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短編集13(過去作品)

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プロポーズ



               プロポーズ


「営業一課 山本義之 福岡支店に転勤を命ずる」
 この文字だけがやたらと大きく見えた。辞令という文字が本来なら一番大きな文字のはずなのだが、もうそんな文字など気にならない。
 少し固めのB5ほどのそれほど大きくない紙、そこにどんなレイアウトで書かれているかなど、私にはすべて承知の上であった。
――今までにこの忌まわしい紙を何度いただいたことだろう――
 手がワナワナと震えているが、最初の頃にもらった時の心境とは、かなり違うものだった。
――もう慣れっこさ――
 半分ヤケクソに近い微笑みが零れていることは予想がつく。確かに転勤の多い会社を選んだのは仕方がないとしても、さすがに納得のいかないことも今までにはあった。しかし断ることは許されない。断れば即退社ということが付きまとってくるのだ。
 景気のいい頃であれば、転勤することが出世への早道だったのだろうが、それほど大企業といえるほどでもないうちの会社で、転勤が即出世とはならないのだ。日本全国に一応支店は持っているが、東京を離れるにしたがって、支店の数も疎らで、会社に対するご当地の知名度も同業他社に比べれば、かなり落ちると言われている。
 入社したての頃、転勤はある程度覚悟していたつもりである。しかしそれでもいざ辞令を目の前にすると、社会人としてまだ未知な部分の多い私にとって、知らない土地での生活に耐えられるかという思いがあるのも仕方のないことで、大袈裟に言えば見た瞬間、まさしく「目の前が暗くなっていく」のを感じた。
 大学時代までは順風満帆だった。
 高校入試、大学入試とすべて志望校にストレートに入学でき、成績もそれなりだった。確かに学校の先生との相談の中で、志望校を決める時に無理のない決め方をしたことが功を奏したのだろうが、それが今までの自分の生き方だと思ってきた。
――順風満帆な人生――
 これこそが私の生き方だろうと感じ始めたのも、大学に入学してからだった。
 高校の頃までと、大学に入学してからの私は明らかに違っていた。高校時代の私は目立つことを一切せず、もちろん部活などもすることなく、クラスの中でも一番隅っこにいるようなタイプだった。理由は簡単、そうすることが一番「楽」なのだ。
 表に決して出ることもなく、目立たないということは私にとって天国であった。想像することが好きで、自分を主人公にいろいろ思い浮かべることが好きだった。現実に起こるはずのないことを想像するのだから、想像するにもかなりの集中力がいるのかも知れない。日記のようにして付けていたこともあり、今でもそのノートはどこかに残っているはずだ。
さすがに文章力のないことを自覚している私は、それをエッセイやポエムにして書き残すことを考えたこともないが、先日後から読み直し、意外と文章にメリハリがあることに気がついた。
――へぇ、これが僕の文章なんだ。意外といけるじゃないか――
 そう感じながら、何度も読み直し、一日を読み直すだけで終わった日もあったくらいである。日頃から自分が何を考えながら生活していたかを徐実に表していて、いつも何も考えずに過ごしていたような気がしていたのが、まるで嘘のようである。
 日記に残してきたことが、あまりにも現実離れしているからであろうか、その頃の私は何も考えていなかったという認識が強かった。
 文章を書くことがこれほど楽にできるなんて思いもしなかった。以前、懸賞小説でも書いてみようと思ったこともあったが、すぐ挫折していた。何と言っても、文章を書くには雰囲気が大切、最初に考えたのがそれだった。
――図書館に行ってみよう――
 誰でも最初に考えることではないだろうか? 家で書こうと思って机に向かったことが何回かある。しかし、集中力に自信のない私は、思った通り机に向かってできるものではなかった。時計が気になり、なかなか経っていない時間にイライラしながら、気が付けばテレビのリモコンを握っている。誘惑が多すぎるのだ。
 図書館なら誘惑がない。そう思って意気込んで図書館に行くが、結果としては同じだった。確かに誘惑は少ないかも知れないが、集中力のなさの他に次なる欠点が顔を出す。
――プレッシャーに弱いこと――
 である。
 図書館はそれほど近くにあるわけではない。図書館に行くためには電車、バスの交通機関を使い、それによってやっとたどり着ける場所に位置しているために、必要以上に肩に力が入ってしまうのだ。それが見えないプレッシャーとして、言い知れぬ緊張感が私を襲うのだった。
 そうなれば結果は同じだった。集中力などすぐに萎えてしまい、机に向かっていることが苦痛になってくる。席を立つことが頻繁になり、そのまま時間だけがむなしく過ぎていく。しかも、時間を長く感じるのは家にいる時と同じことで、
――もう三十分は過ぎているだろう――
 と感じた時でも、実際に時計を見ると五分も経っていないのが実情だった。
 家でもだめ、図書館でもだめ、要するに緊張感を持続することは私にはできないということを自ら証明したに過ぎないのだ。
――もう私に文章を書くことは不可能なのだろうか?
 そう感じ始めていた。実際に諦めかけていたのも事実だし、書きたいという気持ちも薄らいでいたのも事実だった。
 しかしきっかけというのは、ひょんなことから生まれるものである。
 元々私は喫茶店に行くのが好きだった。高校の頃まではコーヒーが嫌いだった私にとって、それは信じられないことであった。大学に入学し、先輩に連れていってもらった喫茶店の雰囲気が気に入ったのか、そこでコーヒーを飲むうちに、コーヒー自体も好きになっていった。その鼻を突く香ばしさが何とも私の鼻孔を心地良く刺激したのだ。
 初めて女性としたデートも大学近くの喫茶店だった。学生街である駅前は、狭い路地に喫茶店が軒を連ねている。そんな中でも私のお気に入りはレンガ造りの温かそうな店だった。冬などは、コーヒーの香りが店内に充満し、香ばしさが心地良い。デートという雰囲気がコーヒーの香りに混じって流れてくるクラシックのメロディと重なっているのは、私だけではないだろう。
 その店はデートスポットとして確立されていた。それだけにアベックが多く、それ以外にはあまりいなかった。しかしなぜだろう。付き合っていた女性と別れても、不思議とその店に顔を出すことが多かった私だったが、その時の心境を思い出すことは今さらながら不可能なことだった。
 失恋してからの私は文章を書くことを思い出した。
――幸せな気持ちだったから、文章が思い浮かばなかったのかも知れない――
 と思うほど、失恋してからの私の頭には、驚くほどの文章が次々に生まれていった。
 喫茶店の雰囲気がよかったのだろうか? それまでに感じたことのない雰囲気と香ばしい香りが私を文字の世界に誘ったのかも知れない。文字の世界は想像力の世界、最初考えていたような緊張感や集中力など、雰囲気さえ馴染んでいれば関係のないことだった。
作品名:短編集13(過去作品) 作家名:森本晃次