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稲藁小僧

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「すまねぇなぁ、こったら納屋で」
「いや……これ以上迷惑はかけらんねぇ……お前さんもなるべく俺に近付かない方が良いぜ、感染るかもしれねぇからな」
「だけんども……」
「いや、どのみち畳の上で死ねるような人生は送ってきちゃいねぇんだ、藁の上で死ねるだけでもめっけもんってことよ」
「そ……そうけぇ? 食いモンってもこったらモンしかやれねぇけどよ、稗の粥だ、せめてこれでも食ってあったまってくんろ」
「ありがたく頂くぜ……さ、早くここから離れた方が良いぜ……」

 地の百姓、常造が納屋を離れて行くと、新吉は起こしていた身を再び藁の上に横たえた。
 風邪をこじらせて胸が痛み、もはや息も苦しい、この病は感染るとわかっているのだから自分が触れたものには触らない方が良いし、なるべく近くにもいない方が良いのだ。

『藁の上で死ねるだけでもめっけもん』……それは実感だ。
 泥にまみれるような生涯を送って来た新吉だ、悪事もさんざん働いて来た。
 事実、常造が見つけてくれなければ文字通り泥の中で死んでいたことだろう。

 新吉は常造が持ってきてくれた粥を口にした。
 滋養豊富なものではないが、体が温まるだけでもありがたい。
 食欲はあまりなかったが、冷めてしまわない内にと思って箸を手にとった。

▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽

 新吉は、元は稲葉家に仕える下級武士の息子だった。
 『文武両道』の『文』の方はからきしだったが、『武』の方ならば誰にも負けない自信があった。
 剣術に秀でていただけではない、走る、跳ぶといった身体能力にも秀でていたのだ。
 武士は戦闘集団であると共に政治集団でもある、学問は苦手で一本気の新吉は政治の方にはまるで向かないが、戦闘の方ではいっぱしの者になれる……はずだった。
 その歯車が狂ってしまったのは、新吉二十歳の時のこと。
 新吉は窃盗の疑いをかけられた。
 実際には上級武士の息子が遊び半分にやったこと、それが発覚して言い逃れに新吉の名前を出しただけの事だったのだが、体面を重んじ、階級制度の厳しい武家社会の事、真犯人の父は新吉の父を叱責し、新吉の父は新吉の言い分を聞こうともせず新吉を勘当した。
 全ては『お家』を守るため、武士の体面を守るため、新吉はその犠牲となることを強いられたのだ。

 腰の物も取り上げられ、剣術以外には何も学ばないままに、着のみ着のまま放り出された新吉。
 だが江戸では身一つで出来る商売には事欠かない、新吉は『搗き屋』として日銭を稼いだ。
 搗き屋とは、長屋の女将さん連中に『搗き屋さん、ちょいと搗いておくれ』と呼び止められて注文どおりに玄米を搗いて精米し、駄賃を貰う商売、それには頑強な体が大いに物を言った。
 体を使う事は苦にならない新吉のこと、長屋暮らしにもすぐに慣れ、気楽な暮らしも良いものだと思い始めた、しかし、それと自分を理不尽に放り出した武家社会への反感、恨みは別の話、(いつか目に物見せてやる)新吉はそう思いながら日々を過ごしていた。
 転機は直にやって来た。
 きつい目つきで歩く新吉のこと、街のちんぴら二人組に『ガンをつけた』とばかりに絡まれたのだが、反対に易々とその場でのしてしまった、たまたまそれを見ていたの盗賊団の幹部が『こいつは使えそうだ』とばかりに誘ったのだ。
 元々は一本気で正義感も人一倍の新吉だったが、武家社会に一矢報いることが出来るならばと、その誘いに応じた。
 もっとも、誘いに応じなかったならば命を狙われるだろうこともわかってはいたが……。
 
 盗賊団の頭もまた元武士、上級武士の尻拭いをさせられて浪人を余儀なくされたと言う点では新吉と似た経歴を持つ。
 盗賊団は大名の江戸屋敷を専門に狙った。
 それには、自分を理不尽にはじき出した武家社会への復讐と言う一面は確かにある。
 しかしそこには実利的な一面もあった。
 大名屋敷は広さのわりに軽微が手薄であり、それぞれの保身からか、定められた役割以上のことはしようとはしない、たとえ賊に侵入されようとも自分の持ち場からでなければ何の責も負わされないのだ。
 その上、金品を奪われたとしても、表沙汰にすることもまずない、武士が警護している筈の大名屋敷が賊の侵入を許したとあれば体面が保てないからだ。
 加えて、頭がその経歴を利して大名屋敷の内部情報を得る事も容易だったのだ。

 盗賊団は存分に荒稼ぎをしたが、組織と言うものはどこかにほころびが出てしまうものでもある。
 とある大名屋敷の武士が、下っ端の不用意な会話をたまたま耳にして盗賊団の計画を知り、兵を隠しておいたところにノコノコと侵入したものだから堪らない、盗賊団は一網打尽にされてしまった。
 しかし、そこでも新吉の剣術と身体能力は物を言った。
 先頭を切って侵入した新吉だったが、待ち伏せされていた事を知ると三ピンから奪った刀で応戦し、塀を飛び越えて逃亡したのだ。

▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽

 その後、しばらくは元の搗き屋として地道に暮らしていたが、盗賊団の一員で荒稼ぎをしていた頃覚えた博打好きは直らない、武家社会への恨みも消えていない。
 新吉は単身で泥棒稼業を再開した。
 手口はすっかり身についている、一人で持ち出せるお宝の量は限られるが、ドジな仲間に脚を引っ張られる恐れもない、搗き屋稼業で腕力は更に強くなっているし、生来の身のこなし、足の速さも健在だ。
 大胆に盗み出した後、武士団に追われながらも風のように疾走り、屋根から屋根へと軽々と飛び移りながら逃げおおせる新吉の姿は江戸市中のところどころで目撃されて評判となった。
 江戸市民にとっても、普段居丈高に振舞う武士が右往左往させられる姿には溜飲が下がる思いだったのだ。
 そして、新吉は盗みに入った後、必ず結んだ稲藁を一本残して来た。
 元は稲葉家の家来、それを暗示していたのだが、いつしか人は新吉を『稲藁小僧』と呼び、英雄視するようになって行った。

▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽

 江戸の街を颯爽と駆け抜ける稲藁小僧だったが、物事に絶対はありえない。
 新吉にもまたお縄になる時がやって来た。

 小雨の降る夜、屋根伝いに逃げようとして、濡れた瓦に足を滑らせたのだ。
 捕縛された新吉に下された裁きは「市中引き回しの上獄門」。
 見せしめの意図を孕んだ「市中引き回し」だったが、実際に新吉を裸馬に乗せて歩き始めた途端、役人達はその目論見が見当違いだった事を思い知らされた。
 新吉はまるで英雄、江戸市民は新吉の姿を見ると熱狂し、口々に賞賛を浴びせる……見せしめどころか、いずれ新吉を見倣うおうとする者が出てくるのではないか
と危惧するほどだ。
 馬上の新吉も歓声に笑顔で応える余裕すら見せる。

 そして、不忍池に差し掛かった時のことだ。
「すまねぇな、用を足したいんだが」
「ならぬ」
「そうかい、それなら馬の上で垂れ流すことになるが、構わねぇよな」
「う……」
 引き回していた役人はたじろいだ。
作品名:稲藁小僧 作家名:ST