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始まりの終わり

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第一章 出会いのカフェ

 桜井洋一は、仕事が休みの時、一人でゆっくりするための場所を探していた。本当は昭和の香りを残すような昔ながらの喫茶店を探していたのだが、なかなか見つけることはできなかった。別に毎日にあくせくしているわけではないが、休みの日に暇を持て余していることに少し疑問を感じてきた。もちろん、いまさらなのだが、暇な毎日がマンネリ化してくると、何も感じなくなってくることの寂しさに、急に気づいてみたりする。
 今年、五十歳になる洋一は、結婚経験もなく、気が付けば五十歳を迎えていた。二十代、三十代は、仕事が忙しかった時期もあったが、それ以外は、仕事が忙しいということもなかった。責任を負わされる仕事をしてきたわけでもないのに、仕事を辞めることもなくここまで来たのは、ただ運がよかっただけなのだろうか? そんなことも考えようとしなくなった自分が、それを年齢のせいにしていた時期があったことに寂しさを感じていたのだが、それが寂しさではなく、言い訳だったことを感じた時期は確かに存在していた。
――自分はいつまでも若いんだ――
 という思い込みが、洋一の根底にはあった。
 いや、今でも存在していると言ってもいい。自分が若いと思っている間は、いい意味でも悪い意味でも年を取らない。気が付けば、身体だけがついてこなくなっていた。
 だが、年齢も四十歳を超えたあたりから、自分が年を取っていないという錯覚に陥っていた。毎日、同じ時間を過ごしているのに、どれが昨日のことで、どれが今日のことなのかすら、意識できなくなっている。
――俺は、まだまだ若いんだ――
 この感覚を無意識に抱いているため、同じ時間を毎日無意識に通り過ぎていくのが当たり前になっていた。本当に若い時期なら、若さを自分の武器にしようなどと考えるのだろうが、若さを自分に対しての言い訳のためだけに使っているのだということを普段から認識していれば、もっと自分のまわりにいる若い連中を意識していたに違いない。
――話しかければ、相手も自分を同年代のように扱ってくれるはずだ――
 と思い込み、自分が輪の中心にだってなれるというくらいの思いを抱いていた。
「若さというのは、本当の年齢ではなく、考え方ひとつで変わるんだ」
 と、飲み会で若い連中が話をしていたが、今でもその言葉が頭にあって、自分の発想の基礎にしていた。
 その話を聞いたのは、三十代の前半、まだまだ若い連中と一線を画すものではなかったはずだ。
 だが、若い連中からすれば、三十歳という年齢が一つの結界になっていた。三十歳を少しでも超えていると、まったく別世界の人間であるかのように見ている。自分も二十代の頃は同じ気持ちだったはずなのに、二十代の自分を遠くに見てしまったせいで、自分から、自分の若い頃を否定してしまうようになってしまっていた。
 四十歳を超えると、精神的には別に変っていくことはない。しかし、肉体的には、明らかに衰えを感じさせるようになり、自分が先の見えた人間に感じさせるのだった。
――社会的には、そろそろ不要になってくる年齢だ――
 と、勝手に思い込んでいる。
 もちろん、同じ年齢くらいの人でも頑張って生きている人はたくさんいるのだから、その人たちに失礼だとは思うが。
――一体、俺はこの年齢になるまでに、何を残してきたというのだろう?
 と考えるようになった。
 そう考えるようになったのも、年を取った証拠であり、そろそろまわりのことよりも、自分のことだけを考えてもいい年齢になったきたのではないかと思うようになった。
 しかし、別に家庭を持っているわけではない洋一は、最初から自分のためだけに生きてきたはずだった。だが、ふと今までの自分を思い起こすと、家族のために何かをしたわけではないのももちろん、自分のためにも何かをしたという意識はない。だからこそ、四十を過ぎると、毎日をただ無為に過ごしてきたのだということを感じるのだと、いまさらながらに分かってきた。
 二十代の頃までは、
「まだまだこれから、むしろ年齢を重ねてからの方がモテるし、脂がのって、いい恋愛ができるに違いない」
 と思っていた。
 三十歳代の前半も同じことを思っていたが、後半に差し掛かってきた頃から、自分の考えていることに虚しさを感じるようになってきた。
 その時が、自分への言い訳を感じ始めた最初だった。
「今の方が、年齢を余計に感じるようになった」
 という話を同年代の人がしているのを聞いていると、
「ウソばっかり」
 と言いたくなってしまう。
 若い頃の方が年齢を意識していなければウソだと思うのは、若い頃の方が時間に対して焦っていたと思うからだ。
 焦っていたというよりも、
「刻む時間を真剣に考えていた」
 と言った方がいいかも知れない。
「若い頃は二度と戻ってこない」
 というセリフがやけに心に響くのだ。
 ある程度の年齢を通り越すと、今度は諦めの境地が芽生えてくるからなのかも知れない。それでも、年齢を気にしないようにするか、年を取ったというよりも、年を重ねたと言って、自分をごまかすかのどちらかになるだろう。
 それでも年齢がどうしても気になる人は、何とか年齢を意識しないようにしようと思う。そのために、
――年を忘れよう――
 と思うのだろうが、そのために、年齢以外のことまで忘れてしまうという弊害に、気づいていない。年を取るごとに健忘症になっていくのは、一つは、年齢を意識しないようにしようとする意識が働いてしまっているからなのかも知れない。
 会社では、別に何をしていない。目立つこともなく、自分から何かをしようとも思わない。そんな無気力な人間が働ける企業があるというのも珍しいのかも知れないが、そんな洋一でも、二十代までは、
「会社の仕事が、三度の飯よりも好きだ」
 と嘯いていた時期があった。
 だが、いくら吠えてみても、それは自己満足でしかない。
 確かに仕事の成果はそれなりにあり、上司からの信任も厚かった。同僚からも慕われていたが、それは体よく、
「仕事を押し付けられた」
 と言ってもいいだろう。
 しかし、それでも、仕事が三度の飯よりも好きなのだから、押し付けられても却って嬉しいくらいだった。ウソでも感謝され、自分も自己満足に浸れるのだ。
 元々洋一は、人からおだてられるのが好きなタイプだった。
 その傾向はすでに小学生の頃からあり、先生からは、
「洋一君は、人の嫌がることを進んで行うところが長所です」
 と評されて、それを聞いた母親からは、
「あなたは、そんなところがお父さんに似ていて、素晴らしいところなのよ」
 と言われ、洋一は苦笑いを浮かべながら、否定することができなくなってしまった。
 それから、おだて以外でも、母親から褒められると、ついついその気になってしまい、否定など絶対にできないようになってしまった。
 大人から見れば、
「いい子」
 なのかも知れない。
作品名:始まりの終わり 作家名:森本晃次