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いつか。きっと

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「ゲーム アンド マッチ ウォン バイ チカ」
 翔のローボレーがネットにかかった時、千夏は小さくガッツポーズを作り、翔は天を仰いだ。
「ナイスゲームだったね」
 ネット越しに千夏が差し出した手を、翔はちょっと悔しそうに握った。

 調布市は深大寺(注1)の南に位置する、桜田テニスクラブ(注2)ジュニア育成では日本有数のクラブだ。
 千夏は小学六年生、クラブの十二歳以下カテゴリーでは男子も含めた中で一番強い、
 千夏に敗れて悔しそうな顔をしたのは翔、千夏と同じ六年生の男子、この春父親の転職に伴って千葉から引っ越して来た。
 翔は千葉でもジュニア育成に定評のあるテニスクラブに所属していた中々の実力者、押し気味に試合を進めていたのだが、ここ一番と言うところで千夏の粘りに会い、ミスを連発して負けてしまったのだ。

 試合を終えた千夏がベンチで一息入れていると、友達が隣に座った。
「やっぱり千夏は強いなぁ、粘り勝ちだね」
「あの子、前のクラブでは週三回だったんでしょ? そんなのに負けてられないわよ」

 千夏は週に六回このクラブに通っている。
 休みは水曜日だけ、土日もレッスンがあるので家族でのお出かけもままならないのだ。
 負けず嫌いで気が強い千夏は誰にも言ったことはないが、本当のことを言うとちょっと辛い。
 友達は毎日のように公園でたむろしたり、誰かの家に集まったりして遊び、おしゃべりに花を咲かせている、それに加われないのはちょっと……いや、随分と残念だ。
 それに六年生ともなれば恋バナにも花が咲くものだが、千夏はその話題にも入って行けない、学校とクラブを行き来するだけの毎日なのだ……。
 だれも自分を仲間はずれになどしていないのに、仲間に入っていけないと感じる時、もうテニスなんて辞めてしまいたい、と思うことすらある。
 
 一年生でテニスを始めた時は楽しくて仕方がなかった、昨日できなかったことが今日はできるようになるのが嬉しくて明日はもっとうまくなりたいと思っていた。
 その気持ちに加えて運動神経も良く、真面目で一途な性格も相まって、四年生の頃からは男の子も含めた中で同学年では一番強くなった。
 男の子の中には、真面目にやれば自分より強くなるだろうな、と思える子もいる、しかし、男の子は総じていい加減なところがあり、自分の欠点を克服するのに熱心ではなかったりする、サッカーに夢中になってテニスを辞めてしまった子もいる。
 そんなこんなで、千夏は学年で一番の座を二年以上保っている、六年生になった今では十二歳以下カテゴリーでの一番だ。
 辛いな、と感じてはいても千夏が休まずクラブに通えるのは、一番であり続けることにこだわっているから……負けず嫌いな性格がそうさせているのかも知れない。

 翔とはその後も練習ゲームで何度か対戦したが、いつも千夏が勝った。
 千夏がピンチの時や勝負どころで集中して力を発揮できるのに対して、翔は同じような局面で固くなってしまうことがある、そこが大きな差なのだ。
 既に技術や力では押されているのだが、豊富な練習量に支えられた『自分はミスをしない』と言う自信が勝負強さを生む、相手の練習量が自分の半分に過ぎないと思えばなおさらだ。

 学校が夏休みに入っても、クラブの練習は続く。

 そして、翔に大きな変化が訪れた、急激に背が伸び始めたのだ。
 それはサービスで特に大きなアドヴァンテージとなる。
 テニスのサービスはボールがネットを越えて、なおかつ相手のサービスコートに入らなければならない、背が伸びれば角度が付いて、サービスが入る確率が格段に高くなる、更に腕も長くなれば遠心力を利して速いサービスも打てるようになるのだ。

 正直に言って、千夏は翔に勝てる自信が揺らいでいる、だからゲーム形式の練習では翔と対戦することを避けるようになった……。


 夏休みも終わり頃、クラブの中でトーナメントが行われた。
 そして千夏と翔はそれぞれのブロックを勝ち上がり、決勝で対戦することになった、千夏も今回ばかりは翔を避けるわけにも行かない……。

 その試合で、千夏は翔のサービスを破ることができなかった。
 そして千夏の四-五で迎えた第十ゲーム、千夏はダブル・フォルトを連発してサービスゲームを落としてしまった。
 千夏はグラウンドストロークが得意で、サービスリターンにも自信を持っている、相手のサービスをいつでも破ることができるという自信が勝負強さを支えていたのだが、それができない以上どうしてもサービスゲームを落とせないという気持ちが固さを呼んでしまったのだ。
 それは生まれて初めての経験だった。

「ゲーム アンド マッチ ウォン バイ ショウ」
 千夏はそのコールを呆然として聞いた……。
 体力、体格を含めた実力では既に翔に敵わなくなっているのは薄々感じていたが、それを思い知らされ、絶対的な練習量に裏付けられた自信で幾重にも塗り固めた壁に亀裂が入った瞬間だった。

「夕方になっても暑っちぃな」
 バスを待っていた千夏に声を掛けてきたのは翔だった。
「優勝オメデト」
 千夏はそっけなく答えた、正直、今は翔と話したくはない。
 翔はいつもなら歩いて大通りまで出てバスを待つはず、千夏とは方向が逆なのだ……勝ち誇りに来た、千夏がそう思ったのも無理はない。
 しかし、意外なことに翔は試合のことには触れなかった。
「なあ、腹減らねぇ?」
「え?」
「鬼太郎茶屋のじゃころっけ(注3)、食っていかねぇ? 奢るからさ」
 その言葉にも口調にも驕りや傲慢さはなく、クラスの女の子に気軽に話しかけるような調子……千夏は肩透かしを食ったような気がしたが、それは決して悪い気はしない……。 
「奢ってくれなくてもいいけど……いいよ、食べて行こうか」
 翔が自分のラケットケースに手を掛けると、素直にそれを渡すことができた。


「強くなったね、悔しいけどサービスを破れる気がしなかったよ」
 千夏と翔は茶屋のベンチに並んで腰掛け、じゃころっけをぱくつく。
 夕方と言ってもまだまだ暑い、しかし、木々の緑を通して流れて来る風には一服の爽やかさが感じられる。
「うん、急に背が伸びたからなぁ、この一ヶ月で十センチ近く伸びた、自分でもびっくりだよ」
「そんなに?」
 改めて翔を見る、春に初めて会った頃はほんの少ししか違わなかったのに、確かに見上げるようになっている……なんとなく体格に差が出てきていることを認めたくなくて、あまり近くには寄らなかったかも知れない……。
「それと、週に六回練習できるようになったろ? その成果が出てきたのかもな」
 そこは千夏もこだわっていたところだ、普通の女の子としての楽しみを我慢してまで週六回の練習を重ねて来た、週三回でへらへらやって来た翔に負ける訳には行かない……そう思っていた。
 しかし、翔は『練習できるようになった』と言った……『するようになった』ではなく……。
「千葉のクラブじゃさ、週三回のコースしかなかったんだよ、遠くにならあったんだけど自転車じゃ通えなくてさ」
「六回のコースがあればやりたかった?」
 翔はさも当然のように頷いた。
作品名:いつか。きっと 作家名:ST