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キツネ顔の女

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キツネ顔の女

 大陸の寒気団が張り出し海が荒れると、日本海は冬である。
 冬の日本海はカニやブリの好漁場で、時化(しけ)て出漁は限られるが、漁師は収入の大方をこの季節に稼ぐ。男は半島の漁港を廻って魚貝類を買い付け大坂の店に卸しているが、この日も買付を終えると、漁港に停めた保冷トラックで一服していた。
 漁港の横の高台に墓地があるらしく、漁協会館から出てきた喪服の一団がゾロゾロ高台に登っていく。北風に飛ばされまいと、身体を前屈みにして固まって進んでいく。コートの襟を立て、スカートの裾を押さえ、和尚だけが袈裟を翻しながら昂然と歩いていた。そんな漁村の葬列を眺めながら弁当を食べていたが、腹一杯になるとウトウト眠ってしまった。
 トントン、車を叩く音がして目を覚ました。寝ぼけ眼で見下ろすと、黒コートの女が不安そうに立っている。
 ??ドアを開けると、強ばった表情で「乗せてもらえませんか?」
 細面のキツネ顔で、髪が乱れ青ざめている。
 「エエよ、乗んな」
 男は手を差し伸べて女を引っ張り上げた。
 「スミマセン」
 どことなく疲れて生気がなく、微かにジャスミンの香りが漂った。乱れ髪を整えながら、「晴れてたのに、急に雨が降って」
 「弁当忘れても傘忘れるな、天気はすぐ変わる」
 細い目で媚びるように、「大坂の車でしょ、途中のM市で降ろしもらえません?」
 M市は鉄道や高速道路が集まるこの地方の中心で、車で一時間強の距離である。
 「お安いご用。話し相手が出来て嬉しい」
 「ゴメンね、スミマセン」
 女は安堵の笑みを浮かべ、男は勢いよくアクセルを踏んだ。ブルッ、ブルブル~トラックが震えた。
 「乗り心地は良くないぜ、大丈夫か」
 「トラックに乗せてもらったことがあるの」
 トラックは半島を周遊するカーブの多い山道を走っていった。厚雲に覆われた鈍色の日本海が一望出来る。トラック野郎は何を喋っていイイか分からない。氷雨が重たくなり、ワイパーが音をたてた。
 「雪になるかも知れん、凍らんうちに山越えせんと」
 疲れているのか、コートにくるまった女は目を閉じている。暖房を上げてラジオを入れた。『昼の歌謡曲』が流れた。
 「誰の葬式やったんや」
 「お父さん・・お父さんだった人」
 「お父さんだった人?」
 「・・ウチはお父さんがいないの、義理のお父さんが亡くなった」、「離婚したから関係ないんやけど、お世話になったからお別れに来たの」
 「・・律儀やな」
 「お父さんはひとりで亡くなって、アイツが連絡してきた」
 「アイツって別れた亭主か?」
 しみじみした口調が変わった。
 「そう、子供を連れて来いって・・アイツ勝手なんよ、自分が子供に会いたいだけ」
 「それで、ひとりで来た?」
 「・・・」
 「うっとうしいんよ、アイツ!」吐き捨てるように言った。
 腹立たしさを抑えるように目を瞑った。ハスキーな八代亜紀の『雨の慕情』が流れた。
 「うち、この曲好き」
 シートを倒すと、車窓に展開する冬の海を眺めた。トラックは半島の曲がりくねった山道を走って行く。重たく垂れた雲間から淡い一条の光りが漏れている。漁船が一隻、白波を立てて真っ直ぐ港に向かっている。水平線に黒雲が現れて陰りだした。しばらくすると、風が激しくなり、冬枯れの木立がざわついた。
 「今夜は漁にならん」
 辺りが薄暗くなり、ピカッ!稲妻が走った。
 「ワー!雷や、雷が落ちた!」
