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記念写真

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交差点で、私は昨夜どうしても言えなかったことを小声で呟いていました。ごめん、ごめん、本当にごめん。そう何度も何度も何度も。私はカメラを抱えています。写真家として大成するのが夢ですが、その「夢」として具現化されたものはもう錆び付いてしまったようで、例えば小学生の頃の公園の遊具と重ねています。とりわけ夢中になれるものといえば写真くらいのものなので、ただ続けてきたというだけのことかもしれません。九月は息を引き取りつつあり、代わりに南西から北東へ、大きな雨雲の渦が覆うようになりました。人であふれるこの街でも、一つ角を曲がるたびに取り残されたような気分になります。強風に飛ばされる枯葉のように、あらゆる出来事や人々が、とめどなく通り過ぎて行きます。

 最近、祖父が亡くなりました。九十歳。大往生だと思います。通夜と葬儀のため、つい先日、父の故郷である宮城に帰りました。一人で電車に乗っている途中、ひたすら田んぼが続く光景を眺めながら、祖父との思い出を懐古しようなどと考えましたが、なんとなく野暮な気がして止めました。ただ、父の実家、つまり祖父が死ぬまで住んでいた木造二階建ての家の、祖父の作業部屋の散らかりようを見て、なぜだか涙が出ました。祖父は多趣味な人で、その部屋でいつも何かしらの作業をしていたのを覚えています。私と妹は幼い頃、広い田んぼと畑で遊びながら、祖父が作業を終えて出てくるのを待っていました。


 葬儀の後で、祖父と祖母の畑を散歩しながら写真を撮っていました。今年はそれほど暑くなかったにも関わらず残暑が厳しく、昼過ぎの畑はすぐ汗だくになってしまうほどでした。祖父の体調が悪くなってからはあまり手入れもしていなかったようで、あたりは雑草の匂いで蒸し返しています。
 日差しを白く反射しているビニールハウスの隙間から、女の人がこちらへ歩いてくるのが見えました。よく見ると、ちょうど家の裏側で営んでいるレストランの奥さんでした。私たち家族がここへ帰るたび、お世話になっていた人です。いつも会うときは飼い犬を連れて散歩している場合がほとんどで、今日もちょうど散歩する時のような格好でしたが、犬はいませんでした。

「どうも、ご無沙汰してます」
 ビニールハウスの間から顔を出した私に、奥さんは少し驚いた様子で、しかしいつものように明るい調子で、
「あら、ユウちゃん! まあ〜久しぶりねえ、立派になって!」
 と言いました。私は恥ずかしくなり、どうも、と笑いながらうつむいてしまいました。
「今日は、コロは?」
「コロはね、ちょっともう動けないのよー、おじいちゃんになっちゃったから」
 飼い犬のコロも、小さい時にはよく遊んでもらっていました。
「よかったら来る?」
「はい。あ、何かご用がありました?」
「あ、ううん、一応輝夫さんのことでもう一回挨拶に行こうかと思ってたとこなの。後で改めてお邪魔するわね」
 思い返せば私は四年ぶりに、レストランにお邪魔しました。相変わらず店の壁には所狭しと私の撮った写真を飾ってくれています。中には元気だった時のコロの写真もあります。店の奥の、オーナーである旦那さんと奥さんの、家の庭につながる小さな空間に、犬小屋があります。カウンターでコーヒーを淹れていた旦那さんにも挨拶をしてから、私はコロに会いました。
 コロは犬小屋の中で、ほとんど骨と皮だけのような状態で、動かず、静かにうずくまって息をしていました。私が体を撫でてやってもほとんど反応せず、もう死んでしまっているのではないかと勘違いするほどで、しかしその体はまだ確かに温かさを持っていました。
「そっか、もう二十年以上だもんな……」
「会いに来てくれてありがとうね、コロも喜んでるわ」
 奥さんは少し申し訳ないといった感じでコロの最近の様子について話してくれました。今年の二月あたりからあまり散歩にも行きたがらなくなり、初夏の時点では少し元気になったのですがやはり、八月末にはほとんど動けなくなっていたようです。
「でも今日はね、お水を飲んだのよ」
 奥さんはそう言って笑いました。笑った時の目尻のシワも、幾分か増えたように見えます。小さい頃、私は犬が苦手でした。しかしコロだけは、一緒に庭を転げ回って遊ぶほど仲良しだったのです。
「そうか、お前もか……」
 しばらく体を何度も撫でてやりました。コロの体温にいつまでも触れていたかったのです。その後、カウンター席でコーヒーを飲みながら旦那さんとお話をしました。一度帰ろうとしたのですがやはり名残惜しくなり、オムライスを頼みました。
「本当にどうもありがとうね、美智子さんたちにもよろしく言っておいてね」
「はい、ありがとうございました」
 葬式の時に色々とお世話になったことも含めて、私はお礼を言いました。
「ところで、いつ東京に帰るの?」
「明日の昼ごろには出ようかと思ってます」
 その翌日には、知人の紹介で請け負った、取材の写真の仕事がありました。

 父の実家に戻ると、父と母と祖母が揃ってお茶を飲んでいました。祖母は祖父の納棺から葬儀が終わるまで終始元気が無く、涙も見せずにただうつむいていましたが、今は母とおしゃべりをしながら、テレビを見る程度の余裕はできたようです。とは言え、これから私たち家族が東京に帰れば祖母は独りになります。それが心配で、しかし無口な父も私もそれを口に出せずにいました。
 そのことも手伝ってか、私は何気ない様子でテレビを見ている祖母を見て猛烈な不安に駆られました。祖父が亡くなったというのに、私は畑で写真を撮りながら、何も行動することができないのです。祖母に寄り添うこともできず、コロが死にゆくことも、ただ見ているしかないのです。当然のことですが。
 台所にはお土産に持ってきたブルーベリーがあります。ずっとほったらかしでした。その多くは熟れすぎてつぶれてしまいました。この二、三日の忙しさで、それどころではなかったのです。昨日まで、ほとんど会ったこともなかった親戚が何人も来て、この広い家で何やら訳のわからない話をしていました。そしてすぐに去って行きました。

「マコは?」
 妹の姿がなかったので、母に尋ねました。
「さあ? 畑か、じいちゃんの部屋にでも行ってるんじゃない?」
 二階に上がると、相変わらず埃っぽい廊下に窓から射す光の筋が見えます。右側の手前の祖父の部屋に、妹はいました。
「何してんの?」
「別に」
 妹はただむすっとした様子で、パソコンやら書類やら、何に使うのかわからない沢山の小さな道具に囲まれた、祖父の作業椅子に座ってぐるぐると回っていました。妹のマコは三コ下で、今年の夏、やっとの事でデザインの会社での内定をもらい、喜んでいた矢先で祖父の訃報を聞きました。
「コロに会った?」
「昨日」
「全然変わってないね、この部屋」
「うん」
「覚えてる? ここに来るたびにそうやって椅子に乗って回ってたじゃん」
「……うん」
 会話を続ける気もなさそうなので、なんとなく私も回転椅子の肘掛に無理やり腰掛けました。マコは嫌な顔をしましたが、諦めて一緒にゆらゆらと椅子を回しました。その夜、私と妹は祖父の骨壷の供えてある和室で眠りました。
 翌朝、朝食を食べたあと、祖母に尋ねました。
作品名:記念写真 作家名:山川