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狭間世界

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 もちろんその逆もあることであり、他の人には悪いことでも、自分にはいいことにしか思えないことも少なくないということだ。自己防衛のようにも聞こえるが、それくらいの気持ちがないと、自分に自信が持てないと思っていた。
 祐樹は自分が自信過剰だとは決して思っていないが、時々、
――人にないものを自分はたくさん持っている――
 と感じることがあった。
 それを自信過剰だというのであれば、自信過剰なのかも知れない。しかし、祐樹はそうは思っていない。
 萎縮を感じたり、まわりや自分さえも他人事のように思えるような性格が、自分の中の真髄のように思っている祐樹にとって、自信過剰とも思えるくらいの方が、ちょうどいいのかも知れない。
「出る杭は打たれる」
 というが、まさにそうではないだろうか。
 祐樹の中学時代のクラスは、まさに、その
「出る杭は打たれる」
 というような状態だった。
 小学生の頃から、一つのクラスにいくつかの団体が存在していて、その中心にいるのは目立ちたがりの、いわゆる
「ガキ大将」
 のような男の子が存在していた。
 小学生の頃だから、ガキ大将という表現でもいいのだが、中学に入ると、集団のリーダーとして、そこそこの存在感を持っていた。
 入学当時は、それぞれの団体ごとに気を遣っていたようだが、そのうちに身近な団体をそれぞれが意識するようになり、一触即発の状態が、緊張を持って、いくつか存在するようになった。
 それでも、均衡が守られていたのは、
――最初に動いた方が負け――
 という考え方があったからなのだろうか、誰も動かない間は、息苦しさを伴った微妙な空気が渦巻いていた。
 しかし、そんな空気の中で長いこと均衡が保たれるわけもなく、緊張の糸が一つでも途切れると、後は無法地帯のようだった。
 クラスの皆は必ずどこかの団体に所属しているような感じだったが、無所属の人間もいた。だが、その無所属であっても、一種の団体であり、ただ、無所属という団体には、リーダーは不在だった。
 誰が見ても自由な気風に、緊張を司っていたそれぞれのグループを構成している連中は憧れるようになっていた。
 リーダーを中心に、睨み合いのような緊張が続いているが、その間にも一人二人また一人と気付かれないうちに、団体から抜けている。
 気がつけば、団体を構成していたメンバーのほとんどは所属しておらず、睨み合っているのはリーダーとその腹心だけである。傍から見ていると、これほど滑稽なものはない。
 やっている本人たちは、拍子抜けしているようにも思えるが、振りかざした鉈を下ろすことはすでにできなくなっていた。
 振り下ろすこともできず、かといって、戻すこともできない。緊張は硬直に変わって、メンバーから置き去りにされたリーダー連中は、次第に疲れ果て、集団は瓦解していく。
「やっと、まともになった」
 と、口には出さずとも、誰もがそう感じ、ホッとしているに違いない。
 当の本人たちであるリーダー連中も、ひょっとするとホッとしていたのかも知れないと思えた。
 そんな状況の中、クラスメイトは一つに纏まったわけではない。下手に一つに纏まると、そこから誰かリーダーが出てきて、またしても、最初の頃のような少数派の団体がいくつも出来てくる危惧があったからだ。
 それでも、自然とグループはできてくるもので、まわりから見ると集団に見えるが、実際にはまとまりがあるわけではないグループにしかすぎなかった。
 祐樹もその中の一つのグループに所属しているような感じになった。グループの中にはリーダーがいるわけではなかったが、実際に入ってみると、自然と誰かがリーダーシップを取っている。
 彼はリーダーシップは取っているが、リーダーというわけではない。まわりはリーダーのように思っているかも知れないが、実際にはリーダーではない。本人がリーダーだという自覚がないからだ。
 これこそ、彼のカリスマ性なのかも知れない。
 カリスマというと大げさに聞こえるが、リーダーとしての自覚もないのに、自然とリーダーシップが発揮されるのは、生まれつきの彼の才能なのかも知れない。
 誰にでも一つは才能らしきものを持っているのだから、たくさん人がいれば、リーダーシップが才能の人がいてもおかしくない。
 メンバーはそんな彼を慕っている。本人も自覚はあるようで、まんざらでもないようだ。ただ自分のことをリーダーだとは思わない。どこがどう違うのか分からないが、祐樹にはそれがいわゆる
――カリスマ性――
 なのだと思っていた。
 カリスマ性というのは、持っている本人に負担をかけるものではない。
 団体があって、リーダーとして君臨していると、その人にはカリスマ性があろうがなかろうが、まわりに担がれてのリーダーであったりもする。
 いわゆる、
――お飾り――
 として、ひな壇に乗せられたまま、発言できないという状況の中で、実際の権力はその側近にあるというような、まるでどこかの帝国主義のような感じであれば、リーダーというのは、損な役回りでしかないではないか。
 中学時代にそこまで考えていたわけではないが、何となく分かっていたような気がする。最初にリーダーありきのグループが存在し、一触即発の状態が息苦しさを呼んだ。しかし、途中からリーダーなしのグループになってからというものは、カリスマ性のあるなしによって、グループの存在がハッキリしてくるのだった。
 その両方を経験したことで、お飾りのようなリーダーの存在を感じることができた。それを思うとやはり、
――カリスマ性のないグループには将来がない――
 と言えるのではないかと思えたのだった。
 祐樹は、一時期、
――俺にもそのカリスマ性があるのではないだろうか?
 と感じたことがあった。
 それは、最初のリーダーありきのグループに所属しておらず、いつも他人事のように見ていたからだった。
 萎縮する性格ではあったが、それはあくまでも、自分に合わない連中に対して、嫌悪を抱いていたからに過ぎないと思えたのだ。
 他人事として見ていたことで、無所属にも入っていなかった。完全に表からの傍観者でしかなかった祐樹だったが、一触即発が終わってからできてきた団体には、いつの間にか自然に入っていたのだった。
 自分から入ったという意識はなかった。誰かに誘われたわけでもないのに、なぜそのグループの中にいたのか分からないが、入っていることに違和感を感じることはなかった。まるで最初からいたかのような感覚に、居心地の良さを感じたのだ。
 祐樹が自分の入ったグループに最初、誰もリーダー的な人がいないことは分かっていて、それが、
――まるで無所属のようだ――
 という雰囲気を醸し出させていた。
 しかし、リーダーがいないわりには、こじんまりとした纏まりがあった。メンバーを見る限り、誰もカリスマ性を感じないし、それぞれに特徴はあるのだが、突出するような特徴はなかった。誰もが、
――帯に短し襷に長し――
 で、
――どんぐりの背比べ――
 だったのだ。
――だったら、俺が――
作品名:狭間世界 作家名:森本晃次