 ドーン!大砲のような轟音(ごうおん)がとどろいた。
 男は逃げるようにスピードを上げた。急カーブの山道を走りきり、入り江の海岸道に入ったとき、横殴りの風が大粒のアラレを叩きつけた。バチバチ!避難しようと、トラックを砂防林に突っ込んだ。疎らな松の間から、海原に突き刺さる稲妻が見える。
 「凄い!火柱や、火柱が落ちる!」
 二人は言葉をなくして花火のように見入った。
 バリバリ!青い閃光と同時に地響きが轟いた。キャー!思わず女が抱きつき、男は咄嗟に抱えた。雷鳴が遠ざかるまで抱き合っていた。柔らかな女の身体に男は疼くものがあった。逞しい男の胸に女は熱いものを覚えた。このままじっとしていたかった。
 可愛い!身体を起こした男は、ウットリ目を閉じている女の頬を撫でた。キレイだ!熱い吐息を吹きかけながら、頬から唇、首筋から胸元へゆっくり擦っていく。こんなに優しく愛撫されるのは絶えて久しい。忘れていた女の本能がうごめきだした。深奥が熱く濡れ、身体が桜色に染まる。ザラザラした男の指が唇を触っていると、思わず「欲しい」としゃぶりついた。
 エロイ!男は太い指を咥えさせながら、ズボンをずらし覆いかぶさった。イイ~ッ!男のものを受け入れた女はすぐに昇りつめ、男は激しく腰を動かした。女は何度も逝き続け、男は頂点を極めるとぶっ倒れた。
 どれくらい失神していただろう。
 重みに耐えかねた女が身体を動かし、クラックションに当たってブーブー!大きな音で目を覚ました。素面(しらふ)に戻った女はあられもない痴態を恥ずかしく思い、男を見ることが出来ず、髪を整え着衣を正した。青ざめやつれた女はかくも色っぽく瑞々しく変貌するのか?キツネ顔の目が潤み、妖しいオーラを放っていた。ハンドルを握った男はニヤリと笑った。
 「病みつきになる」
 「・・・」
 前線が通り過ぎたのだろう。風が止み、空が垣間見え、海は凪いでいた。伸びやかに背伸びすると、男の頬に軽く口づけした。
 「サイコ-!」テンションを上げた男はエンジンを入れた
 砂浜海岸から国道に入ると、T市まで半時間ほどである。命の喜悦に酔い痴れた女は心を許したのだろう、自分のことを喋りだした。
 「うちはお父さんを知らんの。母子家庭で女子高やったから、男の人に初心(うぶ)やった。最初の会社で出入りの業者に誘われて好きになった。女たらしやと忠告する人もいたけど、夢中やったから耳をかさなんだ」
 「アイツもお母さんがいなかったから境遇が似てた。妊娠したとき、アイツは大喜びで籍を入れた。最初の頃はラブラブで楽しかったけど、子供が生まれると喧嘩するようになった」
 「二人とも親の助けがなかったし、ウチは子育に精一杯でアイツをかまわない。アイツは家族のために仕事を増やして、帰ってくると寝るだけ。休みの日も疲れて遊びに連れて行ってくれん。ウチは甘えるのがヘタやから罵ってしまう。アイツは切れて手を出す。何遍、親のところへ逃げ帰ったか」
 命を噴出させた男はリラックスして、よく喋る女を可愛いと思った。
 T市の郊外に入ると、国道沿いにガソリンスタンド、ファミレス、ショッピングモール、ホームセンターが並び、田園のなかに新興住宅が広がる。男はやんちゃだった昔を思い出した。
 「オレもよう喧嘩した。何遍もクビになった。けど、家では手を出さなんだ」
 細い目をつり上げた。
 「アイツは卑怯や。外で温和しいくせに、家で暴力振るう。暴力されると女は男と関係できん」
 「ウチはアイツを無視し、アイツは女を作って出て行った」
 母親がいるとはいえ、バツイチ,シングルマザーで苦労しただろう。しばらく沈黙が続き、ポツンと呟いた。
作品名:キツネ顔の女 作家名:カンノ