚名も一緒にくっついているのである。
 ドラマでは、そんな自殺の名所を使っているのだろう。まったく知られていないところよりも、
「どこかで見たことがある」
 あるいは、
「行ったことがある」
 などと、馴染みのある風景の方が、印象深いからである。
 それは恐怖感を味わう場所でも同じこと、いや恐怖感を味わう場所の方が余計にイメージが湧くというもので、
「怖いものほど印象深く残っていて、さらに懐かしさを感じさせる」
 と言っていた人もいたくらいだ。
 誠にとって最初の断崖絶壁は、テレビで見たのが最初だと思っていたが、テレビで見た光景は、最初目に飛び込んできた時、
――懐かしい――
 と感じるものだった。
 以前に、行ったことがあるところだと思い、過去の記憶を引っ張り出してみると、確かに行ったことがあった。しかもその時に、一緒に思い出した記憶があったのだが、その記憶も恐怖の記憶として封印されていたようで、思い出してくると、その時は恐怖であったと思ったものでも、懐かしく感じる。それは時間が経ったから感じるものなのか、それとも成長したことで感じるものなのか、すぐには分からなかった。
 その時の光景は、「地獄」のイメージだった。多分、どこかの温泉に行った時のイメージなのだろうが、鬼がいたり、赤い池があったりしたのを覚えている。別府に行ったという話は聞いたことがないので、きっと他の場所なのだろうが、案外温泉地というところは、見るところは似たり寄ったりなのかも知れない。
 硫黄の臭いだということも知らず、黄色く見えた煙に息苦しさを感じながら、それまで好きだったタマゴを、一時期食べることができなくなるほど、タマゴの匂いにも似ていたのが印象的だった、
 その時に感じた臭いは、タマゴの臭いが強烈だったのだが、印象に深く残っているのは、実はパイナップルの匂いだった。まったく違う匂いが交錯する中、記憶が錯綜していたのも仕方がないことかも知れないが、確かにパイナップルの匂いを嗅いだ時、若干の恐怖心と、鬼の顔が黄色い煙の向こう側にイメージされたのも事実だった。呼吸困難に陥りそうなイメージを思い出しながら、パイナップルという南国のイメージが温泉には不可欠な印象だという思いを抱かせていた。
 温泉には家族で出かけた。まだ小さかった誠は、温泉というのが、あまり楽しいところだという印象はなく、むしろ、地獄の印象が強かったので、怖いところだというイメージしか残っていない。それでもインスピレーションはあったようで、家族での旅行が嫌いではなかった。
 毎年のように両親が旅行に連れて行ってくれた。誠には兄がいるが、兄も同じように温泉には怖いイメージを持っていたようで、兄の後ろを絶えず歩いていても、怖がっているのが分かり、
――お兄ちゃんでも怖いくらいなんだから、僕が怖くても当たり前なんだ――
 と、妙なところで納得したものだった。
 毎年の旅行は、ほとんどが温泉を搦めたところであった。同じところには、続けていくことがなかったので、鬼がいる温泉も断崖絶壁の温泉も一度きりだったと思う。鬼がいる温泉と、断崖絶壁の温泉が同じところだったかどうか、記憶としては定かではないが、それだけ自分がまだ小さい頃だったに違いない。
 小さかった頃というと、小学生低学年の頃である。四年生の頃くらいからは、記憶もだいたい時系列で残っているが、それ以前としては記憶としては定かでもないし、定かであっても、時系列としては残っていないので、曖昧だという意識もそのあたりから来るのであろう。
 断崖絶壁に行ってみたいと言ったのは、父親だった。
――怖いもの見たさ――
 が父親にはあり、家族みんなはどちらかというと怖がりだった。それを面白がって怖いものを見ようとするところが父にはあり、
「お父さんの悪いくせだわ」
 と、母親も苦笑いをしていた。
 兄弟二人は怖がっていて、そんな余裕はない。
――やっぱりお母さんは大人なんだな――
 と、感心していた。
 子供にとって、父親が絶対的な存在だと思う時期はあるようで、小学生低学年の頃は、父親は絶対的存在だった。それは兄も同じことのようで、父には一目置いていた。
 小学生の低学年の頃は、兄と誠は実によく似ていた。近所の人たちも時々間違えてしまうくらいで、母親ですら、間違えていた時期があった。それは外見もそうなのだが、性格的にも実によく似ていた。
「まるで双子みたいね」
 と、言われたくらいで、兄も誠もまわりから言われることを真に受けて、
――僕たちって、本当に双子のように似ているんだ――
 と思ったようだ。
 弟は兄の後ろをいつもピッタリとくっついて歩いているので、その姿を見ると、どちらが兄で、どちらが弟なのか分かるのだが、もしそれがなければ分からないに違いない。身長もほぼ同じ、体型もほとんど変わりない。そのせいもあってか、同じ服をいつも親が着せていたので、双子のように見えるのも仕方のないことだ。
「たった一年先に生まれたから、僕がお兄ちゃんというだけだよ」
 と、兄は大人になっても同じことを口にしていた。
作品名:自我納得の人生 作家名:森本晃次