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短編集10(過去作品)

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 いつものように天空を見上げた私は思わず声を上げた。下界にもやが掛かってはいるのだが、天空のどこにも雲があるわけではない。隠すものなど何もないにもかかわらず空に浮かんでいる月は先ほどのものと明らかに違っていた。
 きれいな鋭角を描いた弓なりの月が、まわりを黄色く染めている。さっきまでのオレンジ掛かった色と打って変わって、三日月であるにもかかわらず明るさを醸し出している。
 私はその三日月を追いかけるかのように家路を急いだ。視線は絶えず三日月にあり、追いかけても届かないのが分かっているにもかかわらずに、である。
「一体何を忘れたというのだろう?」
 浦島太郎の物語りを思い出す。楽しかった数日というのが実は何年にも相当していたという話である。月が急に満月から三日月に変るなど考えられるはずもなく、今日一日と思っていたことが、実は数日だったと考えれば月に関する疑問は打ち消される。
 いや、そう考えることの方がよほど自然であって、それ以外を考えるよりもしっくり来る。
「現代の浦島太郎?」
「もし、私を知っている人が誰もいなかったら、どうしよう……」
 帰りがけに玉手箱はもらわなかった。そんなバカなことはないだろうと思いつつも、ふと考えてしまう。
 住宅街を抜けたので、家がそろそろ近づいてくるはずだ。何箇所かの角を曲がるたび襲ってくる不安感があったが、住宅街が終わりに近づくにしたがって、次第に解消されていった。住宅街の最後の角を曲がろうとしたその時である。今まで誰とも会わなかったが、角を曲がる前に人がいるような気配を感じた。
 意を決したかのように勢いをつけて曲がると、果たしてそこにいる人に見覚えがあった。いや、人というより人たちというべきで、歩いてきた私にまるで気がつかないかのように寄り添うように歩いている中年男女は、この間馴染みの居酒屋で見かけたあの二人であった。
 私が正面を通ろうとしても、一切こっちを見ようとしない。じっと見つめながら歩いている私に気が付かないなど普通であれば考えられないはずである。
「あの……」
 話しかけてみたが返事はない。しかし明らかに視線はこちらを向いているのだ。その表情に安らぎが感じられ、気が付けば微笑み返している自分に気が付いた。
 もうそこから先、話しかける気にはならなかった。軽く頭を垂れ会釈し、相手も同じように会釈を返すような状態のまますれ違ったが、もう一度後ろを振り返ろうとは思わなかった。ひょっとしてそこに二人の姿がないかも知れないような気がしたが、それはそれで何の不思議も感じない。
 男性の顔もさることながら、女性の方のすれ違った時に感じた柑橘系の香りが、たった今厚い抱擁を交わしたあの屋敷にいた女性を思い起こさせる。そういえば、表情が似ていなくもなく、そう考えると一緒にいた男性が自分の将来の顔に思えてくるから不思議だった。
「私も、もう少ししたらあのような穏やかな表情になれるのだろうか?」
 人生の酸いも甘い経験した者だけに許される表情に思えて仕方がない。私の理想とする表情をさっきの男性はしていたのだ。
「あの男の人は私なのだろうか?」
 突拍子もない発想だったが、そう考えるとなぜか安堵感がよぎり、救われた気持ちになった。
 居酒屋でしていた会話を思い出される。あの男は不規則な時間の流れの感覚は錯角ではなく、運命だと言った。
 今ならその意味が何となくではあるが分かる気がする。最初聞いて分からなかったあの時と今とではどこがどう違うというのだろうか? はっきり言えることは今日の私はいつもと違う感覚があるということである。
 先ほどの甘美な中で夢のように過ぎていった時間、あれは私が感じた時間と本当に同じものだったのであろうか? 急に満月から三日月へ変わるなど信じられないことを経験したのである。想像の域を超える発想をしてもそれほど突飛なことではないだろう。
 もしあの時の「運命」という言葉が私に当てはまるとすれば、今私が不安に感じていることも運命かも知れない。
「きっとあの人はこれからいい人生を歩んでくれるだろう」
 満足感のようなものが心に芽生えた。そして、
「何か大切なことを忘れている」
 と思い、私は家路を急いだ。胸騒ぎが次第に胸の鼓動となって耳鳴りのように響いている。あたりに乾いた靴音だけが響いていた……。

「あなたは普通の人が三日掛かって生きる人生を一日で生きているのよ」
 鳴った電話を反射的に取った私の耳にいきなり飛び込んできたその声は、少しハスキーな女性の声だった。
「それはどういう意味ですか?」
「本当は出会うはずだった人と出会うことなく生きてきたあなたは、危ない出会いをせずに済んだ分、大切な出会いを逃しても来ているの。そしてその一人が私……」
 何がなんだか分からないが、言われてみれば何となく分かる気がする。
 しかし彼女のいう「自分もその一人」とは、危ない出会いなのだろうか? それとも大切な出会いなのだろうか?
「本当は、あなたに連絡することは許されないのかも知れないけど、でも……」
 そう言って彼女は電話を切った。
 その時言われたままの場所をメモもせず頭の中で記憶した。一度行ったことがあると思ったのはその時で、メモは必要なかった。
 電話が終わると取るものも取らず急いで家を出たのは、言うまでもないことだった。
 家を出る時のことをやっと今思い出した。
 会うことのなかったはずの人が私を呼び出し、そこで結ばれた。もし私が運命に縛られていて、その運命に逆らったとすれば……。
 これが私の抱いた不安である。
 しかもその不安は次第に大きくなる。家が近づくにしたがって爆発寸前である。
 角を曲がれば家というところで立ち止まった。
「ここを超えたら本当に家があるのだろうか?」
 そう感じたが私はそのまま一気に角を曲がった。
 白い閃光!
 飛び込んできた光に意識は薄れ、今日の出来事が走馬灯のようによぎる。
 前と後ろがどんどん遠ざかっていく。
 全身を襲う激痛のため、私はこのまま死んでしまうと思った。しかしそれも一瞬のことで、身体が麻痺してきたと思うと、まだ身体に残っているであろう彼女の温もりを感じながら、深い眠りに落ちていく感覚に陥っていた。
「もう大丈夫ですよ」
 そう言って覗き込む中年女性の穏やかな表情が、私の目に飛び込んできた……。
 生まれ変わった私であったが、身体に残った甘美な感触は薄れるものではなかった。
 私にとって彼女との出会いは、間違いなく大切な出会いだったのだ。

                (  完  )

作品名:短編集10(過去作品) 作家名:森本晃次