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雑魚

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 私はその日、膨大な体積に圧倒されそうな、そういう川の傍を歩いていた。混じりを知らない一色で塗装されたような、赤い鉄橋が向こうに見え、それを目的地として、土手沿いをある友人と共に、ぺとぺとと、歩いていた。
 その友人は、前日に職が決まったとかで?やけに浮かれた顔をしながら、しかしその奥に何か不気味な企みが隠れているような、そういう声色で私を散歩へと連れだした。強引に連れだされたので、帯を緩く締めただけの軽い着物で外に出てきてしまい、春風のつつくような寒さに身をやられかけていた。
 風はどことなく蒼色で、おそらくそこには川の色が映り込んでいるようであった。川面の薄い表層を攫った春風は本来の冷たさよりも良質な冷たさを保存しているのだ。着物がどうも湿気ているような気がするのは、当然のことであった。
 さらにこの空気。蒼く見えることで、さらにひんやりとした空気に思えて仕方ない。仮にこの空気がうっすらと赤く染まっていたのなら、私はもっと暖かく歩くことができるのだろうか。
 腕組みしながら土手を構成している大小さまざまな石ころを蹴り歩いている私に対し、友人は澄ました顔で、まるでそこが舗装された都会道のように軽快な歩行をしていた。
 その友人と出会ったのはもう二年ほど前のことなのだが、いつ見ても同じ、つぶれた靴を履いていた。夏の暑さには向かないような、スエード調の靴で、今日も暑いなと零した、異様な光景をはっきりと覚えている。その時、私は友人にいつも同じ靴を履いているのか、もしくは同じ靴を何足も持っているのか、と聞いてみたが、なぜか友人は何も言わず、約束していた高級アイスを食べに店内に入っていった。
 今日も友人は同じ靴を履いていた。そして、いつも通り、軽快な歩行をしているのだ。
 ここで友人の軽快な歩行について述べておきたい。友人はいくつかの点で人間らしくない奴で、その一つに歩行がある。どうも足の骨の具合が悪いのか、まるで烏が飛び跳ね歩くような、歩行をする。馬がぱからぱからと蹄を鳴らすように、烏はひぃよんひょんと奇妙なリズムをそこに見せる。さらに奇妙なことに、本人は普通に歩いていると思っているらしく、烏が歩く様子を見ると、なんとも変な歩き方だと私に向かって吐き捨てるように言うのだ。

 
 友人の話はこれまでにして、友人は私の少し前を無言で歩いている。私は今、魚が跳ねたぞ、などといつも通りの言葉を発するが、友人からは一向に返事が来ない。沈黙に妙な空気感を感じながらも私はしゃべるのをやめなかった。やめた途端、友人から何か、重大なことが知らされそうな気がしたからだった。嵐の前触れに静かな空気が一瞬流れ込んでくるような、そういう静寂を友人に感じていた。何の根拠もない推測でしかなく、もしかしたら川沿いの妙な寒気がそういう気を発生させているだけなのかもしれない。

 話すことも尽きだし、私は半ば強引な会話を持ちかけていた。近所の工事の音がうるさいだとか、柏木という作家の本が実におもしろいだとか、友人には全く関係がない話を次々に繰り出しては、友人からの言葉を遮断し続けた。
 
 赤い鉄橋が目の前になり、友人は止まった。赤い鉄橋を見上げ、一言、やはり錆だらけの赤だったかとつぶやいた。私はそのつぶやきをどうもうまく聞き取れず、(つまり友人のつぶやきを正しく残せているかは分からない)なんとなく、友人の次の言葉を待った。
 
 しばらく経っても、友人は何も言わず、ただ錆びついた鉄橋を見上げていた。驚くことに、この鉄橋の塗装は大方剥がれ、大量の錆が赤い色を出しているだけだった。
すぐ手の届くところに鉄橋はあるが、それ以上近づこうとはせず、私は鉄橋を見上げる友人と川の風景を、動かない春風景として鑑賞し始めていた。それほど動きがない土手沿いだったのだ。
 

 びゅうと鉄橋に風が当たり、錆がぽろぽろと剥がれ落ちた。湿った私の着物にもその風があたり、黴の胞子やら、私特有の匂いを吹き消すかのように吹き抜けていった。その風の行方を追い、目線を鉄橋の向こうに向けると、友人がこちらを振り向いた。
 その日の友人の目は微かに赤く見えた。蒼い川の空気は干渉できていない。友人はこの川沿いに存在していないような雰囲気すら醸し出していた。
 私は友人に見つめられている。何か、何かあったのだろうか。あの浮かれた顔はもうそこにはない。声色も、顔色も、神妙なものに切り替わっている。友人は目を閉じ、話し出した。
 

「僕は昨日、就職できた」
「それは、よかった」
「君はどうなんだ」
「僕はそもそも就職活動すらしていない」
「じゃあ、どうするんだ」
「分からない。でも、金もあるし、家もある。それで十分ではないか」
「君ならそう言うと思った」
 流れるようにこういう内容の会話をした。その時の友人はいつもの友人というより、私や、数人の仲間とともに、文学について話しているときの友人の雰囲気があった。
「この鉄橋、君はどう思いながら歩いてきた?」
 友人はそういいながら鉄橋を見上げた。
「赤い、それこそべっとりとしたペンキ色の鉄橋だなと思いながら歩いたさ。まあ、実際は錆の色だったが。そしてそれ以上に寒いと思っていたんだが」
「僕もだ。寒い」
 友人はゆっくりと歩き出した。引き返すことなく、隣町へ続く土手沿いを進んだ。川は隣町の中央を、二つに分断するように流れている。私は鎖でつながれているかのような感覚で、友人に引っ張られて、歩き出した。



 

 歩き出して数分。錆びついた鉄橋が再び赤い鉄橋に切り替わった。その瞬間から、川に風が恒常的に吹き出した。その風は蒼い空気を隣町の方角へと吹き飛ばし、換気された空気が川沿いを覆った。吹き飛ばした風は変わらず吹き込んでくるので、川沿いに一定の風向きを作った。その風向きが川の表層を押し流し、仮の流れを作った。この川は、川底に魚群の死骸が取り残されないほど、急激な流れが川底にだけ形成されていて、しかし、川面にはその強烈さが一切表現されないという、危険な川であった。
 そのため、川底と川面では向きが違う流れが作られているかもしれない。弱い川面の流れに油断した鳥が流れていく光景を見た覚えがある。

 風は次第に強まり、風向きがはっきりと認識できるほどまで成長した。風が着物のような面を作り、大きく揺れている。風は川沿いにあった蒼い空気に干渉されず、透明なままだった。
 風向きと同じ方向に向かって、川面に模様が形成されだした。模様を切り取り、表現しようと努めたが、一部分だけを見ても何の形容もできないほど、凡庸だった。しかしそれらをまとめて視界に収めた時、艶めきと陰影が主張しだし、魚の鱗のようにゆらゆらと浮かんでいた。
 私は自分の着物の一部を握りしめ、その鱗が浮かぶ川面を眺めていた。後ろから吹いてくる風が着物の隙間から侵入しては私の表層を攫って行くような、そういう空想を重ねると何とも川面が頼もしく思えた。
 表層を攫われた川面は削られた代わりに違う表層を見せたのだ。何重にも用意された表層が、鮫の牙のように次々生え変わる。それほど奥が深いやつなのだ。
 それでは、私はどうだ。そういうことを考えながら、友人の後を歩いている。
作品名:雑魚 作家名:晴(ハル)