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表裏の結界

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 どこに説得力があるのか分からない会話だが、最後には納得させられる。山本教授という人間は、そんな存在なのだ。
 山本教授が論客になってから、今までに何度もいろいろな反対意見を述べてきた。まるで国会における野党のようだが、山本教授の意見は、その野党とも違っていた。
 国会という場所では、あくまでも国民中心の話の中で、いかに政府の考え方が間違っているかということを、もっともらしく口にしなければならない。そのためには、スキャンダルや各議員の発言の細かいところを、まるで針の穴をも通すような小さな点から大きなしこりにしてしまおうと躍起である。
 見ていて面白い時もあるが、どうにもしっくりと来ない。人のプライバシーを暴いたりするのは、それこそ憲法違反ではないかと思うほどのギリギリの討論が繰り広げられることもあった。
 そんな状況にうんざりしている人から見れば、山本教授の発言はスッキリさせられることだろう。まるで、
「竹を割ったような切り口」
 と言える斬新な言い方は、ストレートなだけに、スッキリとした気分にさせられる。
 さらに彼のいいところは、決して個人攻撃をしないことだった。政府のやり方や政策に対しての批判はするが、個人的な攻撃はしない。だから、攻撃される方も反論ができないのだ。
「彼の反論は、一種の正論でもある」
 反対意見の正論という発想は、彼の出現によって成立した。
 彼のような論客がそれ以降も出てきたが、すぐに消えていった。二番煎じでは絶対にパイオニアには勝てない。彼はそれだけ洗練されたパイオニアだったのだ。
 ただ、最初は結構嫌われた。前例のないものなので、どうしても革命的なことをすると、保守的な連中は身構えてしまう。しかも、それが過激な内容ともなると、注目を浴びるのも当然で、ダーティなイメージがついてしまった。
 しかし、正論を言っていることと、彼の姿勢が一定していて、初志貫徹していることで、まわりの見方も少しずつ変わっていった。
 元々革命的なことを好む連中が、彼のことを絶賛し、それをマスコミが報道すると、彼への見方も変わっていった。
 特に討論番組というのが、夜中にやっていて、ゴールデンタイムにはなかった頃、視聴者には偏りがあった。一般論を聞くだけでは面白くないと思っている連中が多かったことも、山本教授の知名度を上げる理由になった。年配の長老とも言えるような政治家を相手に一歩も引かない山本教授の姿は、彼らは楽しみにしていたのだ。
「逆も真なり」
 という言葉があるが、正論に対して真っ向から立ち向かう姿は、普段人に言えないことを心の奥に燻らせている人にとってはスカッとさせられるものだった。人間誰しも正論に逆らった考えを持っているものだ。それを口にすることは世間一般の大衆を敵に回すことになるので、どうしても口に出すことはできなくなる。
 それがストレスになって欲求不満をためてしまった人には、彼が自分の代わりにズバッと言ってくれることで、ストレスの解消にもなっていた。
 政治、経済、文化、風俗に至るまで、深夜枠ということもあって、きわどい話もなされていたが、教授はどんな場面でも、自分の立場を変えることなく、反論に徹していた。
「さすがに、この正論に対して反対意見を述べるということは難しいだろう」
 と言われるようなことでも、教授は何としてでも正論の穴を探して、そこを追及する。それはまるで、証拠が完全に揃っている被告を、何としてでも助けようとする弁護士のようだ。
 一時期、そんな教授を、
「正義の救世主」
 という見方で見る傾向があった。
 それまでのダーティなイメージではなく、ヒーローのイメージだった。しかし、それでも教授の態度が変わることはなかった。むしろ、
「自分を正義のヒーローのように言われるのは迷惑だ
 と発言したことから、彼を正義の救世主として見ていた人の態度が一変、
「何を言っているんだあの男は。せっかく持ち上げてやったのにあの態度は……。一体何様のつもりなんだ」
 と、一斉にバッシングを受けた。
 確かに言葉尻だけを掴めば、彼の言動は世間を舐めているように思われる。異端児であっても、それは番組の中でのこと、普段は紳士な一介の教授だと思われていたことだろう。彼はそんな風に見ていた人たちの思いすら裏切ってしまった。これで、教授は本当のダーティイメージしか残らない、ヒーローなどという言葉からは縁を切った存在になってしまったのだ。
 だが、それはそれで教授の考え方だった。
 教授はいつも反論を重ねることと、今回の暴挙のような発言で、
「冷静さの欠片もない男だ。テレビの態度は、あれは見せかけなんだ」
 と思われるようになったが、本当は彼ほど冷静で、先を見越している人はいないのではないだろうか。
 しかも、冷静なだけではなく、行動力もあるのだろう。考えたことをまわりに悟られず、うまく欺きながら自分の考えを突き進むということは、かなり難しいことのはずだ。
 彼の考えは少しでも悟られてしまうと、テレビ界で生き残ることはできないだろう。欺瞞というレッテルを貼られてしまうと、復帰は絶望的だ。それも分かっていることだった。
 だが、もし彼の考えを看破できる人がいたとしても、その人は彼の考えをまわりに話して、彼を糾弾できる至ることは難しい。何しろ、その人の発想でしかないからだ。
 その発想は、理屈では理解できても、簡単に行動に移せるかどうかを考えると疑問符がつく。それを思うと、たった一人が気づいた程度では、彼の立場を脅かすことは不可能なのだ。
 山本教授の考えは、
――もしあの時、救世主などという言葉に踊らされていれば、一時期は売れるだろう。しかし、一度ついてしまったヒーローというイメージは、その行動範囲を極端に狭めてしまう。まるでアイドルのようではないか――
 というものだった。
 アイドルというと、極端なほど行動が制限されている。ファンに対しては、アイドル以外の面を見せてはいけないし、いつでも笑顔でなければいけない。さらには恋愛禁止などというプロダクションもあるくらいだ。
 山本教授が論客を務め始めた頃は、アイドルもバラエティに出演することは少なく、ゲストとして出ている程度だった。今のように、アイドルのバラエティ番組などもなかった時代。アイドルは擬人化されたフィギアのように感じている人も多かっただろう。
 教授もそこまで極端ではなかったが、もし自分がヒーロー扱いされてしまうと、今後の活動は完全に制限されるのは分かっている。
「ファンに対して誤解を受けるような行動は慎んでくださいね」
 といわれるのは目に見えていた。
 今は、
「先生のキャラクターは自由に自分の道を行くというのがスタイルですので、人間として最低限のことさえ守っていただけでば、自由に行動してください」
 と、ほとんど放任主義だった。
作品名:表裏の結界 作家名:森本晃次