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トロイメライ
トロイメライ
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あるフランス人の男

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1章

そのとき、私は生きてきた20年ちょっとの人生の中で最高の気分であった。それまでの無気力な生活のことなど全く忘れている瞬間であった。

大学生である私は友人Sを助手席に乗せ車を走らせていた。大学の構内を走り、市街地の道路を走った。CDでモーツァルトのオペラ、夜の女王のアリアを大音量で流し、Sは歌詞を余裕綽々、歌ってみせた。

こじんまりとしたファミリーカーでオペラを聞き、大学の同級生には馬鹿にされたが、それでも楽しかった。Sも気にしてはおらず、私たちは風をきるように車を走らせた。


当時、私は完全にSに心酔していた。大学でつまらない授業を受けていても常にSが笑わせてくれたからである。

「ねえ、S君、今度、一度、茶道部に顔を出してみない?」
「うん、いいよ。」

彼と一緒に茶道部の部室に入った。紫色の袱紗を胸ポケットにしまい、畳の上で正座するSはとても和室に合っているように見えた。くせ毛で、下がり気味の目の甘いフェイスをこちらに向け、優しく微笑んでいた。

数名の部員と先生が到着し、お稽古が始まった。皆、フランス人であるSに興味を持っているようであり、その中で留学生の韓国人フォワンさんがSに話かけた。

「どこからいらしたんですか。」
「フランスです。」
「はあああ、日本には慣れましたか?」
「ええ、もうだいぶ慣れました。」
当たり障りのない会話だった。

Sは茶道に興味を持ったようであった。少なくとも否定的なことは言わなかった。

「茶道はなかなかかっこいいね。日本の文化的にね。けれど、茶道に来ている人には興味ないな。」

私は少し驚いた。普通に会話をしていたのに、と思ったからである。

「あんな挨拶だけしてもねえ。」
Sは言った。

数日後、私たちはいつものように大学棟の最上階のベンチに腰掛けてランチを食べていた。窓に足をぶん投げ、美味しくもないコンビニの弁当を食べた。

「フォワンさん、元気かなあ、元気じゃないといいなあ。」

私はケラケラと笑い転げた。日本では聞くことのない類のユーモアであった。あるいはSの独特なウィットからくるものであったかもしれない。

私は楽しくて、全てのことがどうでもよくなり、窓から備え付けのゴミ箱を勢いよく放り投げた。

2章

フランス人のSと知り合いになった翌日、Sは電話をくれた。

大学の食堂の前のタイル通りを歩いているときに、3、4回連続でコールが鳴り、誰だろうと思ったらSであった。

「今から〇〇先生の授業を受けに行くんだけど、一緒に来てくれないか。」

友達から電話すらもらったことのなかった私は、嬉しくてすぐにいいよと返事した。
私はその授業を履修していなかった。

しばらくタイル通りの上で待っているとSがやってきた。
白いワイシャツとジーパン姿で自転車に乗っている。

自転車を降りてSは言った。
「遅れてごめん。」
丁寧な日本語での挨拶だった。

2人で講義棟に向かった。
授業の開始時間はすでに過ぎており、完全に遅刻なのにもかかわらず、ゆっくりと歩き、堂々と教室に入った。

先生が情報処理に関する難しい話をしていて、ちらっとこちらを見たがほとんど無視した。

席につきしばらくは私語をせず授業を聴いていたが、突然Sが挙手して言った。

「オンサンフ!、オンサンフ!」
「どういう意味なの?」
「フランス語でどうでもいいという意味だよ。T君もやりなよ。」
「ははは。オンサンフ!」

先生は見て見ぬふりをしているようであった。

しばらくして授業が終わり、授業の感想を書く用紙が配られた。
Sは何やら口元を綻ばせながら、鉛筆を走らせている。

「何て書いたの?」
「「〇〇先生のおかげでSelf Esteemが上がりました」って書いた。」
「Self Esteemって何?」
「日本語でいうと自己評価みたいなもんかな。」
「〇〇先生の可哀想な姿を見ていたら、自分がこんなに立派な人間なんだと思えて良かったってこと。」
「ははは。」

最高に楽しい瞬間の一コマであった。

3章

その日、私はフランスにいた。
大学の夏休みにSがフランスへ招待し、各地を案内してくれたのだ。

パリのシャルルドゴール空港から車で4時間ほどの、フランス中央部の街にSの家はあった。一階が車のガレージになっており、ビリヤード台を備えた地下室のあるお洒落な家である。

そのSの家に2週間ほど滞在させてもらった。


フランスでは目新しいことが沢山あった。

公園でタバコを吸っていると美人なフランス人が声をかけてくれるし、看板にぶつけた車はそのまま駐車されているし、街を流れる川には噴水があり夜はライトアップされた。道路は平坦なところがほとんどで道幅が広く、自動車の走行は160km/hを超えることがしばしばあった。

一方、ヴェルサイユ宮殿やノートルダム大聖堂に行って思ったのは、「そんなに感動するほどでもないな」というものであった。

ヴェルサイユ宮殿でデカルトの像を前にSと記念写真を撮れたのは思い出になったが、(S曰く、je ne ponse pa, donq je ne suis pa.私は考えない、従って、私は存在しない。)宮殿の部屋は1つ1つが狭く感じられ、部屋の内装である金箔は劣化し色褪せていた。当時はもっと煌びやかな造りだったのかもしれないが。

建造物よりも洞窟が圧巻であった。

ラスコー近くの地下数百メートルに及ぶ、ある洞窟は、数万年前に巨大地震でできたものであるらしかった。

洞窟の内部にはエメラルドグリーン色の地下水が流れており、やはり水中からライトアップされていた。想像できないほど長い時間をかけてできたであろう鍾乳洞も存在し、つまらない悩みも忘れ去るような眺めであった。

ある夜、電気を消してからSの部屋で、話をした。

なかなか彼女ができないと話すとSは言った。

「T君さ、お前にもいつか彼女ができるよ。」
と自信家の彼は励ましてくれた。
Sは続けた。
「日本にいたときに俺、女の子と一度デートしたよ。」
「そうなんだ。知らなかった。」
「うん。彼女から声をかけられてね、遊園地に行って観覧車に乗ったんだ。でもちょっと恥ずかしくて、キスしそうになったけどできなかった。」
Sのスウィートな雰囲気がマッチした情景が思い浮かんだ。
「しておけばよかったなあ。」

そんな自慢をしなくてもいいと一瞬は思ったが、Sの世界に引き込まれるようでとても羨ましく思った。
「いつか彼女ができたら教えてくれな。」

私にも一度彼女ができ、フランスにいるSに国際電話で紹介した。

Sは「変なやつだけどよろしくしてあげてね」というようなことを言っていたように思う。

そんなSとも音信不通になった。
Sにもらった絵はがきにあった
「Hit the road in ××city.(××街でまた出かけよう)」
という文字だけが揺れている。

4章

Sがカラオケに誘ってくれた。
まねきねこの小部屋に入り、SはBLUES BROTHERSのeverybody needs somebody to loveという歌を選曲した。
出だしに早口の英語で台詞を捲したてる有名な歌である。