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茨城政府

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「アントンが知ってるかどうかは、分からないけど、国務省の中でハルが作った『ハル試案』と『モーゲンソー試案』が並行して検討されてきたがルーズベルトの厳命で『モーゲンソー試案』に沿った『ハル・ノート』に決まった。というんだ。ジャップの肩を持つわけじゃないが、明治初期の勢力にまで引っ込め、ってこと言われたら、国が成り立たないだろうよ。」
 リチャードの残念そうな口調に皮肉の色はない。
「俺も、そこまでは知らなかった。蒋介石がアメリカの援助がなくなることを恐れて妥結に猛反対していた。というのは何かの本で読んだけどな。」
「そうか、やっぱり分らんか。まあいい。だから俺は確かめに行く。そしてぶっ潰す。」
「えっ?」
 異口同音の驚きがあがる

「止めるんだ。太平洋戦争を。でも誤解しないでくれよ。俺は平和主義者なんかじゃない。
 あの戦争で俺たち白人の植民地をジャップどもが占領しちまった。でもジャップが降伏したのに俺たちの植民地は素直に戻ってこなかったんだ。
 ジャップの軍隊を完膚なきまでに叩きのめし、あらゆる街を焼け野原にしたのに俺たちの祖先は植民地を失った。
 ダイトーア・キョーエイケン。トージョーの詐欺まがいのGreater East Asia Co-Prosperity Sphereで勢いづいた連中が俺達白人に逆らった。そして次々と独立していったんだ。
 戦争をしなければトージョーの夢物語は無かったことになる。そうだろ?」
「そりゃそうだけど。」
 リックは戸惑いがちに答えるが、アントンは違っていた。
「まさかお前。」
 鋭い視線でリチャードを睨む。
「そう怖い顔すんなよ。そのまさかだよ。これを見てくれ。」
 リチャードは悪びれもせず一枚の白黒写真を差し出す。
「おい、こいつはジョンじゃないか?」
 一族の写真なのだろう。古びた写真にはタキシードを着た男性と、女性はドレスを纏って収まっていた。ドレスは露出の大きい今風ではなく、フリルだらけという感じだ。蝶ネクタイをした子供達も写っている。親子数世代が一同に会したものだろう。白黒のはずなのに、鮮やかな色調が脳を支配する。そんな一族の中に困ったように耳を垂れる一頭のシェットランドシープドックが写る。その小さな背中には『80年後の君へ』と書かれた布が見える。
「お前、犬を送り込んだのか?」
 冷静だったアントンの口調が詰問調になる。
 白人至上主義を信奉するリチャードは、日本人やアジア・アフリカ系の比率が多い他の留学生との共同生活を避けて寮には入らず、つくば大学のある筑波研究学園都市で暮らす叔父宅に住んでいた。ジョンは叔父の飼い犬で、リチャードは大学にもよく連れてきていた。筑波研究学園都市はその名の通り、大学や企業、国の研究施設が集中した街だった。このためリチャードの叔父のような外国人研究者も多い。
「ああ、ジョンに『80年後の子孫より』って書いたTシャツを着せて、手紙を付けて『時空転換装置』に入れた。ジョンを送り込むまでこの写真には犬なんて写ってなかった。無事に着いて良かった。もう誰も止められない。」
 リチャードは挑戦的な笑みをアントンに向ける。
「何てことを。で、手紙には何て書いたんだ。」
 アントンの声が怒りに震える。
「さっき俺が言ったことさ。そして、信じてくれたのなら一族の記念写真に犬も一緒に写してくれって書いたのさ。」
「そんなことをして何になる!」
 アントンが声を荒げた。
「言っただろ、俺の先祖はワシントンにも影響力があった。ってな。世界を変えるんだよ。いや、正常な世界に戻す。と言う方が正しいな。リックにしてもアントン。あんただって植民地を手放さずに済む。」
「確かに面白そうだ。アントンも悪い話じゃないだろう?」
 リックは新たにスコッチを注ぐ。
「本当の目的は何だ?日本軍が来る前からアメリカはフィリピンを独立させるって約束していたはずだ。お前の本当の目的はなんなんだ?」
 リックには目もくれずにアントンが問い詰める。
「あんた随分歴史を勉強してるな。じゃあ、人種的差別撤廃提案Racial Equality Proposalも知ってるだろう。第一次世界大戦後に開かれたパリ講和会議の国際連盟委員会でジャップが人種差別の撤廃を条文に明記しろ。ってやつだ。」
「ああ、知ってる。日本人は世界で初めて国際会議で人種差別撤廃を主張したんだ。賛成11票 対 反対5票だったが、議長だったあんたの国の大統領に全会一致でないと認めない。と言われて御破算になったんだったよな。」
「すげーや。俺はかなりの勉強不足だ。」
 リックが目を丸くする。
「ご先祖様を知るということは、そういうことだ。リックも勉強したほうがいいぜ。」
 リックを諭すように言うアントンの声が、リチャードの拍手に掻き消される。
「大したもんだ、その通りだ。だが、最終的にはジャップは人種差別撤廃を実現した。」
「どういうことだ?」
「植民地の独立さ。太平洋戦争でジャップがボロ負けした後、やつらが占領していた欧米の植民地が次々と独立運動を始め、独立を勝ち取っていった。あんたのインドネシアのようにな、だが、それだけじゃ済まなかった。次第にアジア、アフリカの全域に独立機運が高まり、そして何年も掛ったが多くの植民地が独立していった。独立するということは、国力の差こそあれ、対等ということだ。見てみろ、今じゃ人種差別なんて表向きにはどこにもない。」
「なるほどな、一理ある。だが、それで歴史を変えていいはずはない。」
「変えたのはジャップだ。だから正常な世の中に戻すんだ。」
「よせ、犬一匹と手紙ぐらいなら、大したことはない。馬鹿なことはよせ。」
 普段は冷静なアントンが怒鳴った。
「馬鹿かどうかは、結果を見てから言ってくれ。じゃあな。」
 逃げるように部屋を去るリチャードをリックが追いかけて行く。

「なんてことだ。」
 追いかける気力もないままアントンは深呼吸をした。冷静にならなければ次の手は考えられない。もう踏み出されてしまったのだ。取り返しのつかない不可逆の一歩が。

作品名:茨城政府 作家名:篠塚飛樹