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短編集13(過去作品)

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 手に汗を掻いているのは分かっていた。風の強さで背中に掻いているはずの汗を感じることはできない。しかし、ずっとそのままいるわけには行かないことだけは分かっていた。そう思い始めると、身体が軽くなってくるのを感じる。ゆっくりと足を動かすと、軽くなった身体を反転させ、振り返ることなくその場から立ち去ったのだ。
――いったいなんだったのだろう――
 後から考えても、そう思った時のことを、たった今感じたことのように思い出せるのだった。
 その日は散歩から帰ってくるとすっかり日が暮れてしまっていた。ずっと女性を見ていた時に見えた海からは、沈む夕日に照らされた海面が眩しく、日の入りまではかなりあるという風に思っていたのだが、帰ってくるまでに感じた時間はそれほど短くはなかった。
――まるで夢を見ていたかのようではないか――
 夢というと見ている時は時間を長く感じていても、実際に起きて思い出すと、あっという間だった気がする。起きてから感じる時間が実際に生々しいだけに、長く感じられて当たり前である。しかし、寝ている時はいかにも時間が長く感じるのは、それだけ時間の経過があっという間で、起きている時に感じる時間の長さの感覚と、シチュエーション一つ一つで違っているからに違いない。
――どこかで見たような光景――
 そう感じた時、まず最初に思うのは夢で見たのではないかと感じることだった。夢で見ているからこそ、かなり前に見た夢であっても最近見たような気になるのだし、最近見たような気がしていても実際はかなり前の夢だったりもする。夢では子供にもなれるし、今のまま大人でいることもできるのだ。実際に夢を見ている自分の姿を見ることができないので、それが大人になった私なのか、子供の目で見ている夢なのかが分からない。きっとその瞬間瞬間で大人の私と子供の私が入れ替わっていても不思議のないことなのだろう。
 ホテルに帰ってきてテレビをつけるとニュースをやっている。ちょうど一番気になる天気予報をして、女性キャスターがスティックを持って説明している。天気図を見ると。なるほど台風の進路はまともに宮崎県に当たっている。本当は明日もう一度宮崎支店に赴いて最終打ち合わせを終え、そのまま空港へという予定だったのだが、どうやら宮崎支店に入ることすらままならないようだ。
「このままならホテルで足止めか」
 そう思うと、却って気持ちに余裕ができ、せっかくゆっくりできるのだからホテルを散策してみようという気になっていた。
 部屋を出てからフロント、ロビーくらいしか活動範囲はなかった。大浴場もあるらしいが、いつも部屋に備え付けのシャワーで済ませていた。表を散歩することはあっても、ホテル内を歩き回ることはなかった。きっとホテル内で人に出会うのが嫌だったのかも知れない。表で出会うのとホテル内で人と出会うのではかなりの違いがある。すれ違っただけでも相手に「人間」を感じてしまうからだ。仕事から戻ってきてまで、他の人間と接触するのを嫌ったからだろう。
 とりあえず、大浴場へと向った。部屋に備え付けの浴衣に着替え、タオルを持つと、本当に気分もリラックスしてくる。今まで大浴場まで行かなかったのは、面倒くさくて部屋で済ませてしまおうという気持ちになったことと、それ以上に大浴場にいくことで、それこそ旅行気分になってしまうからである。
 目的はあくまでも出張、仕事だということが頭にあるので、あまりリラックスしてしまうことは私の中で許せないことになってしまうからだろう。
 私にはヘンなこだわりがある。他の人が許せるようなことも、自分では許せないことが多いような気がすることには、最近気がついた。人それぞれ同じようなこだわりがあるのだろうが、きっと私は他の人のそれの何倍もあるに違いない。
 性格的にせっかちなところもあり、それが起因しているのではないかとも思う。例えば電車に乗っていて、一番最初に降りないと気がすまないところがある。一番階段や改札口に近いところの扉近くに最初から待機していて、扉が開くや否や一気に駆け抜けるのである。まるで子供のような性格なのだが、他の人と同じようにダラダラ歩くのを極端に嫌う私である。
 私はそれでもいいと思っている。誰に迷惑を掛けるわけでもなく、却って先に出てくるのだから、イライラがない分いいのだ。人から見れば、何と大人気ない行動に見えるだろう。もし、私がその他大勢のような性格なら、絶対に嫌な奴という目で見ているに違いない。特に私は他人が目立つような行動をすると気になる方である。
「自分のことを棚にあげて」
 と思われるかも知れないが、人と違うことをする人間は得てして他人の行動には敏感なのだろう。
 そんな時の自分が嫌いな時がある。きっとその時はまわりのみんなを嫌いになる鬱状態の入り口なのだろうが、その原因を作るのは自己嫌悪に陥っている時だ。普段せっかちな性格であることを分かっているが、鬱状態に陥ると、それがさらにひどくなる。
 私を見つめる他人の目が冷淡に見えてくる。まったく知らない人だけではなく、いつも笑顔で話している人もそうだ。笑顔でいつものように話しかけているのだろうが、その笑顔さえも引きつった笑顔に見えてしまう。要するに白々しさを感じるのだ。
 知り合いの顔がいつもと違って見えるほど気持ちの悪いことはない。私はリズムで行動する方なので、いつもの人がいつもの表情をしてくれていないとすぐに落ち着かなくなってしまう。それだけに他人の顔色には敏感で、少しでもいつもと雰囲気が違えばすぐに分かってしまう。
 ちょうど出張に出かける少し前から鬱状態に入り、気分的には優れないでいた。お世辞にも楽しい出張であるはずもなく、しかも台風が近づいている。足止めでも食らえば、どうしようもなく、さらなる鬱状態を誘発するに違いなかった。
 そんな時は気分転換が必要である、本当ならこんな鬱状態で旅行気分などもっての他なのだろうが、台風上陸が近いということもあり、却って気分転換になることを期待している。
 大浴場へと向うには、ホテルを縦断しなければならない。一旦、ロビーのあるフロアーに降りてから、そこから長い廊下を歩いてホテルの一番奥にある大浴場へと向かうのだ。一度歩いたことはあるが、距離的にはたいしたことはなかった。何も考えず、ただ漠然と歩いていただけだったような気がする。
 それは数度目の宿泊の時で、出張にも慣れていきていた時だった。まわりを見ながら歩いたつもりだったが、あまり記憶に鮮明に残っていない。それだけ本当に漠然と歩いていたのだろう。
 前もそうだったが、今もすでに日は落ちていて、廊下から見える中庭はライトアップされているようだが、ハッキリと見ることはできない。廊下の途中にはベンチのような大きさのソファーが置いてあり、アベックなどは、そこから景観を眺めることができるように工夫されている。きっと夕方の日の沈む時間などはロマンチックなのかも知れない。しかし出張目的の私にはまったく縁のないことだという感覚があるので、その時もあまり気にするものではなかったに違いない。
作品名:短編集13(過去作品) 作家名:森本晃次